声が止んだ。

「――?」

 歌姫は弾かれたように振り返り、騎士の名を呟く。

 騎士は手にした剣を放り投げ、歌姫に駆け寄り、包み込むように彼女を抱きしめた。

 男の熱き血潮は凍てついた女の心を温め、女の冷えた腕は男の火照った身体を癒す。

 歌姫は目を閉じ、掠れた声を震わせた。

「これは、夢?」
「夢であるものか」

 騎士は歌姫をいっそう強く抱きしめて言う。肩に刺さった矢の痛みなど、消えてしまったかのように、腕に力を込めた。
 歌姫の腕が騎士の背中を這い、左の手首が鏃(やじり)に触れる。糸の切れた紫水晶の腕飾りが、珠となってばらばらと地面に落ちた。

「あなたの歌が聴こえた」

 噛み締めるように、騎士は歌姫に語る。

「ごめんなさい。私は、この喉を潰そうとしていたのです」

 満ちる喜びに身を震わせ、歌姫は過ちを告白した。

「もう前のようには、歌えないかもしれない。それでも……」

 潤いを無くした声で、彼女は呟く。

「たとえあなたが歌えなくなっても、俺はあなたの傍にいる」

 力強い意志で、彼は応えた。そうして、二人は離れた時間を埋めるがごとく、長い間抱きしめ合っていた。

「往こう」

 体を離し、騎士は告げる。

「どこへ?」

 手を引かれて立ち上がり、歌姫が問うた。

「国の外へ。往こう」
「……ええ、共に」

 手を取り合い、二人は駆けていく。黒々とした闇の向こうへと。




 ……それからしばらくが経ち。

 二人が去った場所へ、鎧の擦れる音と複数の足音が近付いてきた。
 甲冑に身を包んだ兵が三人。それに加え、赤いマントを身に着けた壮年の男が一人。

 血の跡と腕飾りの残骸を見た兵士たちが、壮年の男を見る。

「間違いないようだな」
「はっ! そのようです、副長殿」

 男の言に、三人の中では年嵩の兵が言葉を返す。

「よし。お前はこのことを隊長に報告しろ」
「はっ!」

 二人の若者の内の一人に男が命令すると、敬礼をした兵士は来た道を駆け戻っていった。

「俺たちは捜索を続ける」

 固い声音で短く告げる。年嵩の兵はすぐさま敬礼を返したが、若い兵士の動きは鈍かった。

「副長殿」

 思いつめた声で、彼は言う。

「私たちのしていることは、正しいのでしょうか?」
「お前、何を言ってるんだ」

 若い兵の質問に、年配の兵士が噛み付いた。

「正しい正しくないじゃない。俺の弟分は腕を斬られた。もう剣も盾も持てないんだ。分かるか? いまさら引く訳にはいかないんだよ」
「でも、俺はあの人の歌が好きなんだ……!」
「俺だってそうさ! けどな――」
「二人ともそのくらいにしろ」

 言い争いに終止符を打ったのは、壮年の男の巌のごとき声だった。水を打ったように、二人の間に沈黙が下りる。

「捜索は続行だ。仮に追い付いても、不用意には仕掛けるな。返り討ちにあうぞ」

 有無を言わさぬ圧力で二人を黙らせた副長は、言い含めるように命令を下した。今度こそ二人は敬礼を返し、歌姫と騎士の後を追う。

「副長殿?」

 若者に続き、歌姫と騎士を追いかけようとした年配の兵士が、明後日の方向を見る上官に気付き、訝しげな声を出した。しかし、直ぐに何かを悟ったらしい兵士は、瞑目し、副長を置いて走り去った。

 壮年の男の視線の先には、打ち捨てられた一振りの剣。それを掴み、目前に掲げた壮年の男は、剣身に写る自身を見ながら呟く。

「なんとまあ、見事に放り捨ててくれたものよ」

 岩をも斬るという名剣を、こうも安々と。男は相好を崩す。

「一丁前の男になりおって」

 言った次の瞬間、男の表情は険しく、硬いものになっていた。

「容赦はせんぞ。我が弟子よ」

 壮年の男は剣を宙に放る。くるくると廻った剣は大樹の眼前に落ち、傾いだ刃の三分の一ほどが地に埋まった。マントを翻し、厳格たる師は愛弟子の後を追う。





 闇に消える彼とすれ違うように、少女は姿を現した。

 静謐が支配する世界で、ゆったりと大樹を横切り、石に溜まった湧き水の前に、少女は立つ。
 紅の首飾りを外し、彼女はそれを手のひらに乗せた。紅い花を紡いだ花飾りを両手で包んだまま、冷水に手を浸す。ふわりと、花びらが水に広がった。少女は大樹を背に、剣の前に立ち、掌に溜めた花びらと清水を剣に注ぐ。
 柄、そして刃を伝った水は、血と混じりあい、それを洗い流した。花びらは地を滑り、紫水晶にそっと寄り添う。

「飢えを知らぬ者も、風に倒る者も」

 罪を注ぎ、祝福を与えた少女が口を開く。

「自身(われ)の中に神の“名”を見る者も……」

 雨が上がり、遠い天井から陽の光が降り注いだ。

「世に在りしすべての者へ」

 木漏れ日だった一筋の光が、束となって少女を照らす。

「等しく光りあれ」

 溶けるように、少女はすぅと消えていった。






 巡りゆく時の果てより、語り継ぐ物語。
 ありふれた奇跡の話。“愛する”という名の物語。
 母なる神が見守る中で。
 満ちたりし心よ。
 歌え。人の子の歌を!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

【小説化】神の名前に堕ちる者 5.母なる神の詩・人の子の歌(完)

ニコニコ動画に投稿された楽曲「神の名前に堕ちる者」に感動し、小説化したものです。随時更新していきます。お口に合えば幸いです。

原曲様 → https://www.nicovideo.jp/watch/nm10476697

これにて神の名前に堕ちる者、自己解釈ノベライズは終了です。最後まで読んでくださった方に感謝を。感想など一言いただけると非常に嬉しく思います。

閲覧数:180

投稿日:2019/08/20 20:30:41

文字数:2,115文字

カテゴリ:小説

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