初音さんたちが戻ってきたので、俺たちは一緒にオペラ『チェネレントラ』を見た。リンの言うとおり、確かに喜劇だ。音楽は終始明るいし、歌もそう。出ている歌手の人たちもコミカルに動くし、ギャグも入っている。早口言葉みたいな歌の応酬も楽しい。……ところで、お菓子の箱に賄賂を隠すのって世界共通なのか?
話の中身が、おとぎ話とかなり変わっていたのには驚いた。例えば、この舞台には魔法は一切出て来ない。シンデレラことチェネレントラにドレスをくれるのは、王子の家庭教師だ。最初物乞いの格好でこの家を訪れ、施しを願うと、姉二人が「帰れ!」なのに、チェネレントラだけが食事を与える。ここでチェネレントラの優しさに気がついた家庭教師が、彼女を王子の花嫁にするべく画策するのだ。この家庭教師の策士っぷりは、見ていてかなり面白い。他にも、継母が継父になっていたり、舞踏会の前にチェネレントラが王子と対面していたり、王子と従者の入れ替わり劇があったり、靴が腕輪になっていたりと、違うところがかなりある。
そういうわけで、このオペラは面白かった。クオもなんだかんだ言って、そんなに嫌そうではなかったし。
幕間で、初音さんが「お茶にしましょう」と言ったので、リンが持ってきたケーキとクッキーでお茶にする。ケーキはちゃんと美味しかった。真っ白いスポンジとクリームのケーキで、「エンジェルケーキ」というらしい。クリスマスだから天使のケーキなんだな。
オペラが終わると、リンが帰る時間になってしまった。……クリスマスぐらい、門限どうにかならないんだろうか。もっと一緒にいたいのに。
「じゃあね……レン君。次に会えるの、始業式になっちゃうと思うけど」
リンは淋しそうな表情でそう言った。スケジュールを埋められていて、気軽に抜け出せないらしい。……一緒に初詣とか、行きたかったんだが。とはいえ、あまり無理を言うとリンがまた悩んでしまう。
「リン、風邪とか引かないようにな」
「うん、ありがとう」
俺はリンを抱きしめた。……離したくなんか、ないのに。リンは帰らないといけない。
リンが帰ったので、俺も帰ることにする。帰る前にクオを捕まえて、礼を言っておいた。
「色々と悪かったな」
「別にいい。それより、巡音さん大事にしろよ。粗末に扱うと、多分ミクがキレる」
確かに初音さんは、敵に回したら怖そうな感じがする。こんなことを言うわけにはいかないが。
リンのことやこれからのことを考えながら、電車で帰宅する。家に着くと、居間の明かりが点いていた。……あれ? 姉貴、もう帰って来たのか? てっきりもっと遅くなると思ったんだが……。不審に思いつつ、俺は鍵を開けて家の中に入った。
「ただいま」
……返事が無い。姉貴、下の部屋の明かりを点けっぱなしにして、自分の部屋に行ったんだろうか。後で文句言っとかないと。そう思いながら、俺は居間のドアを開けた。居間の畳の上に、寝転がっている人間が一名。
「母さん!?」
そこにいたのは、ニューヨークに赴任中の母さんだった。周りには荷物が散らばっている。戻ってきて、そのままごろ寝していたところらしい。母さんは俺の声に頭を少しあげて、こっちを見た。
「あ……レンお帰り……どこ行ってたの?」
「帰国は明日って言ってなかった?」
「それがね、一日早く帰れることになったのよ。ちょうどチケットも取れたもんだから、あんたたちを驚かそうと思って、強行軍で帰って来ちゃった」
のんびりした口調で、母さんはそう言った。言いながら身体を起こして、座布団の上に正座する。
「なのに帰ってきたら誰もいないし……メイコは?」
「姉貴は職場のクリスマスパーティーだよ。聞いてないの?」
俺がそう言うと、母さんはぽんと手を叩いた。
「そう言えば言われていたんだわ」
はあ……思わず、ため息が出る。一応バリバリのキャリアウーマンのはずなんだがなあ、俺の母さん。こうしていると、とてもじゃないけどそうは見えない。
「で、メイコはわかるけど、あんたは?」
「クオの家に遊びに行ってた。姉貴には伝えておいたんだけど、母さんが帰って来るのは明日だと思ってたから」
「ちょっとくらい夜遊びしてもいいやって?」
普通の時間に帰宅した息子つかまえて、言う言葉はそれかい。
「夜遊びしてもいいと思っているんなら、こんな時間に帰って来ないだろ」
「そりゃそうだわ」
母さんは一人で頷いている。やれやれ……。
「母さん、俺、コートとか鞄とか自分の部屋に置いてくるから」
「ああ、うん……あ、そうだレン、夕飯作って。母さん、時差ボケが辛くて動きたくない……」
何か買って帰るという選択肢はなかったんだろうか……。なんかどっと疲れたぞ。材料、何があったかな……。
家にあったありあわせの材料で、とりあえず二人分の雑炊を作る。クリスマスイヴの夜に侘しいって? いいんだよ別に。初音さんのところで色々食べたし。
「レン、料理の腕上がったわね~。美味しいわよ」
「そりゃ隔日で作ってるからね」
母さんと差し向かいで雑炊を食べていると、姉貴が帰って来た。思ったより早かったな。
「ただいま~。え? 母さん?」
当然だが、姉貴も驚いた。母さんは、俺にしたのと同じ説明を姉貴にする。ちなみに、反応は姉貴も同じようなものだった。
「メイコ、パーティーは楽しかった?」
「そりゃもう。たっぷり騒いできたわ」
姉貴は上機嫌で鞄を開けると、中からタッパーを取り出した。
「余ったお料理もらってきたの。食べる?」
からあげやハンバーグ、ポテトサラダといった料理が中に入っていた。美味そうだな。
「食う」
「母さんも食べるわ」
「じゃ、摘んでてね。私は着替えてくるわ」
姉貴はタッパーを残して、自分の部屋に行ってしまった。皿持って来よう。俺は一度立ち上がって台所に行って、取り皿を二枚と取り箸を取って来た。
「メイコの仕事は順調みたいね。レン、学校はどう?」
「順調だよ」
思っていたのより、期末の結果は悪くなかった。部活も楽しいし。リンも……あ。
やっぱり、言っておいた方がいいよな。
「母さん、話しておくことがあるんだけど」
「どうしたの?」
「俺、新しい彼女ができた」
母さんは、さすがに少しびっくりしたようだった。
「彼女? どんな子?」
「巡音リンっていって、高校の同級生」
シンプルな説明になってしまった。いやだって、どこまで話せばいいのかよくわからないし。
「新しい彼女ねえ……。交際するのは構わないけど、節度は守りなさいよ」
「わかってるって」
あれだけ言われりゃ、嫌でも憶えてるよ。冗談抜きで、耳にタコができるぐらい聞かされた。姉貴の話はもっと過激で、聞かされたことの一部はもう少しでトラウマになるところだった。
そんなことを考えていると、二階から降りてくる足音が聞こえてきた。姉貴が着替えを済ませたらしい。
「何の話してるの?」
「あ、メイコ。レンに新しい彼女ができたんですって」
「もしかしてリンちゃん?」
なんでわかるのかなあ。とはいえそうなので、俺は頷いた。母さんが怪訝そうな表情になる。
「メイコも知ってる子なの?」
姉貴の方を見て、母さんはそう聞いた。姉貴が頷く。
「凄い偶然なんだけど、私の高校の時の後輩の妹なのよ」
「あらまあ、確かにそれは凄い偶然ね」
母さんがそう言っている傍で、姉貴は難しい顔をしている。
「それにしても、リンちゃんとねえ……」
ああまたそれかい。
「姉貴が反対しても、俺、リンとつきあうから」
俺はきっぱりとそう言った。姉貴が何と言おうと、俺にリンを諦めるつもりはない。
「本気なの?」
「当たり前だろ」
「……なら、いいわ」
姉貴は、俺が拍子抜けするぐらいあっさり頷いた。
「姉貴、俺がリンとつきあうの、最初は反対してたよね?」
「反対はしてないわよ。軽い気持ちで構うなって言ったの。軽い気持ちで振り回していい子じゃないから」
そういう意味だったのかよ! 俺がぐだぐだ悩んでたのは何だったんだ、一体。頼むから姉貴、変にひねくれた言い方はやめてくれ。
「後輩の妹じゃあ、そうでしょうねえ……レンがその子を泣かせたりしたら、メイコはその後輩に顔向けできないでしょうし」
脇からそんなことを言う母さん。だから、俺にリンを泣かすつもりなんかないってば! 俺ってそんなに信用がないんだろうか。
「母さん、俺のこと信用してないの?」
「そんなことないわ。ただ念には念を入れておきたいのよ。こういう問題はややこしいことになりやすいし、女の子を持つとどうしても心配になるしね。母さんだってメイコには、真面目で誠実な男の人ときちんとしたつきあいをしてほしいもの。それは、そのリンというお嬢さんの親御さんも、一緒でしょう」
母親はともかく父親の方はどう思ってるんだが、怪しいもんだが……。ここでそういうことを口にするとややこしいことになるので、俺は黙っていた。
「ところでメイコ、あんたは浮いた話はないの?」
「今のところ全然」
軽い口調で返事する姉貴。母さんがため息をつく。
「あんたもそろそろ、おつきあいする男性の一人ぐらい、できてもいいと思うんだけど」
「うーん、今は仕事が楽しすぎて、恋愛にまで意識が向かないのよねえ。ま、そのうちなるようになるでしょ」
いいのかよそれで。俺はもう少しで「婚期を逃しても知らないからね」と言いかけたが、かろうじて抑えた。こんなことを言ったら、後が怖い。
その日の夜遅く、俺が自分の部屋で漫画を読んでいると、姉貴が部屋にやってきた。
「レン、ちょっといい?」
「なんだよ」
俺は漫画を置いて、姉貴の方を向いた。姉貴は神妙な顔をしている。
「母さんのいるところでは話せなかったけど、あんた、リンちゃんの家の事情、わかってるのよね?」
事情……多分、あのことだろうな。
「異性との交際は禁止されてるってこと?」
「そう、それ」
姉貴は頷いた。ハクさんから話を聞いたのかな。
「わかってる。でも、俺はリンが好きだし、リンに一番近い場所にいたい」
「友達として見守るという選択肢は? どのみち、リンちゃんと交際できる男の子はいないんじゃないの?」
「……無理だよ。友達じゃ、手もろくに握れない」
姉貴は深いため息をついた。
「手を握ったりキスしたりするのはいいけど、そこまでにしておきなさいよ」
何が言いたいのかぐらい、俺だってわかってるよ。どうしてなのかも。姉貴は意外に、この手のことにはかなりうるさい。姉貴の気持ちもわからなくはないんだが、もう少し俺を信用してほしい。
「リンのことはちゃんと大事にするよ」
「なら、いいわ。悪かったわね、しつこくして。ただやっぱり心配なのよ。相手はハクちゃんの妹だし」
姉貴は俺の部屋を出て行った。……姉貴は心配のしすぎだと思うが、仕方がないのかな。
アナザー:ロミオとシンデレラ 第五十話【決して手を離すことはない】
『チェネレントラ』はこういうオペラです。
http://www.youtube.com/watch?v=WrFBgYUs838
メトの公演です。チェネレントラを演じているのはエリーナ・ガランチャ。この公演は王子以外は割とキャストがはまってました。王子役のローレンス・ブラウンリーは歌は上手なんですが、ガランチャと並ぶとどうしても丈が気になって……。
ちなみにこのガランチャ、『カルメン』もやってたりします。同一人物とは思えない。
http://www.youtube.com/watch?v=OV-ZfCWM3qo
『シンデレラ』は、『タイス』を作ったマスネもオペラ化しているのですが、これはマイナーな作品ということもあり、見たことがないのでコメントできないのが残念なところです。NHK-BSでやってくれないかなあ……(たまに珍品を放映することがある)『チェネレントラ』とは異なり、こちらは真面目な作品のようです。
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ご意見・ご感想
マナ花
ご意見・ご感想
1週間くらい前にPIAPUROのトップページで見かけて、
1話から一気に読ませていただきました!
始めのうちは、
リンとレンが付き合うこと自体パッとしませんでした。
でも、心情とか、家庭の事情とか、
そういう設定から作られていくストーリーがとてもワクワクします。
読んでてとても楽しいです☆
あとずっと読んでて思ったのですが、
会話の部分でないところ(心情など)に改行が少ないなと思いました。
わりと、何時間も続けて読んでいると
少し疲れてしまいました・・・・(何時間も続けて読む自分も悪いのですが(笑))
例えば、最後のレンの
『何が言いたいのか~信用してほしい』
と言う分を、
ズラズラと書くのではなく
こまめに改行して3行くらいで書くと読みやすいかもです。
文学なんて知らない中学生が
こんなこと言うなんて生意気かもしれませんが・・・(汗
意見として受け取っていただけると幸いです。
感想とか書くの初めてなので、
失礼な文があったらもうしわけありませんっ!
続き、楽しみにしてます!!
2012/02/24 21:51:57
目白皐月
初めまして、マナ花さん。目白皐月です。
メッセージありがとうございます。
この作品は、二人が顔をあわせていられる理由があるため、ゆっくり仲良くなっていく過程を書きたいと思い、最初の方はわざとスローにしてあります。できるだけ丁寧に描写したいと思ったこともあり、なるべく心情などを書き込むようにしてあります。ただ、全部説明するのは避けたいと思ったため、ぼかした箇所もかなりあります。
ようやく恋人同士になったので、これからはもう少し早く進めたいと思っています。
改行に関してですが、私は句読点と改行を全て含めて「文章の息遣い」を表現するものだと考えています。私の書く文章は流れやリズムを重視しており、句読点も改行も、自分の表現したいことに対し「最適」だと私が考えたものになっています。ですので、改行を増やすことはできません。
それと私のように普通の書籍をたくさん読む人間からすると、改行だらけの文章の方がむしろ読みにくいんです。
マナ花さんはおそらく携帯からご覧になっていらっしゃるのでしょうが、長文を読むのに携帯は向かないと思います。そして、携帯で読むのに適しているとされる文章は、私の書きたい文章ではありません。
少しきつい書き方になってしまったかもしれませんが、私はこのように考えています。
2012/02/25 22:50:45