年が明けた。わたしは、重たい気分で目を覚ました。今日は元旦だから、家にはお客さんが来る。毎年の恒例行事。
朝食を食べた後、わたしとルカ姉さんは、お母さんに着物を着せてもらった。ルカ姉さんは濃紺に梅の柄、わたしのは淡い緑に福寿草の柄だ。
正確に言えば、着せてもらったのはわたしだけで、ルカ姉さんはほとんど自分で着ている。ただ髪だけは自分でやると大変なので、手伝ってもらっていた。
確かルカ姉さん、大学の頃に着付け教室にしばらく通ったのよね。わたしもいずれ通わされるのかな。
時計を見る。……もうちょっとだな、お客さんが来るの。良家の娘らしくしていないと、お父さんの雷が落ちる。
わたしが内心でため息をついていると、お手伝いさんがやってきた。神威さんが来たらしい。神威さんは、ルカ姉さんとの結婚が控えているので、今日はこっちで過ごすのだ。
わたしは、ちらっとルカ姉さんを見た。いつもと全く同じに見える。目があいそうになってしまったので、あわててそらす。
支度を済ませたルカ姉さんはついと立ち上がって、部屋の外に出て行った。……神威さんを出迎えに行くんだろう。
「リン、きついところはない?」
「大丈夫」
お母さんが訊いてきたので、平気だと答える。着物は見た目は華やかだけど、動きにくい。そのせいか、着るとなんとなく気詰まりな感じがどうしてもしてしまう。
「髪、今日はあげましょうね」
お母さんが、髪を着物にあうように整えてくれた。鏡の中には、お正月用の華やかな着物を着たわたしが映っている。
……レン君に、見せたかったな。お父さんのお客さんなんかじゃなくて。わたしは唇を軽く噛んで、辛い気持ちをこらえた。
毎年恒例の新年会が始まって、しばらく経過した時だった。困った表情のお手伝いさんがやってきて、お母さんに何やら耳打ちした。
「リン、ちょっと一緒に来て」
お母さんは立ち上がると、わたしを呼んだ。……何だろう? お料理に不都合でも出たんだろうか? お父さんが、不機嫌そうな表情になる。
「カエ、何をやっているんだ」
「ちょっとした問題よ。すぐに片付くけど、リンもいてもらった方がいいから」
わたしは困って、二人を見ていた。でも、お母さんがもう一度手招きしたので、お母さんと一緒にお座敷を出た。
「お母さん、何?」
お母さんは困っているみたいだった。どうしたんだろう。わたし、何かした?
「リン……活音メグミさんって子は、知り合いなの?」
わたしは驚いた。どうして、ここでグミちゃんの名前が出てくるの?
「高校の後輩だけど……グミちゃんがどうかしたの?」
「それが……」
「リン先輩、あけましておめでとうございま~すっ!」
聞き憶えのある大きな声がして、グミちゃんがだだっと廊下に駆け込んできた。
「わ、すごい、着物だあ! リン先輩ってお正月は着物着るんですね」
わたしは呆然としてしまった。なんでここにグミちゃんがいるんだろう? 思わず目をこすってみたけど、確かにグミちゃんだ。にこにこと満面の笑顔で、こっちを見ている。
「グ、グミちゃん……」
「すいません奥様、玄関ホールで待つように、このお嬢さんには言ったんですが……」
後ろから、これも困った表情のお手伝いさんがやってきた。
「あ、あのグミちゃん、ここだとお客さんの邪魔になるから、玄関ホールで話しましょう。ね?」
グミちゃんの声は大きいから、下手するとお父さんに聞こえてしまう。そんなことになったら、お父さんは怒鳴りだすだろう。わたしはグミちゃんの手を握って、玄関ホールへと移動した。ここなら多分大丈夫だろう。お母さんもついてくる。
「グミちゃん、一体どうしたの?」
「お正月だから、あけましておめでとうを言いにきたんです」
えーっと……それだけで、わたしの家に? というか、どうしてわたしの家を知っているんだろう……。
「というわけで、リン先輩、出かけましょう」
グミちゃんはわたしの手を取った。何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
「出かけるって……」
「初詣ですよ初詣! 一緒に行けば楽しいですよ!」
グミちゃん、初詣なら躍音君と一緒に行けばいいのに、なんでわたしのところになんか来たんだろう?
「えーとあの、初詣って言われても、わたしは……」
「リン、行ってくればいいわ」
わたしを遮り、お母さんがそう言った。え?
「お母さん……」
「折角お友達がこうして誘いに来てくれたんだもの」
「で、でも……」
「お父さんは、しばらくはお客さんの相手でこっちを伺えないでしょうし」
わたしだって家にいるより、グミちゃんと初詣に行きたいけど……。そっちの方が楽しいだろうし……。
「……いいの?」
「行ってらっしゃい。あ、そうだわ、お嬢さん、少し時間はある?」
三十分後、わたしはグミちゃんと車で、グミちゃんが行きたいと言った神社に向かった。グミちゃんは、ものすごくはしゃいでいる。
「先輩のお母さんって、着付けできるんですね! すごいです、あたし、着物なんて七五三以来ですよ!」
「あの……その着物、平気?」
グミちゃんが今着ているのは、ハク姉さんが高校の頃に着ていた着物だ。お正月に以前着ていたのを見たことがある。お母さん、大切に箪笥に仕舞っておいたはず。
「え? 平気って、何がです?」
「他の人が袖を通したものは、嫌じゃないかと思って……クリーニング済みではあるんだけど……」
「折角着物を着れるのに、そんな細かいこと一々気にしてませんよっ!」
ぱたぱたと手を振って、グミちゃんはそう言った。喜んでいるみたいだし、いいのかな……。
「それにしても、リン先輩の家って、大きいですね。話には聞いていたけど、びっくりしましたよ」
わたしは、内心でため息をついた。家のことを言われるのは、あまり嬉しくない。グミちゃんの場合、すごくあけっぴろげだから、そんなに嫌な感じはしないけど。
「う、うん……」
「あんなに大きいと、家の中で迷子になっちゃいそうです」
さすがにそれはないけど……。グミちゃんは興奮しているようで、神社に着くまでずっと喋っていた。わたしはあまり上手に受け答えできなかったけど、グミちゃんを見ているのは、なんだか楽しい。
神社に着くと、グミちゃんは勢い良く車から降りて、うーんと伸びをしている。わたしは運転手さんに帰りの時刻を告げて、車から降りた。運転手さんが「では」と言って、引き返して行く。
「ねえグミちゃん、なんでここの神社にしたの?」
大きい神社ではないから、観光名所でもなさそう。そしてわたしの家からは、かなり距離がある。車だからあまり気にならないけど。もしかして、グミちゃんの家から近いんだろうか。
「……リン先輩鈍いですね、そんなの単純な話ですよ」
「え?」
「あ、いたいた! こっちです、こっち~っ!」
グミちゃんが大声で叫んで手招きした。その声に、こっちにやってくる人影が二つ。え……あ……。
「レン君!?」
レン君と、躍音君だ。わたしは、思わずグミちゃんの顔を見た。グミちゃんは、にこにこ笑っている。
「鏡音先輩に頼まれたんです。リン先輩を、連れて来てくれって」
レン君がわたしの前に立って、手を取った。
「折角の正月なんだから、一緒に出かけたかったんだよ」
……頬が赤くなる。わたしはそのまま視線を伏せた。いいのかな……こんなに、いいことがあって。胸の奥が熱い。
「……ありがとう」
ようやく、わたしはそれだけを言った。やっぱり、嬉しかったから。諦めていたのに、こうして会うことができて。わたしは顔をあげて、微笑んだ。
わたしたちは、一緒に神社にお参りをした。お賽銭箱にお賽銭を入れて、それから願いをかける。お願い事……。
レン君とずっと一緒にいたい。
わたしの頭に真っ先に浮かんだ願いは、それだった。……わがまま? 自分勝手? もっと他に、願わなくちゃならないことが、あるんじゃないの? お母さんのことや、姉さんたちのこと。罪悪感で、胸が痛くなる。
「リン?」
レン君が、心配そうに声をかけてきた。……あ、いけない。
「お願いって……一つじゃないと、駄目なのかな」
こういうのを、きっと欲張りって言うのよね。
「おめでたい日なんだし、思いつくかぎりのお願いをしてもいいんじゃない? それでバチを当てるほど、神様だって心が狭くないと思う」
レン君の答えは、わたしが言ってほしいと思っていた言葉だった。わたし、なんでこんなことを訊いてしまったのかな。そう答えてくれることなんて、簡単に予測できたはず。優しさに甘えないようにしないといけないのに。
「う、うん……ありがとう」
わたしはもう一度手をあわせて目を閉じて、願い事をした。ルカ姉さんやハク姉さんを助けてください。それから、お母さんの願いはわからないけど、それも叶えてください。
そして……やっぱり。
レン君と、ずっと一緒にいさせてください。この恋に、幸せな結末をください。
お願いをして、おみくじを引いて――結果は「吉」だった――、境内を散歩したり話をしたりして、その日は過ぎた。
お父さんをあまり怒らせたくなかったので、少し早めに家に戻ることにする。グミちゃんはわたしの家に着てきた服を残してきたので、一緒に帰ることになった。
「グミちゃん、ごめんね。躍音君と、もっと一緒にいたかったでしょ?」
「大丈夫ですよ、明日も遊びに行く約束はしてますし。それに、グミヤ先輩に『着物も似合ってる』って言ってもらえましたし」
グミちゃんの様子が明るかったので、わたしは少しほっとした。
自宅に着くと、わたしはグミちゃんを着替えさせた。ちょっと考えて、運転手さんに頼んで、グミちゃんを自宅まで送ってもらうことにする。グミちゃんは遠慮していたけれど、車の方がきっと早いし、今日外に出られたのは、グミちゃんのおかげだ。これくらいしないと。
お父さんは案の定機嫌が悪かったけど、今日のことが楽しかったので、お説教も普段よりは気にならなかった。
お願い、叶いますように。
ロミオとシンデレラ 第五十七話【こうもりワルツ】
かなり強引の展開になってしまいましたが、初詣のエピソードを入れてみました。
ところで、三月のNHK-BSのプレミアムシアターの放映予定をチェックしていたら、珍品揃いでびっくり。初っ端から原作チャペック、作曲ヤナーチェクの『マクロプロス』ですもの。これは見なくては。斬新な演出というのが引っかかりますが(初見のオペラはなるべくオーソドックスな演出で見たい)
というわけでBSさん、そのうちにマスネの『サンドリヨン』を放映してもらえないものでしょうか……。
コメント0
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る次の日、わたしはいつもと同じ時間に登校した。昇降口に入った時は、ちょっとだけ怖さを感じたけれど、もうあの男の子もいなかったし……。
教室に入って、本を開く。今日持ってきたのは、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』だ。フランスの農村を舞台にした、双子の兄弟と風変わりな少女の恋の話。
「おはよう、巡音さ...ロミオとシンデレラ 第四十話【空想の虹はすばやくかききえる】
目白皐月
結論から言うと、わたしの怪我は大したことはなかった。脳の映像を撮ってもらったりしたけれど、異常は何もないということで、一週間で家に帰れることになった。土曜日の午前中、お母さんが迎えに来てくれて、わたしは多少の怯えを感じながらも帰宅した。
お母さんは、ミクちゃんのお見舞いのことについては、特に何も...ロミオとシンデレラ 第四十八話【一人離れて行く者】
目白皐月
月曜の昼休み、俺はミクから、巡音さんが階段から落ちて、入院する羽目になったと聞かされた。
階段から落ちただけならドジだなあ、で、済むが、入院となると大事だ。何だってまた、と思ったが、ミクも細かい話は聞いていないらしい。
「そういうわけだから、わたし、放課後はリンちゃんのお見舞いに行ってくるわ」
...ロミオとシンデレラ 第四十九話【クオ、部活にて】
目白皐月
注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
『アナザー:ロミオとシンデレラ』の方に登場した、メイコのボス、マイコ先生の弟のカイトの視点です。
この作品に関しては、『アナザー:ロミオとシンデレラ』を第四十三話【君に出あってからは旋風のようで】まで読んでから、読むことを推奨します。
...ロミオとシンデレラ 外伝その十五【カイトの悩み】前編
目白皐月
わたしたちは、残りの昼休みの間中、結局ずっと一緒にお喋りをしてしまった。躍音君は、風邪を引いてお休みらしい。
その時に教えてもらったのだけど、グミちゃんは中学入学時に、今の住所に引っ越して来たのだそうだ。そして馴れない土地な上に、もともとの方向音痴が加わって、迷子になってしまい、途方にくれている...ロミオとシンデレラ 第五十一話【恋はハートが決めるもの】後編
目白皐月
その日の夜遅く、わたしは自分の部屋でぼんやりとしていた。頭の中には、色々な考えがとりとめもなく渦巻いている。その考えは、大きく分けると二つ。片方は、鏡音君のことだ。どうして、今日は態度が妙だったというのかということ。何かした憶えはないけれど、わたしは人の心の機微には疎いから、気がつかないうちに何か...
ロミオとシンデレラ 第四十二話【辛すぎる忍耐は心を石に】後編
目白皐月
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想