巡音さんのお弁当箱の中身を、結局俺も分けてもらったが、確かに美味しかった。姉貴が「美味しい」を連発したので、俺は何も言えなかったけど。巡音さんのところって、運転手さんがいるぐらいだから、料理も専門の人がいるのかもな。ああいう生活は、俺には想像がつかない。今度クオに訊いてみるか。
食事が終わると、姉貴は空になった皿を下げに行った
「鏡音君のお姉さんって、いつもあんなに賑やかなの?」
巡音さんがおずおずと訊いてきた。
「姉貴? まあね~。大体いつも、うるさいぐらいよく喋るよ」
それに詮索も好きだったりするし……。今日はお客さん――それも、後輩の妹――が来ているということで、ちょっとは自重してくれているみたいだけど。
そこへ、飲み物のお代わりを持って、姉貴が戻って来た。……やべ。今言ったこと、聞かれてないよな。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
どうやら、聞かれてはいなかったらしい。助かった。俺はほっとして、姉貴が持ってきてくれたお代わりのコーヒーを一口飲んだ。
「ねえ、リンちゃんって、今の学校は、中学と高校、どっちから?」
何故か、姉貴は巡音さんにそんなことを訊き始めた。……何だよいきなり。そういや、うちの学校って中等部もあるんだよな。俺は高等部からだから、あんまり気にしたことなかったけど。
巡音さんは、多分中等部からだろうなあ。クオが前、初音さんは中等部からみたいなこと、言ってたし。
「中学からです」
あ、やっぱり。
「ふーん、知ってるだろうけど、レンは高校からなのよ。編入と持ち上がりって、何か違いとかあったりする?」
姉貴は、今度はそんなことを訊き始めた。我が姉貴ながら、何がしたいんだ一体。巡音さんはと言うと、姉貴の質問に首を傾げている。
「ちょっとわかりません……」
そりゃ、確かに答えづらいよな。俺だって、こんなこと訊かれても返事しづらいよ。強いて言うなら、一年次は持ち上がり組と編入組は、違うクラスになるってことぐらいか。
「中にいるとわからないものかしらね」
姉貴はそんなことを言っている。
「姉貴、何だってそんなことを訊くわけ?」
「ただの好奇心よ」
そうか? そうは思えないんだが……。
「あんまり質問責めにすると、巡音さんが困るだろ」
「リンちゃん、困ってる?」
「え……いいえ」
ふるふると首を横に振る巡音さん。姉貴が胸を張る。
「ほーら、こう言ってるじゃない」
「それは、巡音さんが姉貴に対して気を使ってるんだってば。……巡音さん、姉貴に訊きたいことあるんだったらなんでも訊いていいよ。巡音さんばっかり答えるのは、フェアじゃないから」
さすがにちょっといらっと来たので、俺はこう言ってみた。あ、でも、巡音さんの性格だと、姉貴を質問責めにするのは無理かな……。
俺にこう言われた巡音さんの方はというと、例によって考え込んでいる。
「あの……」
しばらくして結論が出たのか、例によって巡音さんはおずおずと切り出した。
「うん、何? スリーサイズと体重以外だったら何でも訊いていいわよ」
姉貴の方は余裕たっぷりだ。そんなこと巡音さんが訊くわけないだろ。
……うーん、彼氏はいますか? とか、訊いてくれると面白いんだけど。訊かないだろうなあ。
ところが、巡音さんが口にしたのは、違う意味で意外なことだった。
「……鏡音君から聞いたんですけど。お姉さんが、『ラ・ボエーム』のロドルフォのことを、ヘタレだって言っていたって。それで……」
「ちょっとあんた、リンちゃんになんてこと言ったの!?」
巡音さんを途中でさえぎり、姉貴は俺にそう怒鳴った。いや……。
「話のネタにちょうどよかったから、つい……」
「ついじゃないわよついじゃ! 何考えてるの!?」
「だって本当のことだろ。姉貴が酔っ払ったあげく、ロドルフォをヘタレの甲斐性なしって怒鳴りまくったのも、脚本にケチつけまくったのも」
「だからってハクちゃんの妹にそんなこと、言わなくてもいいでしょうがっ!」
「その時は、巡音さんのお姉さんが姉貴の後輩だなんて知らなかったんだよっ! わかるかそんなことっ!」
ここまでやりあったところで、俺と姉貴は、巡音さんが引きつった様子でこっちを見ているのに気づいた。どう見ても怯えている。……まずい。
「あ……えーと、その……」
「ああ、気にしないでリンちゃん。定例の姉弟喧嘩だから」
違うだろ。内心でそう突っ込みたいのを、必死でこらえる。そりゃ、この程度の言い争い、よくあるけど。
「で……『ラ・ボエーム』の話ね。確かに言ったし、今でもそう思うわよ。あの主人公はどうしようもないヘタレの甲斐性なしだって。だって、生活力は無いし、つまんない理由で恋人を捨てるし――くだらないこと画策してる暇があるんなら、バイトして薬代の一つでも作ればいいのよ――最後の時は恋人の手すら握ってあげられないんじゃあねえ。ヘタレとしか言いようがないわ」
姉貴は開き直ったのか、そんなことを言い出した。……巡音さんは、まだ微妙に引いている。
「あの……すいません……」
「ああ、リンちゃんに怒ってるわけじゃないから、そんなに構えないで。怒ってるのはあの主人公に対してだから」
言いながら俺を横目で睨む姉貴。はいはい、俺にも怒ってるって暗に言いたいんだろ。
「……えっと……」
「何?」
「そういうこと言うのって……怖くないんですか」
巡音さんは、こんどは妙なことを訊いてきた。姉貴がきょとんとした表情になる。
「怖いって、何が?」
「その……プッチーニって、もともとイタリアオペラを代表する作曲家ですし、その中でも『ラ・ボエーム』は、彼の代表作で、最高傑作だって言う人もいるし、『泣けるオペラ』と評判だったりするし……」
「え、あれって『泣ける作品』だったの」
姉貴、身も蓋も無いな。それにしても『ラ・ボエーム』って、泣ける作品って扱いなのか。そういう感じはあまり受けなかったが……。あ、でも、『RENT』を劇場に見に行った時は、劇場で泣いている人が結構いたから、『ラ・ボエーム』も発表当時は泣いてしまう人がそれなりにいたのかも。
「一応そのはずです……」
「うーん、でも、あれじゃ泣けないわねえ。何せ主人公がボンクラすぎるし」
本当に容赦ないな。
「泣けるとか何とか云々以前に、姉貴その手の作品じゃ泣かないだろ。人を死なせて泣かせのシーンを作るのはあざといって、しょっちゅう言ってるじゃん」
高校時代、『ある愛の詩』を授業で見る羽目になって、すごく疲れたとか言っていたし。
「レンは黙ってて。あんたが口挟むと話がわき道に行くから」
姉貴は俺を肘で小突いた。
「で、リンちゃんは何が気になっているの?」
「あの……だから……高い評価を受けている作品に対して、そういうことを言っちゃっていいのかってことが……」
「そう言われてもねえ……実際に見ていてしらけちゃったわけだし。その、プッチーニって人には悪いんだけど、もうちょっと話の組み立て方を考えてほしいわ」
あ、それは俺も同意かも。なんというか、話の展開が全体的に唐突すぎて、見ていてそれはないだろって思えるところが結構あった。『RENT』を先に見ていたのあるだろうけど。ラーソンは後発だから、問題点がわかってそこを修正していったんだろうなあ。
……その割に、名作映画のリメイクってのは駄作ばっかりだよな。なんでだろ。
「そうねえ……じゃ、ちょっと訊くけど、リンちゃんはあれ見て泣いたの?」
「……いいえ」
巡音さんは首を横に振った。
「結局、そこに帰結していくと私は思うのよね。例え世界中の九十パーセントの人が認めた名作だって、あわない時はあわないんだし。リンちゃんがその作品を見てどう感じたのか、どう思ったのかってことを、まずははっきり見極めないと」
姉貴は、らしくもなく真面目なことを言い出した。
「おかしくて笑っちゃうにせよ、逆に悲しくて泣いてしまうにせよ、自分がどう思うのかが大事でしょ。それがわからないんじゃ、自分がどこにいるのかもわからないわよ。そして更に自分の立ち居地をはっきりさせて、自分の考えってものを確立させて行く。そこが大事なんじゃないのかな」
明日は雨でも降るのかなあ。姉貴が喋っているのを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
「まあ、更に付け加えさせてもらうと、一言だけ『つまらない』だの『泣きました』だので、終わらせてしまうのも良くないと思うのよね。せめてどうしてそう思ったのかぐらい、自分でちゃんと説明できなくちゃ。少なくとも、私自身は、自分で自分の感情や考えを、説明できるようにしておきたいの」
ま~確かに、映画とかの話をしていて「つまらない」や「泣きました」だけで終わられると、そこから先の話が続かないんだよなあ。
「なんか、らしくもなく真面目な長話しちゃったわ」
なんだ、自覚はあったのか。
「いえ……色々と、ありがとうございました」
巡音さんは真面目な表情でお礼を言っている。姉貴は嬉しそうだ。……なんだろう。
……なんだか、面白くない。
「あの……もう一つ、いいですか?」
巡音さんはそう言って、鞄からDVDを一枚取り出した。
「もしよかったら、これを見てもらいたいんですが……」
姉貴がDVDを受け取る。俺は身を乗り出して、姉貴の手元のDVDを見た。ドレスを着た女性がパッケージに映っている。
「……『タイス』ね。これもオペラ?」
「はい。このオペラの主人公のことを、どう思うのかが知りたくて……わたし、どうにもよくわからなくて」
なんで姉貴に訊くんだ? 妙な意見を聞かせてもらえるサンプル扱いなのか?
「巡音さん、『タイス』って、どういう意味?」
話題が変わったので、俺は口を挟んだ。
「ヒロインの名前なの。このパッケージの女性がそう。彼女は遊女というか、高級娼婦というか、吉原の花魁みたいな人なのね。で、主人公はアタナエルという男性で、修道士。オペラの舞台は四世紀のエジプト」
さすがというか、巡音さんはすらすらとオペラの情報を喋った。修道士と高級娼婦……どういう話だ、それ。
「変わった設定だな」
「でも結構面白そうじゃない。今見てもいい?」
姉貴はそんなことを言い出した。
「わたしは構いませんが……」
巡音さんがちらっとこっちを見た。
「俺もいいよ」
話の中身、気になるし。さすがの姉貴も昼間っから飲む趣味はないから、この前みたいなことは起きないだろう。
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