「…レン?」
双子の弟の名前を呼びながら目を覚ます。あるはずの亜麻色が見当たらない。隣で寝ているはずのレンがいない。
「レン…?」
真夜中。外には半月。布団には私の温もりしか残っていない。
「レン…っ」
跳ね起きた。慌てて部屋を飛び出す。
着慣れないドレスの裾がまとわりついてくる。肩を露わにして首の後ろで紐を結ぶ、まさに女の子用のドレス。
『リンもそろそろ、こういう服を着なさい?』
笑顔のママに渡されたそれは、レンの傍に行くのを邪魔する枷にしか見えない。
「あああもうっ!」
思わず脱ぎ捨てたくなるのは何とかこらえて、裾を勢いよく裂く。ママに知られたら怒られるだろうな、と考えたのは一瞬。
邪魔にならないように破いた裾を結び、改めて走り出す頃には、レンのことで頭が一杯になっていた。
「…リン」
双子の姉の名前を呼びながら空を見る。今はない亜麻色から目をそらすように。リンは今頃目を覚ましてしまっているだろうか。
「リン…」
真夜中。空には半月。いつもなら隣ではしゃぐ存在は今はない。
「リン…っ」
一緒ではいられない。僕は男でリンは女で。ずっとずっと一緒、なんて。
…それは、ただの、はかない夢。
『レンもそろそろ、姉離れした方がいい』
真顔のパパに言われたその言葉があまりに痛くて、重くて。
ずっと一緒にいたかったのはきっと僕の方だと痛感した。
肌を露わにした盛装のリン。包み隠すようなスーツ姿の僕。…その違いを「寂しい」なんて思っては駄目なんだろうけれど。
すうっと夜の空気を吸い込む。
何かのカタチで吐き出さないと、僕の中は一杯になって、壊れてしまいそうな気がした。
予想通りの場所にレンはいた。
パパやママは来れない場所。裏庭の狭い木々の隙間を抜けた先の、ちょっとした広場。
月の光が柔らかく降り注ぐその場所の中心にレンは立っていた。
嬉しくなって呼びかけようとした瞬間、声が降り注いだ。
吐き出す、叩きつける。…歌にこんな思いを込めたのは初めてかもしれない。
小さな頃から歌うのは好きだった。リンと一緒に高らかに歌い上げると気持ちよかった。
でも、声が緩やかに変わり始めているのに気付いて、一緒に歌わないようにした。
…離れていく声が、何よりも寂しかったから。
はじけるような黄金色の光を見た気がした。
光なんて月明かり星明り以外にはないはずなのに。
そんな夜の背景に浮かぶレンはとてもまぶしくて。
…こんな『男の子』を私は知らない。
だって、どう見ても…、私と間違われるくらい似てた『レン』じゃない。
すっくと立つ背。私が見上げるようになったのはいつからだった?
甘さの残るボーイソプラノ。私が真似出来ない声を出し始めたのはいつから?
…こんなにも、こんなにも、レンと私は、遠くなった。
出そうとしていた声が止まる。手も伸ばせない。身体が動かない。
ただ、必死で、レンの声を、レンの歌を、追う。
鮮やかな青の空に伸びる黄金の向日葵。
瞼の裏にはっきりとそれを描く。
嬉しそうにはしゃぐリンはとてもまぶしくて。
…そんな『女の子』を僕は良く知ってる。
そう、どう見ても、僕と間違われてるくらい似ていた『リン』じゃない。
抱きつく身体。柔らかく感じられるようになったのはいつからだった?
涼やかで甘いソプラノ。僕では決して出せない、届かない声になったのはいつから?
…こんなにも、こんなにも、僕とリンは、遠くなった。
追いつきたくて高音を搾り出す。音がかすれる。喉がひりつく。
でも、必死で、リンの声を、リンの音を、追う。
堪えきれなくなって唇を開いた。レンの音を実際に私の声で追いかける。声は涙でかすれていた。
最初は小さく、かすかに、レンには聞こえないように。
ゆっくりと喉が開いていく。
歌うのは好き。レンと歌うのが一番好き。
声が広がるのが止められない。レンと響き合うこの感覚。思いがあふれ出す。
かすかに聞こえるそれを、最初は幻聴だと思った。想像上のリンの声を追い続けていたから。
揺れる声に、どう合わせようか考えながら、歌うことは止めない。
ゆっくりと音が馴染んでいく。
素直で朗らかな声。リンと歌うのが一番好きだ。
本当に声が聞こえてきているのだと気付く。リンと響き合うこの感覚。思いがあふれ出す。
どうして、一緒に居られなくなるの?
どうして、一緒に居られなくなるんだ?
命すら分け合って生まれて来たのに。
全てを同じくして生まれて来たのに。
離れなくてはならないのは、何故?
一体どのくらい歌ったんだろう。泣いた直後に思いっきり歌ったりしたから、喉が痛い。
歌うのをやめて振り返ってくるレンの瞳に私が映る。
一体どのくらい歌っただろう。無理やり高音を歌い上げ続けたから、喉が痛い。
歌うのをやめて振り返って見つけたリンの瞳に僕が映る。
それはまるで歪んでしまった鏡。
歪まなければ一緒にいられたのかな。これから先もずっと。
おそるおそる「鏡」に手を伸ばす。これ以上、歪まないように、と願いながら。
それはまるで歪んでしまった鏡。
歪んでしまわずにはいられないだろう。これから先もずっと。
そっとそっと「鏡」に手を伸ばす。これ以上、傷つかないように、と願いながら。
触れ合った違う大きさの手に息を飲む。泣きそうになるのをぐっとこらえた。
「…わざわざ探しに来なくても」
見つめ合ったまま、小さくレンに呟かれて言葉を探す。
触れ合った違う大きさの手を握り締めた。震えを少しでも止めるために。
「…だって、レンが、いなかったから…」
見つめ合ったまま、小さくリンに呟かれて言葉が消える。
長い沈黙が息苦しい。見つめ合う瞳が痛い。
「レン…」
私の手を握って離そうとしないレンに呼びかけると、目線がそらされた。
「そろそろ寝ないと。部屋まで送るよ」
レンに手を引かれて、私は、のろのろと歩き始める。
もう一緒に寝ることも出来ないなんて。
どうして育ってしまうんだろう。どうして未来へ向かって歩かなくてはならないんだろう。
家に入りながらそっと空を見上げる。
…ねえ、神さま。
重い沈黙が息苦しい。握り合う手のひらが熱い。
「リン…」
僕の背を見つめてついてきているリンに呼びかけると、強く手を握られた。
「ひとりでいると、…おばけが怖くって」
リンにそう言われて、僕は、その手を強く握り返す。
もうずっとそばにいてあげることは出来ない。
どうして変わってしまうんだろう。どうして未来へ向かって進まなくてはならないんだろう。
部屋へ導きながらそっと無言で祈る。
…ああ、神さま。
どうか今のままで、このままで、時を止めて。
…それが叶わないのなら、せめて。
ずっと同じものを積み上げてきた片割れと共に、ずっと一緒にいると約束した片割れと共に、もう少しだけ。
この手を離しても大丈夫だと思えるまでの時間を、下さい。
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