狂ったように、帯人はアイスピックをリンにむけて振りかざした。
リンはとっさに包丁でそれを防ぐ。
しかし、帯人のほうが圧倒的に強かった。
数歩、リンは下がって体勢を立て直す。

その瞬間、はじかれたように帯人が私の手を引いて走り出した。
灰猫も先頭を走る。

「雪子、怪我は！？」

「大丈夫。服が切れただけだから」

「なら、行くよ。一気に走り抜ける…ッ！！」

無数の手をよけながら、その隙間をくぐり抜けるように走る。
肺がつぶれそうだった。けれど、足を止めるつもりはない。
――今は、走れ！

「嫌ぁあぁぁあああぁぁぁぁぁああああああ！！！！！」

背後から、闇を裂く声が聞こえた。
それは彼女の悲鳴にも似た声だった。

「一人にしないでッ！！　だめぇええ！！！　行かないでえええ！！
　もう嫌だ！　嫌だああああ！！！　ひとりぼっちは嫌ぁあああ！！！」

目の端から、彼女の姿を見た。
泣きながら必死に走ってくる。血だらけの手を前へ前へ精一杯伸ばし、
私たちに助けを求めるように。
でも、その手に捕まってしまえば殺されるのは明確だ。
私は前を向いて、とにかく走った。
追いつかれないように、必死で。

「あッ！！」

足がもつれて、体が――

「雪子ッ！」

前を行く帯人が戻ってくる。
けれど、それよりも、後ろから迫る彼女のほうが早い。
立ち上がろうとしたとき、彼女の気配を背後に感じた。

「せんぱぁあああいいいい！！！」

「きゃあッ！」

あと数センチ。
目前に迫る手は、むなしくも私に届かない。
彼女の体が突然動きを止める。
いや、止めたんじゃない。
止められたんだ。

彼女の体を、無数の手が押さえつけていた。

「邪魔ッ！　邪魔なのッ！！」

「雪子、行こう！」

「て、手が…！」

彼の手を掴み、私たちは走り出した。
リンの叫び声が天にとどろく。
無数の手はリンを押さえつけて放さない。

どうして、手が？

「帯人、手が…！！」

今まで邪魔していた手が、次々とその体を反らす。
私たちが十分に通れるように、道を作ってくれている。
茫然としていると、次々と手が揺れ始めた。

まるで「バイバイ」って言ってるみたいに。

そうだ。確かこの手は、犠牲者たちの手。
――応援してくれてるんだ。

たくさんの声が、風に乗って、グランド中に響く。



　（がんばって）
　　　　　　　　　（まけるな）
　　　（こわがらないで）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　（はしれ）
　　　　　　　　　　　（くじけるなよ）
（なかないで）
　　　　　　（だいじょうぶよ、あなたなら）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（ひとりじゃないわ）
　　　　　　　　　（おれたちがいる）
　　　　　　　　　　　　　　　（きっとだいじょうぶ）
　　　（おまえならやれるさ）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（あきらめるな）

　　　　　　　　　　　　（いけ）

　　　　　　　（いけ）

　　　　　　　　　　　（いけ）


　　　　　　　　　（いけ）



　　　　　　　　　「行けぇええええ！！！！」


レンの声が――！

図書館の扉の前までたどり着くと、灰猫はすぐに扉をこじ開けた。
そこは光に包まれた空間で満ちていた。

飛び込む前に、私は向かい側の校舎を見た。
窓から身を乗り出して手を振る、レンの姿があった。

「そこから絶対に助け出すから」

だから、待っていて。

私はその光へと飛び込んだ。
もう、怖くない。
もう、逃げないよ。
絶対に！