初音さんは自宅まで乗せてってあげると言ってくれたが、そこまでしてもらうのはさすがに気が引けたし、考えたいこともあったので、俺は一人で帰宅することにした。
 電車に揺られながら、俺はリンのことを考えていた。怪我のことはもちろん心配だが、今日見た限りでは元気そうだった。多分、数日で退院できるだろう。
 後はまたお姉さんに近づいたりしないといいんだが……リンは距離を置くって言ってたけど、実際のところ、まだ迷っているみたいだ。妹を階段から突き落とすなんて、どう考えてもまともな神経の持ち主のすることじゃないし、そんな人には近づくもんじゃない。
 なんか……最近、リンのことばっかり考えているよな。……なんでだろ。リンが抱えている問題は大きすぎて、そう簡単に解決できない……というか、解決方法なんてあるのかって感じで、普段の俺だったら確実に見切りをつけているレベルだ。なのに、なんで俺は、どうにかしようと必死なんだ?
 リンは……可愛いよな。口数が少ないので目立たないが、客観的に見てもかなりの美少女だ。笑うと特に可愛い。頭が良くて、繊細で、こっちがびっくりするようなことを言う。リンがきらきらした瞳でこっちを見てくれていると、ずっとそうしていてほしいって思う。
 でも、その瞳が翳るのは嫌なんだ。そして、誰か他の奴に向けられるのも。
「あれ、レン君じゃないか」
 かけられた声に思考を中断され、俺はそっちを見た。げ……なんでこいつがこんなところにいるんだ。
「……どうも」
 俺は仏頂面で、そっちを見た。姉貴のボスの弟の、始音カイトだ。隣には同じぐらいの年格好の、良く似た男が立っている。カイトは青いマフラーを、もう片方は赤いマフラーを巻いていた。……双子なのか、こいつ?
「おいカイト、そいつは誰だ?」
 ぶっきらぼうな口調で、赤マフラーが訊いている。カイトはにこにこと――なんで笑顔なんだろ――そいつに答えた。
「マイト兄さんのところのスタッフの弟さんだよ」
「……あ、言ってやろ。カイトは未だにマイコ姉のことマイト兄って呼んでますって」
「アカイっ! どういう嫌がらせだよっ!」
 赤マフラーの男はアカイというらしい。
「だって、マイコ姉はマイコ姉って呼ばないと怒るだろ」
「アカイ、お前は自分の兄じゃないからそういうことが言えるんだよ」
 あれ、双子じゃないのか? 俺の怪訝そうな視線に気づいたのか、カイトは何も訊かないうちに説明を始めた。
「あ、彼はアカイって言って、僕の従兄なんだ」
 ふーん。ま、どうでもいいけど。
「ところでレン君、次の日曜は暇かい?」
 はあ? いきなり何を訊いてくるんだこいつは。大体俺の日曜の予定なんか、そっちには全然関係ないじゃないか。
「おいおい、お前はバッタリ会っただけの高校生をライブに誘う気かよ」
 アカイがカイトに突っ込みを入れている。ライブ? 何の話だ? さっぱり事情がわからん。
「だってチケットはけないと、みんな揃ってまた妙な方向に行きそうで……アカイ、お前だってそう思うから、知り合いに片っ端から声をかけているんだろう?」
「まあな~。でも、貰ってくれたの神威先輩ぐらいだぜ。なんか泣けてくる」
 うん……? 神威?
「神威って……確か大企業の……」
 確かリンのお姉さんの婚約者がそういう名前だったような……。いや、単に同じ名字だけの可能性もあるが……。
「へえ、高校生でも神威グループ知ってんのか」
 どうやら当たりだったらしい。このアカイとかいう人、どこからどう見ても普通の人だけど。
「名前だけです。そんなすごい人が、知り合いに?」
「うーん、俺からすると神威先輩は単なる大学のサークルの先輩だからなあ。だからすごい人って言われても、全然実感が無い」
 至って普通の口調でそう言うアカイ。俺とクオのような感じなんだろうか? クオだって初音コンツェルン社長の甥なんだよな。本人そう言われるの滅茶苦茶嫌がるけど。
「その人、確か今度結婚するとか……」
「そうそう、巡音グループっていう、これまたでかい会社の入り婿に入るんだとさ。神威先輩次男坊だから」
 口の軽い奴だなあ。そんなことぺらぺら喋っていいんだろうか。自分から話題を振って起きながら言うのもあれだけど。
「入り婿? 僕だったら気が進まないなあ」
 カイトがアカイにそんなことを言っている。
「お前三男じゃん」
「アカイ、お前だって次男だろっ!」
 カイトとアカイはしょうもない話を始めた。こいつが三男ということは、マイコ先生の他にもう一人兄がいるらしい。って、なんで俺がこいつの家族構成なんかを気にしなくちゃならんのだ。
「けどその神威先輩って人、よく入り婿の話承諾したね」
「俺も結構意外だったんだけどさあ。先輩、お見合いの席で相手の令嬢に一目惚れしたんだ。写真見せてもらったけど、これがもう無茶苦茶美人。あれなら先輩がその気になるのもわかるような気もするな」
 相変わらず話を続けているカイトとアカイ。へーえ。リンのお姉さんそんなに美人なのか。多分絶対リンの方が可愛いと思うけど。
 ということは、その神威先輩とやらは結婚に乗り気なのか。相手はロボット状態で、妹を階段から突き落とすような人間なのに。……リンが不安になるのも、これは仕方がないかなあ。でもやっぱり近づいちゃ駄目だ。神威さんとやらはいい大人なんだから、自分で身の安全くらい判断してもらわないと。
 あ、次の駅で乗り換えだ。俺はカイトとアカイに「次で乗り換えなんで」と言って、電車を降りた。


 この日の晩飯は、筑前煮だった。……うへえ。
「姉貴……俺が筑前煮嫌いだって、知ってるよね?」
「メニューの選択権は作る人間にあるの。わかったら文句言わずにちゃんと食べなさい」
 残すと姉貴が例によってうるさいので、俺は渋々箸をつけた。……不味い。
「お鍋にいっぱい作ってあるから、明日も食べられるわよ」
「いらんっ!」
 つーかなんで筑前煮なんだ。俺に対する嫌がらせか? 明日は姉貴が嫌いな料理を作ってこの仕返しを……と思ったが、俺が作れるレパートリーは、基本的に姉貴は平気である。面白くない。
「……姉貴」
「残すのは駄目よ」
「まだ何も言ってないっ! そうじゃなくて……姉貴、俺のことうっとうしいって思ったことある?」
 姉貴は怪訝そうな表情になった。
「どうしたのよあんた」
「いや……まあ、ちょっとね」
 姉貴はため息をついた。
「ないって言ったら嘘になるわね。うちは両親とも働いている家庭だったし、私、自動的にあんたのお守りしなくちゃならなかったでしょ。小さい時のあんたってかなり聞き分け無かったし、バカもたくさんやったし、なんで弟なんかいるんだろうって思ったこともあったわね」
 あ……そうなんだ。ちょっとショックかもしれない。俺としては自分がそこまで聞き分けがなかったおぼえはないが――バカは確かにたくさんやったが――姉貴からすると、また違う意見があるんだろう。
「死ねって思ったことは?」
「さすがにそれはないわよ……あんた、私のことそこまで鬼だと思ってるの?」
 俺は慌てて首を横に振った。俺としてもそこまでは思ってない。
「思ってないけど……なんていうか、もし姉貴がそういう風に考えていたらショックだなと思って」
「あんた、最近、妙なこと訊いてくるわね……けど、死んでほしいなんて思ったことはないわよ。姉弟なんだし。それにまあ、結局のところ、持ちつ持たれつなのよね。確かにあんたのお守りするのは大変だったけど、その一方で私があんたを振り回したことも多かったわけだし」
 そう言って、姉貴はやれやれと言いたげに俺を見た。
 ……姉貴の言っていることは、実にまともだ。俺が言うのもなんだけど。俺だって姉貴に死んでほしいなんて思ったことはない。喧嘩したことなら星の数ほどあるけど。
 やっぱり……リンのお姉さんはまともじゃないんじゃないかなあ。
「自分の妹や弟を……階段から突き落とす人の気持ちって想像つく? 俺、下いないから、上の気持ちってよくわかんないんだよね」
「……何かあったの?」
 当然と言えば当然だが、姉貴はそう訊き返してきた。けど、リンの名前は出せない。
「ごめん、詳細は言えない。約束したから」
 姉貴は神妙な表情になり、しばらく考え込んだ。俺も黙って姉貴の返事を待つ。
「もしそんなことがあるとしたら……原因は嫉妬じゃないかしらね」
 やがて静かに、姉貴はそう答えた。
「嫉妬?」
「ほら、あんたの好きなSF小説の中に、『自分より優秀な弟は欲しくない』って台詞があったでしょ。ああいう状況」
『エンダーのゲーム』か……。でも、リンはお姉さんより優秀な妹じゃない。リンのお姉さんは中高六年の間、一貫してトップを取り続けた人間だ。リンだって、お姉さんには適わないと思っている。容姿にしたって、今日会ったアカイとかいう奴が褒めていたぐらいだから美人だろう。リンに嫉妬する理由なんてない。
「ピーターならエンダーを階段から突き落とすぐらい喜んでやるだろうけど……でも……なんていうか……」
 エンダーはピーターが入れなかった学校に入った。だからハクさんが嫉妬するんならわかる。でもリンを突き落としたのはハクさんじゃなくてルカさんだ。
「ピーターはイカれてる?」
「あ~、いや、そうじゃなくて……姉貴、これ、仮定の話だからね。例えば姉貴の後輩のハクさんが、お姉さんを突き落とすんなら、原因が嫉妬ってのもわかるんだよ。でも、お姉さんがハクさんを突き落とすんだったら、なんか感じが違うだろ」
 ……ごめん、これ、仮定の話ということにしとくから。
 姉貴は何か言いかけたがそれを止め、もう一度考え込んだ。
「いくらなんでも、ハクちゃんのお姉さんはハクちゃんを突き落としたりしないと思うけど……」
「だから仮定の話だってば」
 ついでに言うとやったんだよ! ハクさんじゃなくてリンの方だけど。
「……ハクちゃんのお姉さんのことはよく知らないから、どうもイメージが浮かばないのよね。だからそういうことを訊かれても、わからないとしか言いようがないわ。でも思うんだけど、突き落とすまでいくのなら、やっぱり原因は嫉妬じゃないかしら。嫉妬のスイッチって、妙なところから入ったりすることがあるのよね。……あんただって、もしかしたらリンちゃんに嫉妬されてるかもしれないわよ」
「どういう理屈だよ」
 リンが俺に嫉妬なんかするわけないだろ。どこからそんな理屈が出てくるんだ。
「そうねえ……レン君ばっかりいいお姉さんがいてずるい、とか」
 ……おいおい。誰がいいお姉さんなんだよ。
「それ、自分で言ってて恥ずかしくない?」
 冷めた声で俺が言うと、姉貴は俺を睨んだ。……いやでもさ、自分で言うようなことじゃないだろ。
「根拠もなくこんなこと言わないわよ」
「根拠なんかあるんだ」
「ハクちゃんに昔言われたの。『先輩みたいなお姉さんがほしかった』って」
 え……ハクさん、姉貴にそんなこと言ってたのか。やめてくれよ、姉貴が図に乗っちゃったし。
「ハクちゃんの妹だから、リンちゃんも同じこと思ってたりして」
「それは、絶対に、ない」
 俺が力を込めてそう言うと、姉貴は何故かけらけらと笑い出した。……あ~面白くないっ!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第四十三話【君に出会ってからは旋風のようで】

 アカイ=アカイトです。カイトとは同い年で、従兄です。

 なお、リンは「いいお姉さんがいて羨ましいなあ」ぐらいには思ってますが、嫉妬はしていません。

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投稿日:2012/01/24 18:29:05

文字数:4,650文字

カテゴリ:小説

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