夢を見た。遥か遠くに大切なものを置いてきた、そんな夢を。
目覚めた時、首元に汗が流れるのを感じた。何か恐ろしい夢を見た気がする。でもそれがどんなものだったかなど、もう思い出せそうにない。
時計を見ると、まだ深夜三時を回ったばかりだった。眠らなければ、明日の仕事に支障が出る。毛布を被り直して寝ようと試みるも、なかなか眠れそうにない。
何か考えていれば、知らないうちに眠っていることだろう。何か。何かと言われても。考え事といえば、ルカのことばかりが頭を巡る。
ルカは最近、俺を避けているように感じる。廊下で目が合いそうになってもすぐに避けられ、普段の優等生ぶりはいったいどこへ行ったのか、挨拶すら交わさない。委員会などの連絡を伝えても、返ってくるのは「そうですか」の一言だけ。しばらくして俺は、彼女に声をかけることをやめた。
まるで最初の頃に戻ったようだった。二年前と違うのは、彼女がこちらに視線を寄越さないこと。その目が合うことは、唯の一度もない。
こうなった原因は俺しかいないだろう。以前、始音と話していたのを聞かれたのだ。別に聞かれたって構わないような話なのだが、彼女にはそうではなかったらしい。
彼女の態度から察するに、聞かれた会話は一部だけ、俺の余命のことだろう。それで自分に負い目を感じて避けている。よくもまあ、ピンポイントに重い部分だけ聞いたものだ。彼女の態度は当たり前かもしれないが、俺からすればなんてことはないのだ。残り数年で死ぬと決まったわけではあるまいし、俺は死ぬ気は全くない。それが亀裂を残したままなら尚更だ。
ある夜、俺は校舎に残っていた彼女と会ってしまった。俺と話をするのは気まずいだろう。そう思って彼女に早く帰るよう促した。だが彼女は帰ろうとしない。その場から、離れようとすらしなかった。
彼女の頬には涙が伝っていた。気づけば、俺は彼女に問いただしていた。俺を避ける理由を。
ある程度はわかっているくせに、それでも彼女の口から聞きたかった。もし俺の予想通りなら、誤解を解きたかった。余命は彼女のせいじゃない。そして、延命の方法があることを。それでも彼女は答えない。思わず彼女の腕を掴んで、逃げられないようにしていた。
『彼女に出会わなければ病気が再発することも、事故に遭って後遺症を負うこともなかった』
そんな風には思わない。遅かれ早かれ、俺への苦難は起きていたはず。彼女が自らの後悔を一つずつ話す度に、腕を掴む力は強くなる。
彼女は聞こうとしない。してくれない。俺の話を、聞いてくれない。だから壁に押し付け、肩を掴んで、彼女を黙らせる言葉をかけた。
「少し黙れよ」
まさか、彼女を無理やり黙らせることを、俺自身がするとは思わなかった。下唇をなぞり、吐息がかかりそうな距離で、彼女に聞こえるようにはっきりと簡潔に伝えていく。
「なんなら証拠を見せようか? 今すぐに」
彼女の呼吸が浅くなり、肩が震えているのを感じたところで、俺は我に返った。俺は何を焦っている? ここで彼女を怯えさせて、何になるというのだ。そう思った瞬間、彼女が手を解いて、教室から離れて行った。
土砂降りの雨が降っても、彼女を追いかけることはできなかった。かける言葉が見つからないから。でもせめて、傘を差し出すくらいすればよかったのに。この日の俺の行動は、全て失敗だった。
思い返せば、この一年で随分とたくさんのことがあった。丁度一年前の文化祭の時期、学園長から音無事件について聞き、彼女とは共に舞台の上で役を演じることになって。春に事故に遭って、記憶が混乱して。まるで別人になっていた。
そう。教職から離れ、病院でただ生きるためだけに息をしていたあの時期。約半年に渡る期間、俺は記憶喪失のまま別人として過ごしていた、らしい。
周りは気づいていないが、俺は事故に遭ってから、約半年間の記憶がない。俺からすれば、こっちのほうが記憶喪失だ。事故で気を失った後からは、彼女が夜遅くに病室を訪ねてきた、あの日以降しか記憶にない。あの日まで俺は別人として過ごしていたような感覚があるが、肝心の内容が思い出せない。時が経ってからは、あの日以前の俺がわからない。
おかしいじゃないか。それまで俺は無意識だった? でも生活していたじゃないか。じゃあ、それまで息をしていたのは誰だ? 彼女を、「巡音さん」と呼んでいたのは、誰?
考えれば考えるほど眠れない。何より首元の汗が気持ち悪い。洗ってから眠り直そう。
洗面所の電気をつけて、蛇口を捻る。ついでに顔も洗ってしまおう。毛布がいると感じるようになったこの季節に、水道の水は身に染みる。鏡を見ると、少しやつれたような自分の顔が映っていた。
「……酷い有様だな」
蛇口を締めて、電気を消そうとスイッチに手を伸ばした。
《確かにこの有様では、とても彼女には見せられないよね》
その声に、酷く聞き覚えがあった。
今はもう、ビデオなどでしか聞くことができない。同じようで、違う。思い出そうとしても、もう思い出せない声。それは、声変わりする前の、自分自身の声だった。
振り返ると、そこには幾分か背丈の低い少年が映っていた。俺は、夢でも見ているのか。
「彼女のこと、知っているのか」
鏡に対して喋るなんて、頭でもおかしくなったのだろうか。声は頭の中に響いている。その声に合わせて、鏡の人物の口が動く。
《何分かったようなことを言っているのさ。僕はある意味、君よりは“巡音ルカ”のことを知っているよ》
「ある意味? それは何を指している」
《無論、さっきまで君が考えていたことだよ。半年間に渡る空白の記憶。そこにあったはずの、君が記憶できなかった彼女の真実さ》
「真実?」
《君にとっての最悪のバッドエンド―――それが何か分かるかい?》
「……まさか」
俺にとっての最悪のバッドエンド。それは昔から見続けてきた夢のせいで、俺の心に深く刻まれている。
夢の中の自分がしたこと。それをされるのが一番の絶望。すなわち、彼女の自殺。
《そのまさかさ。僕もその結末は嫌でね。そのへんは、君と通じるものがあるよね》
「でも彼女は、生きているじゃないか」
《僕が寸前で止めたからね。人生最大に焦ったよ。その上、事故の後遺症と発作でもう動きづらくて。君の身体は、かなり厄介な代物だね》
「ああ、そうかよ。あれでも二十年以上動いてきたんだけどな。……まあ俺は、お前に聞きたいことが山ほどあるんだが」
《奇遇だね。僕も、君に話したいことが山ほどあるよ》
喋っていくうちに、心のどこかで引っかかっていた違和感がなくなっていく。十三歳の冬、心臓に欠陥を抱えていると自覚した日から、今に至るまで見続けてきた夢。その正体を、自分の目ではっきりと、見せつけられた。
「俺に記憶がないわけだ。あの時期、身体の所有権を握っていたのは、お前だったんだから」
《やっと気づいた? そう、人格や感情を構成するのは記憶。当たり前のことだろう?》
「そうだな。お前の正体に気づいた上で聞いてやるよ。なあ……お前は、誰だ?」
心臓が、痛い。俺はここで倒れてしまうかもしれない。今だけはそれでも構わない。この機を逃すと、俺は重大なことを見落としてしまう。そんな気がした。
胸を抑え、息苦しい俺とは対照的に。鏡の中の自分は、中学生という姿に似つかわしくない、不敵な笑みでこう告げた。
《僕は君に罰という“呪い”を背負わせた張本人―――『神威 学』。初めまして、後輩君》
【がくルカ】Plus memory【5】
2016/04/25 投稿
彼の真実。
28話の彼視点から、29話の間のお話。
何話かの伏線回収回。
決して急展開ではありません。
本編最終回に入るはずだった話を、長くなるのでこちらに持ってきました。
がっくんの多重人格という設定は、かなり前から出来ていたものです。
本編でがっくんが前世のことを語っている時、それは全て学が自殺するまでの僅かな出来事のみです。
それは繰り返し夢に見たからわかっているのであって、学であった頃の記憶自体はないのです。
故に、22話以降の彼も、人格は別です。
その証拠に、記憶が戻ってからも、彼は当時の一番の事件であるルカの自殺未遂に関して一切話していません。
そして、9話でグミが語った「13歳でがくぽが心臓の病気があることが判明した」という話。
同じように、「この声が届くまで」では、彼は中学1年生…つまり13歳で亡くなっています。
がっくんの病気は、30話で彼が語ったように、呪いの象徴として扱われています。
つまり、彼の背負う呪いは前世と関連付けられているのです。
でも、現実から逃げたくらいで、そんな重い呪いがかけられるのか?
その理由は、Memoriaの方で書きます。
ルカとの対話は3学期。28話ではまだ2学期でした。
そんなに長い間、どうして彼が行動を起こさなかったのか。
その理由が今回の話です。
彼はもう一人の自分との対話により、自分の考えをまとめることになるのでした。
改稿しましたが内容は変わっていません。
前:Plus memory4 https://piapro.jp/t/vE3e
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ご意見・ご感想
Tea Cat
ご意見・ご感想
にゃあああああああああああああああああうおおおおおおおおおおおおおありがとうございます!!!!ありがとうございます!!!!!!!!!(あまりの尊さに語彙力を失う茶猫の図)
Memoriaのほうもゆっくり待ってるよ!!(´∀`*)
ブクマもらいます☆にゃぁ
2016/04/28 00:45:43
ゆるりー
落ち着け!
ゆっくり書いていくよ。ゆっくりすぎるのが問題だけど。
ありがとう!
2016/05/11 21:50:07