思い余った私は、ガクトさんに電話をかけてしまった。といっても今は仕事中だから、「時間が空いたら少し話がしたい」とあらかじめメールをしてからにする。ガクトさんからはすぐ電話がかかってきた。
「どうした。ルカ、何かあったのか?」
「あ……その……今、時間いいの?」
「ちょうど一区切りついたところだ。心配するな」
 嘘……かもしれない。今の私は、前より落ち着いたとはいえ、危なっかしいことには変わりがないのだから。そういうふうに気を遣わせてしまう自分がうとましい。
 話をしようかどうか、少しだけ迷った。でも、下手にためらうと、余計時間を使わせてしまう。私は、話をすることにした。ハクが来たこと、つい本当の気持ち――リンが嫌いということ――を話してしまったこと、それをリンに聞かれてしまったこと、そして、リンに「許す」と言われてしまったことだ。
「私は、やっぱりリンのことは好きになれない。あの子に向けている感情が理不尽と言われるものだということはわかっているし、母が私とあの子が和解してくれることを願ってくれているのもわかっている。でも、どうしても自分の感情と折り合いがつかないの」
 ミカは、まだいい。相変わらず自分が生んだという実感がないけれど、前みたいに不可解だと思うことはなくなった。一緒にいるのが楽しいと思えるときもある。やっぱりイライラしてしまうこともあるけれど、母には「子育てに満点なんてないの。できるのは精一杯やるということだけ。イライラすることで自分を責めるのはよしなさい」と言われている。
 でもリンは、ミカのように責任があるのとは違う。だからだろうか、私はやっぱり、リンのことを許容できない。
「……難しい問題だな」
 私の話を聞いたガクトさんは、そう言って黙ってしまった。
「世の中には、どうしても反りがあわない人がいる。ルカがどうしてもリンちゃんのことを好きになれないというのなら、無理に好きになろうとしなくてもいいだろう。……ただ、その感情をリンちゃんにぶつけるのだけは、よした方がいいな」
 ガクトさんの言うことはもっともだった。でも……。
「リンを見ていると、心がざわざわするの。……どうしたら私、リンを許せるようになるの?」
「うーん……俺からすると、ルカがリンちゃんを許すというのがピンと来ないんだが……」
 ハクと同じようなことを、ガクトさんは言い出した。
「『許せるようになるのか』と俺に訊くということは、ルカはリンちゃんを許したいと思っているわけだから、後一歩のような気がする」
 私は、リンを許したいのだろうか? 考えてみる……よくわからない。
「私、リンを許したいって思ってるの?」
「……俺は、ルカじゃないからなあ。その問いに一番答えられるのは、ルカ自身だろう」
「私は、自分で自分のことがよくわからない」
 ガクトさんは黙ってしまった。多分、私が変なことを訊いたせいだろう。どうしてこう、世の中というものは複雑なのだろうか。私にはもう、何が正しくて何が間違っているのか、何が当たり前で何がそうではないのか、それすらもよくわからない。
 ……そういう意味では、子供の頃は楽だった。父の言っていることに従っていれば、それで良かったのだから。それで全てが許されたし、父にも褒めてもらえた。だから、そうしないハクが、不思議でしかたがなかった。
 でも、父の言うことを盲目的に聞き入れるだけでは、駄目だったのだ。
「ここで、俺がああしろこうしろというのはおかしいと思う。ただ……そうだな。お義母さんの為にリンちゃんを許そう、とは考えない方がいい」
 でも、私がリンを許したいと思っているのなら、それはきっと、母の為だ。母が癌なんかになってしまったのには、私の面倒を見たことも関係しているような、そんな気がする。
「私、とにかくお母さんに安心してほしいの」
「ルカ、酷なことを言うかもしれないが、偽りの感情なんて、お義母さんにはすぐわかってしまうだろう。お義母さんに、今まで以上に気を遣わせることになるぞ」
「じゃあ、どうすれば……」
「とにかく、リンちゃんとはなるべく一緒にいないことだ。向こうもわかっているようだから、あわせようとしてくれるだろう」
 やっぱり、それしかないだろうか。人手はあるし、リンも他所に泊まると言っている。距離を置くのは、そんなに難しくないはず。
 でも……自分が不甲斐なかった。リンと仲直りできれば、きっと母は安心してくれる。リンには何の問題もないのに、私は自分の感情を抑えることができない。
「ルカ……俺が言うのもなんだが、ルカはお義母さんのことが大好きなんだと思う。辛いのはそのせいじゃないかな。でも……お義母さんはルカのことを大事に想っている。それだけは間違いない」
 それはわかっている。子供の頃は、母が可愛いのはリンだけだと思っていた。でもさすがに、この状況で、母の愛情を疑ったりはしない。
 私はガクトさんにお礼を言って電話を切ると、ソファの上に突っ伏した。やっぱり、考えがまとまらない。
「……おかあさん、ただいま」
 そうやってぼーっとしていると、ミカが学校から帰って来た。ソファに突っ伏している私を見て、驚いている。
「あ、お帰り、ミカ」
「おかあさん、ぐあいわるいの? またびょうき?」
 ミカは、私の病気は身体の病気だと思っている。真実は告げない方がいいと、ガクトさんに言われたので、本当のことは話していない。だからだろうか、ミカにこういう言葉をかけられると、何だか申し訳ない気持ちがする。
「違うわ、ちょっと考え事してただけ。お腹空いてるでしょ。ホットケーキでも作りましょうか。蜂蜜とメープルシロップ、どっちがいい?」
「はちみつ!」
 私はミカの手を握って、キッチンへと向かった。母のように毎日手作りのおやつというわけにはいかないけど、時々こうやって、甘い物を作る。
 こんな日だけど、ホットケーキは綺麗に焼けた。焼き立てにバターを乗せ、蜂蜜をたっぷりかける。キッチンに甘い匂いが漂った。その匂いを嗅いでいると、少し気分が和らいだ。……私も一緒に食べよう。
 母が毎日お菓子を焼いていたのは、キッチンから漂う甘い香りで、この家の中の空気を少しでもいいものにしようとしていたのかもしれない。ふと、そんな考えが、頭を過ぎった。


 リンはあの後、目を覚ました母としばらく話をしてから、レン君、ハクと一緒に帰って行った。リンが帰り際に挨拶に来たので、私はミカに挨拶をさせた。……考えてみれば、リンとミカが会うのは初めてか。
「リンおばさんは、どうしてがいこくにいるの?」
 ミカが無邪気にそう訊いてくる。
「向こうでお仕事をしているの。今回はおばあちゃんのお見舞いに戻ってきただけ」
「わたしもがいこくにいってみたい~」
 そんなことを言うミカ。……旅行。結婚するまで、私は旅行というものに行ったことがなかった。ガクトさんは婚前旅行には反対だったし、子供の頃は、就学旅行なんて縁がなかった。
「ミカ、お母さんはおばあちゃんの様子を見てくるから、しばらく一人でお勉強しててね」
「わかった~」
 いいお返事をするミカ。……ちょっと不安になったけど、私はミカを残して、母の部屋に行った。
「ルカ、どうしたの?」
 母はベッドの上で本を読んでいた。私は来たものの、どう切り出していいかわからず、その場に立ち尽くす。
「ルカ?」
「え……あ……リンはもう、帰ったのよね」
「ええ、レン君と一緒に。向こうのご実家に泊まるって言っていたわ」
 そう言えばそんなことを言っていた。私の方を見て、母が微笑む。
「……リン、何か言ってた?」
「ええ。病気を治して元気になってくれって、そう言われたわ」
 それはみんなが言っていることだ。
「でも……もう思い残すことなんて、ほとんど無いのよね。ルカはこうしてガクトさんのところに戻ったし、ハクもちゃんといい人を見つけたし、リンもしっかりやっているし」
 不吉なことは言わないでほしい。
「そんなこと言わないでよ」
「お母さんだって、ちょっとくらい自惚れたい時があるの。自分は三人の娘をしっかり育て上げられたんだってね」
 そんな言い方は……ずるい。
「お母さんは何か、やり残したこととかないの?」
「色々あるわ。ハクとリンの産む子供が見たかったとか。でも、これは神様が決めることだし」
 今から妹たちに妊娠してくれというのは無理がある。そもそもさっきあんなことがあった。二人とも、話なんて聞いてくれないだろう。
「もっと贅沢を言うのなら、ミカちゃんが大きくなるのだって見たい。大人になって結婚するところまで見届けたい。ルカに二人目が産まれるのなら、その子も見たい。でも言い出すとキリが無いし」
 母はそこまで言うと、私の手を取った。
「だからルカは、お母さんの分も、ミカちゃんを見てあげてほしいの。お母さんは、ルカの話をきちんと聞いてあげられなかった。ルカが何を欲しがっているのかに気づけなかった」
 そんなことはない。母の気持ちに気づかなかったのは、私の方だ。勝手にいずれ去って行く人なんだって決めつけて。母が私にしてくれた様々なことに、気づこうとすらしなかった。幼い思い込みに縛られていなければ、違う道もあったかもしれないのに。
「お母さん……私、どうしたらリンのこと、許せるようになるの?」
 気がつくと、私は母にそう尋ねていた。母が困った表情になる。
「どうしたらって……リンは何か、ルカに許してもらわなくてはならないようなことをしたの?」
 私は首を横に振った。リンが何かをしたわけじゃない。
「じゃあどうして、ルカはリンが許せないの?」
「わからない、わからないの……ただ、リンを見てると、昔の淋しかったことを思い出すの」
「それはお母さんの責任で、リンのせいじゃないわ」
「それもわかってるの。わかっているのに、気持ちが消えてくれないのよ」
 私は頭を抱え込んだ。この気持ちがなくなってくれれば、きっともっと楽になれるし、リンを許すことだってできるのに。
「……お母さんとしては、リンじゃなくてお母さんを責めてほしいけど」
 淋しそうな口調で母にそう言われ、私は思わず顔を上げた。
「それができないから、ルカは苦しんでいるのよね。そして、自分で自分が許せなくなる」
 母の言葉に、責める響きはなかった。それが、辛かった。
「気持ちの問題って、すごく難しいし、どうにもならないところがあるから。ルカは真面目だから、そうやって悩んでしまうんだって、お母さんは思うわ。もしかしたら……お母さんに似てしまったのかもしれない」
 私は驚いて母の顔を見た。私と母には血の繋がりはない。それなのに似るなんてことが、あるのだろうか。
「でもお母さん、私とお母さんは実の親子じゃないわ」
「性格面では、人は近くにいる人の影響を強く受けるという考え方もあるの」
 母の口調は優しかった。……自分と母に共通点があるなんて、今まで全然思ったことがなかった。あるわけない、そういうふうに考えていたから。
「お母さんも色々悩んだ。ルカたちのお母さんになるって自分で決めたのに、ルカやハクが懐いてくれないことで苛立った時期もあったわ。私がきちんとしたお母さんじゃないから、ちゃんと可愛がってあげられないから、二人とも懐いてくれないんじゃないかって」
 母が苛立っていたなんて、私は気づかなかった。私の記憶にある母は、いつも笑顔……ではなかったけど、私が帰宅すれば、いつでも「お帰り」と言ってくれた。手作りのおやつが用意してあって、それを私の前に広げながら「今日は学校、どうだった?」と訊くのが母の常だった。
「自分がルカたちのお母さんだって思いたくて、でも、血の繋がりのないお母さんがそういうふうに思うことは傲慢なんじゃないか、ルカたちと一緒の時間を過ごすことは、何かルカたちから大事なものを取り上げてしまっているんじゃないか、そう思えて仕方がないときがあった」
 ……考えてみれば、私の人生の節目に、母はいつも来てくれた。私だけじゃない、ハクのときだって。
「ルカが自分のことを許せなくても、お母さんが許してあげる。ルカはいい子で、大事な子で、それはずっと変わらない。……ルカがどれだけ困ったことになっても、お母さんはルカの味方でいるから。だから、ルカはルカにできることをしなさい。ミカちゃんのお母さんになるのも、お母さんみたいに料理に打ち込むのでも、仕事に復帰するのでも、なんでも、やりたいことをしなさい」
 母の言葉を聞いているうちに、私の目には涙がこみ上げてきた。母が驚いて、ハンカチを差し出す。
「泣かなくてもいいのよ。ルカはね、真面目すぎるから、思いつめてしまうの。真面目なのはいいことだけど、度が過ぎるのは何でも良くないのよ。お砂糖を入れればお菓子は甘くなるけど、入れすぎると甘過ぎて美味しくなくなってしまう。それと同じこと」
「……私、いつか、リンを許せるようになる?」
「ルカが許せるようになりたいと思うのなら、お母さんはそうできるって思ってるわ。でも、あせるのだけは駄目。寝かせるのが大事な時期もある。ルカが自分を信じられなくても、お母さんはルカを信じるから」
 父が母と結婚したのがどうしようもない理由だとしても、その結婚生活が幸せとは縁がなかったとしても……それでも、母が父と結婚してくれて良かった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その四十八【嫉妬は愛の子供】その四

 余談ですが、リンのお父さんはカエさんのことを「非常につまらない女性」と思っています。カエさんは美人ではないし、学歴があるわけでもない(ただし教養はあります。お父さんが理解してないだけ)からと。まあ、ショウコさんも学歴はないんですが。

閲覧数:872

投稿日:2013/01/06 20:51:28

文字数:5,515文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    ちょっと泣けてきそうです…。何かもう、悪いの全部お父さんじゃ……。
    カエさんもガクトさんもいい人過ぎて(笑)
    巡音家の姉妹間は難しいですね。ていうか、もう10年以上たっていたのか……。じゃあ、皆幾つなんだ…?
    だけど、ルカさんはきっと今からでも大丈夫な気がします。

    2013/01/07 15:10:07

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。

       さすがに全部お父さんのせいとまでは行きませんが(一応他にも色々絡み合っていますので)一番大きい要因は確かにお父さんでしょうね。
       カエさんは基本的にいい人ですが、もともと持ってた押しの弱さが悪い面に出たところもあります。がっくんは……良い人だけど、鈍いんですよね。でも二人とも色々考えて、やれるだけのことはやりました。

       年齢に関してはもう皆さんかなりいってますが、話の展開上仕方ないんです。本編スタート時は生まれていなかったミカちゃんが、もう小学生ですし。三十代になってしまったルカさんがこう、というのはイメージしづらいかもしれませんが、こういうのは引きずる人は本当に三十になっても四十になっても苦しむ問題です。

       後もうちょっとだけ外伝が続きますので、おつきあいください。

      2013/01/07 23:14:57

  • きいかん

    きいかん

    ご意見・ご感想

    初めまして。初コメです!
    毎日楽しく目白皐月さんの
    ロミオとシンデレラを読ましていただいてます!
    きいかんと申します。
    小学6年生です。
    元々は別のサイトで目白皐月さんの小説を読ませていただいていたのですが、
    そのサイトが消えてしまい、どうしても続きがみたかったので
    自力で探しました♪これからも素敵な小説を描いてください
    応援してます(^_^)/

    2013/01/06 21:12:43

    • 目白皐月

      目白皐月

       初めまして、きいかんさん。目白サツキです。

       別のサイトというと「小説家になろう」でしょうか。あちらは二次が全面禁止になってしまったので、掲載が不可能になってしまいました。使いやすいサイトだったので残念です。

       この作品はそろそろ終わりますが、また別のお話を掲載する予定ですので、よかったらそちらも読んでもらえると嬉しいです。がらっとカラーが変わるかもしれませんが。

      2013/01/07 23:10:49

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