タイムスリップした先は、城内だった。
広い廊下が続いている。ひどく騒がしかった。
灰猫は窓に張り付いた。
窓からははっきりと、燃え上がる火の手が見える。
「革命だ…」
革命は起きてしまった。彼の言うとおり、避けられなかった。
落胆する雪子の頭を帯人は優しくなでた。
燃え上がる町。悲鳴をあげる人々。廊下を逃げまどう家臣たち。
その中、灰猫は城下に妙なものを見つけた。
「最悪ですね…」
灰猫の視線の先には、城壁をよじ登る生き物がいた。
それは人というには実に奇妙な形をしていた。
全身漆黒で、夜のように深い黒の霧をまとっている。
四肢をトカゲのように動かして、身をくねらせながら城壁を次々と越える。
「あれは…なんだ…?」眉間にしわを寄せる帯人。
「おそらくコーディオのよこした兵たちでしょう。
まったく…余計なことをしてくれる…。
これでは城は早々に落ちてしまう。
コーディオの軍が来る前に、一刻も早く、王女と召使いを!」
「はい!」
雪子と帯人、そして灰猫は一斉に走り出した。
地面を蹴り上げ、飛ぶように長い長い廊下を駆ける。
逃げまどう家臣達をすり抜けて、三人は王女の間へ急いだ。
外が騒がしい。どうやら軍は城の門を突破しようとしているようだ。
灰猫が窓を開け、バルコニーに躍り出た。
「私は時間を稼ぎます。さあ、行ってください!」
「ぜったいに……死んじゃ、…だめですからッ!」
「お二人も、どうかご無事で…!」そう言い残し、灰猫は飛び降りた。
彼の努力を無駄にはできない。
雪子と帯人は走り続けた。王女の間がどこにあるのか、解らない。
だが、なんとなく解るのだ。
首にかけた音楽時計が反応している。こっちだ、と導いてくれている。
人々を押しのけて、二人は廊下を進んだ。
逃げまどう家臣を見るたび、嫌な予感がよぎる。
召使いのことだから、きっと彼は王女を逃がすだろう。
…王女はそれを…どうする?
考えたくない。
王女の間の手前あたりまで来たとき、私の隣を誰かが走り抜けた。
不意に視界に入る。
見覚えのある顔。
ああ、考えたくなかったのに…。
泣いている。
きっと彼女は泣いている。
私はその子の、髪の毛をわしづかみにする。
彼女の身体が跳ね上がり、小さな悲鳴をあげた。
バッと振り返る、召使い。いや、召使いの格好をしている王女様だ。
「はぁ、はぁ、はぁ。…あなたは、王女でしょう?」
「…ぁ」
「今、王女の間にいるのが、召使いなのね」
王女は口をぱくぱくさせながら、驚いていた。
そして同時に、すっかり怯えきっていた。
雪子は大声で言った。
「どうして召使いを見捨てて行こうとするの!?
あなたはそれを悔やんでいたじゃないッ!
ねえ、どうして…?
あなたの大切な人は、あなたをかばうために死ぬつもりなのよッ!!
どうして自分だけ逃げようとするの!!」
「…ぁぁ…」
どうして逃げようとするのか。
そんな理由、解っていた。死にたくないのだもの。
それはみんな同じことだよ。私だって死にたくない。
召使いだって、王女を死なせたくなかったんだ。
だから自分だけ犠牲になろうとしている…。
……自分の言っていることが、ひどくわがままに思えた。
けど、
けど、
こんなの、黙ってられないんだ。
雪子の目から涙があふれた。
「あなたのために、あなたの大切な人は、死のうとしているんだよッ!?」
王女。
忘れちゃったの…?
海岸で泣いていたじゃない。
すごく後悔してたじゃない。
「ねえ、なにか言ってよ! ねえ!」
目の前にいる王女は、まだ「大切な人」の大きさに気づいていないんだ。
あのときの涙も、悲しみも、まだ彼女は――
ドンッ!!
「きゃ!」
木の砕ける音がした。
城の門が破られたらしい。いずれここもコーディオの軍が押し寄せてくる。
雪子が音でひるんだその一瞬を、王女は見逃さなかった。
「待って!!!」
雪子の手を振り払い、王女は走り出した。
「待って! どうして!! お願い!! 行かないでえええ!!!」
行かないで。
お願い、行かないで。
召使いを。
レンを一人にしないで…!!
帯人が雪子の肩を掴む。
「…召使いを…早く…」
雪子は静かにうなずくと、走り出した。
しばらく走ると王女の間の前に着いた。
重い木の扉を押し開ける。
そこには、美しい王女様がいた。
誰が見たって召使いだと気づきはしないだろう。
召使いは二人を見るなり、クスッと笑う。
「お久しぶりですね。お二人さん」
雪子はスッと手を差し出した。
「…あなたを死なせない。王女が泣いてしまうから」
「僕を助けるつもりですか? でも、いい返事は返せませんよ」
「どうして…? 私たちならあなたを助けられる。
誰も死なせない。誰も悲しまない。そんな未来を作ってみせるから!
だから、この手を取ってください!」
しかし、召使いは首を縦に振ることはなかった。
黙ったままその手を眺めているばかりだった。
召使いは静かに言う。
「僕が死ぬことで、彼女は生きることができるんです。
…これで、彼女はやっと…自由になれる。
あの子は幸せになれるんだ…やっと…」
「違うよ! そんなの違う!」
「…」
「誰かが死んで、誰かが幸福になれるだなんて、そんなの嘘!
これは彼女のためにやったことだろうけど、でも、彼女はそんなことを
望んでなんかいなかった!
ずっと後悔してたんだからッ!!
ねえ、お願いだから、生きて。…お願い」
みんなと生きたいって、なんで言ってくれないの。
自分だけ死のうとしないで。
「だから――!」
そのとき、入り口の扉が蹴破られた。
黒衣をまとった異形の者どもが部屋に入ってくる。
その先頭には赤い髪の女剣士と、コーディオがいた。
一歩ずつ王女に近づく。
「これ以上、近づくな!」
雪子が王女をかばうように、両手を広げて前に出た。
女剣士は冷たい瞳を雪子に向けると、そのまま剣を振り上げた。
「邪魔だ。どけ」
雪子は一歩も退かなかった。
女剣士はためらいなく剣を振り下ろした。
キィイイン。
金属と金属のぶつかり合う音が響く。
帯人のアイスピックが女剣士の剣を受け止めていた。
ぎりぎりと音を立てながら、力で押し合う。
帯人が目で合図する。チャンスだった。
雪子は振り返り、王女の手を掴む。
このまま逃げよう。
部屋の窓から帯人と一緒に飛び降りれば、きっと助かる!
だが、王女は動かなかった。
気品あふれる姿勢で、パシンと雪子の手を払う。
そして堂々とこう言った。
「この無礼者!!」
さあ、行け――
口元がわずかに笑っていた。
その意味を察し、雪子は唇をかんだ。
雪子は音楽時計を握りしめ、声を張り上げる。
「帯人!」
帯人ははじかれたように剣を振り払い、雪子の元へ走る。
コーディオはすぐに指を鳴らし、従属する異形の者に指示を出した。
黒衣の者たちは鳥のように跳び上がり、四方から二人に飛びかかる。
しかし遅い。
雪子の手の中で、夏の太陽のように音楽時計が強い光を発していた。
雪子はタイムスリップする寸前、王女に向かって叫んだ。
「死なせないから!」
その言葉を言い残し、二人は光の粒子に包まれて消えてしまった。
まぶしい光に目をやられた異形の者どもは、うずくまり悲鳴をあげている。
王女はただじっとそれらを見下していた。
ころころころ、
混乱する部屋の中で、王女は床に転がる小瓶を見つけた。
王女は素早くそれをドレスに隠した。
それは王女のちょっとした、わがままだった。
自分の死後の物語を知りたかったのだ。
優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第21話「王女と逃亡者」
【登場人物】
増田雪子
帯人のマスター
帯人
雪子のボーカロイド
灰猫
リンとレンを助けたい青年
王女
この国の王女
今はまだ「大切な人」を失った悲しみを知らない
召使い
自分の死によって、大切な人が救われればそれでいい
彼女はやっと自由に生きることができる
そう信じている
女剣士
コーディオのささやきによって、冷酷になっている
王女を殺そうと必死
コーディオ
悲劇を楽しむ死神
アコーディオンを一時も手放さない
異形の者・黒衣の者
コーディオに従属するしもべ
人の形をしているけれど、人ではない
真っ黒で光が苦手
【コメント】
ついにラスト間近です!
次のシーンは、「処刑」の瞬間。
時計の針が三時を指す前に、帯人と雪子は召使いを助け出せるのでしょうか?
悲劇を奏でる音楽時計の物語も、あともうちょっとです。
もうしばらくおつきあいください^^
コメント5
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る今日、変な人に傘を貸してもらった。
いいのかなぁ…って思ってたけど、濡れるのは嫌だったし、
結局受け取っちゃった。
正直、すごく助かった。
すごくお礼を言いたい…。
黒髪に、包帯が印象的なあの人。
すごくきれいな顔立ちだったなぁ。
…でも、どこかで見たことがある気がする。
あれだけイケメンなんだもの...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第15話「君のそばに行くから」
アイクル
暗闇の中で、僕は目を開けた。
輪郭さえ不確かな状態だった。
僕は勇気を出して、一歩ずつ前に出る。
途中で、わずかな光をとらえた。
僕はその光を目指して走った。
「―ッ」
一瞬だけ、雪子の声を聞いた。
なんと言っているのかは解らない。
とても楽しそうな声だった。
光がまぶしくて、僕は目を細めた。...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第14話「僕が消えていく世界」
アイクル
「痛…」
左手首があり得ない方向にねじ曲がっていた。
さっき爆風に巻き込まれたせいだ。
受け身を取ったつもりが、かえって悪い方向に転んでしまった。
夢の中なのにひどく痛む。
雪子はその手を引きずりながら、必死に立ち上がった。
膝から血が出ていた。
奥歯をかみしめ、私は歯車に近づいた。
外で剣のはじき...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第24話「真っ赤なピエロ」
アイクル
鏡音レンがふと、こちらを見る。
「…あなたは生存者? それとも、リンちゃんの夢?」
首を横に振る。
このとき、初めてレンの声を聞いた。
「自分の意思。俺はいたいから、ここにいる。
リンを一人にできない。…それにここなら、彼女は動ける。
自由に歩けるし、笑えるから」
自虐めいた笑みをむける彼。
そ...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第06話「絶対に助けるから!」
アイクル
光の中に包まれて数秒後、私たちは地面に足をつけた。
まるで霧が晴れていくように、まぶしい光は消えていく。
やっとしっかりとした視覚を取り戻したとき、私はハッとした。
「学校だ」
そこは、クリプト学園だった。
窓の外には満月が顔を出している。
どうやら夜のようだ。
電気が一つもついていない学校は、月明...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第04話「とある少女の庭」
アイクル
ハァ、ハァ、ハァ。
涙がとまらなかった。
怖くて足が震えた。でも、とにかく前へ。
足を止めたら、駄目だと思った。死んでしまうのは確かだ。
ほんと。…どうしてこうなっちゃったんだろう。
それは数分前。
私と帯人そして灰猫が、鏡音リンと対峙したときのことだった。
血だらけのハクちゃんとネルちゃんを紹介し...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第05話「彼女の悲劇」
アイクル
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想
アイクル
ご意見・ご感想
おお、あのことでしたか!!
どれもいい曲ばかりです。全て涙腺崩壊ものですよね。
あ、でも「紙飛行機」という曲は知りませんでした!
囚人の続編なのでしょうか。早速聞いてきたいと思います^^
丁寧に教えてくださり、ありがとうございました。
これからもがんばります。
2009/03/23 19:59:50
数卵
ご意見・ご感想
こんばんは、月々です。
「鏡音三大悲劇」というのは、ニコ動によると
悪ノPさんの「悪ノ娘」「悪ノ召使」、囚人Pさんの「囚人」「紙飛行機」、ひとしずくPさんの「soundless_voice」「proof_of_life」というリンとレンが一つの物語をそれぞれの視点から歌ったものです...とまあこんな感じですかねぇ。
ではこれからもがんばってください。応援しています。
2009/03/22 20:36:17
アイクル
ご意見・ご感想
いつもいつも、ありがとうございます^^
月々さん。
「鏡音三大悲劇」とはなんですか!?
めちゃくちゃ気になるのですが、教えてくれませんか?
C.C.さん。
嬉しいこと言ってくれますねえ、もう///(〃ワ〃*)
応援ありがとうございます。がんばります!
2009/03/22 18:40:18
まにょ
ご意見・ご感想
すばらしぃ物語の進み具合・・・。さすがアイクルさんです!!(どんなだ←失礼)
いつもいつも、展開していき物語に引き込まれています。。
どうなるんでしょうかね・・。「王女」は・・・。
次回が気になります!!! では。。楽しみにしてますね!
2009/03/22 10:29:36