「……ありがとう」
「急にどうしたの?」
「色々、してもらっちゃったから」
わたしの方がしてもらってばかりだから、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。
「そんな気にしなくていいよ。友達だろ?」
鏡音君がそう言った時だった。突然、室内の明かりが消えて、真っ暗になってしまった。
「え……? な、何!?」
わたしは驚いて回りを見回した。でも何も見えない。暗闇が広がっているだけだ。
「何なの!? 何が起きたの!?」
「巡音さん落ち着いて。多分停電か何かだと思う。しばらく待ってればまた明るくなるって」
鏡音君が何か言っているけれど、わたしはほとんど聞いていなかった。だって……。
「なんで真っ暗なの!?」
何も見えない。ただ暗い闇が広がっているだけ。いやだ……いやだいやだいやだ。暗いのは嫌い。暗いのは怖い。
「だから、停電……」
「いや……暗いの怖いの!」
あの時と一緒だ。目が覚めたら真っ暗で、誰もいなかった。泣いても叫んでも、誰も来てくれなかった。わたしはもう小さな子供ではないはずなのに、今こうして真っ暗な闇に取り巻かれていると、どうしてもあの時の恐怖が甦ってくる。
やだ……! ここはいや! ここから出して!
「巡音さ……」
わたしの肩に、手が触れる。わたしは子供のように、相手に抱きついた。この恐怖を振り払いたくて。
力強い腕が、わたしを抱きしめた。……温かい。少しずつ、恐怖が消えて行く。
「……大丈夫だから」
そう言われると、本当に大丈夫という気がしてくる。わたしは黙って、相手の腕に身をゆだねていた。こうしていれば、安心なのだと思えたから。
そうしていたのは、どれくらいの時間だったのだろう。ほんの短い時間だったのかもしれないし、もっとずっと長かったのかもしれない。ただわたしには、その時間は長く感じられた。その間、お互い一言も話さず、ただずっとそうしていて……そして、また明かりがついた。さっきのような色とりどりの小さな明かりじゃなくて、もっと白いはっきりした明かりが。
「え……?」
ミラーハウスの中で、わたしと鏡音君は互いに抱きしめあうような格好になっていた。どうしてこんなことに……。
思い出した。わたしは暗闇の中で恐慌状態になって、それで、何がなんだかわからないうちに、鏡音君に抱きついてしまったんだ。わたしは慌てて鏡音君から離れた。
「ご、ごめんなさい……わたしったらなんてことを」
頬が熱い。向かいに見えた鏡の中のわたしは、真っ赤になっていた。
「いや……その……」
鏡音君も赤くなっている。わたしは恥ずかしさで、下を向いてしまった。どんな表情で、鏡音君と顔をあわせたらいいんだろう。
「……出ようか、ここ」
その方がいいかもしれない。わたしは何も言えず、頷くのがやっとだった。わたしは鏡音君の後に続いて、ミラーハウスを出た。
外の光の下に出ても、恥ずかしい気持ちは消えてくれなかった。……どうしよう。鏡音君の顔が、まともに見れない。
「巡音さんて……暗いところ駄目なの?」
鏡音君に訊かれたので、わたしは顔を上げずに頷いた。暗いというか……真っ暗なのは苦手だ。寝る時も、小さめの常夜灯を一つ点けているぐらいだし。
「苦手なものなんて誰にだってあるしさ……あんまり気にしなくていいよ」
そう言ってくれたけれど、わたしはやっぱり顔をあげる気になれなかった。
「もしかして……俺に怒ってる?」
え? 怒ってたりなんか、してない。わたしは慌てて首を横に振った。
「じゃ……行こうか」
どう言葉をかわしていいのかわからない。わたしは何も言わずに、鏡音君の後に続いた。やっぱり顔を上げられないので、下ばかり見てしまう。そうしていると、不意に鏡音君がわたしの手をつかんだ。
「え……?」
「そっちじゃないって」
道をそれていたらしい。一瞬視線があったけれど、わたしは恥ずかしくてまたすぐ下を向いてしまった。だって……どんな顔をしたらいいの? 鏡音君はわたしと手を繋いだまま、また歩き出した。
その後はずっと気恥ずかしくて、わたしは鏡音君とまともに話せなかった。何をどう話していいのかわからなかったし……。どうして、こうなっちゃうんだろう。
車でミクちゃんの家まで戻ると、わたしは、自分のお迎えが来るまで、ミクちゃんの部屋で待つことにした。鏡音君とミクオ君は、家に入らず、外で何か話している。
「ミクちゃん、今日はごめんね。折角誘ってくれたのに、一緒に回らなくて」
「わたしの方も絶叫マシンに夢中になりすぎちゃったから、お互い様よ」
屈託の無い声でミクちゃんはそう言った。ミクちゃんは楽しめたのね……良かった。
「ねえ……ところでリンちゃん、今日、何かあったの?」
「……何かって?」
あ……まずいな……。
「さっきから様子が変だから」
小さい頃から一緒にいるから、ミクちゃんにはわかっちゃうんだ。どうしよう……。ミクちゃんに話した方がいいんだろうか? でも、何を言ったらいいんだろう?
「鏡音君に、迷惑かけちゃったから……」
なんだかぼやけたというか、曖昧な表現になってしまった。だって、抱きついてしまったなんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど口にできない。
「迷惑って、今日リンちゃんにつきあったこと? あれは鏡音君の方から言い出したんだから、リンちゃんが気にすることないわよ」
きっぱり断言されてしまった。そうじゃなくて……。
「いえ、それじゃなくて……」
どうしよう。説明するか、やめておくか。わたしの目の前では、ミクちゃんが首を傾げている。
「ねえ、リンちゃん。まさかとは思うけど……」
「何?」
「お化け屋敷とかで、びっくりして抱きつきでもしたの?」
わたしは固まった。お化け屋敷じゃなくてミラーハウスだけど、やったことは一緒だ。どうしてわかったんだろう。
「え……今の、正解? うわーっ……びっくり……」
ミクちゃんは両手を頬に当てて、驚いている。わたしは赤くなって俯くしかなかった。
「それなら全然迷惑じゃないって!」
なぜか、ミクちゃんは勢いこんでそう言い出した。
「え……だって……いきなり抱きつかれたら……その……」
反応に困るよね? 実際、鏡音君、困ってたもの。
「リンちゃん、わかってないなあ」
ミクちゃんは、妙なことを言い出した。それも、何だか不思議と嬉しそうな表情で。
「それは絶対、向こうは迷惑だとは思ってないって。驚きはしただろうけど、迷惑じゃないことだけは確かだから」
強い調子でそう言われてしまう。迷惑じゃ……無いの? で、でも……迷惑じゃないにしても、その後のわたしの態度にも問題あったと思うし……。
わたしは混乱したまま、迎えの車に乗って帰宅した。お母さんが出迎えてくれる。
「リン、お帰りなさい」
「ただいま、お母さん。これ、お土産」
わたしは鞄からお土産の包みを取り出して、お母さんに渡した。お母さんが包みの中を見て、笑顔になる。
「ありがとう、リン。大事に使うわね。……今日は楽しかった?」
……楽しかったけど、同時にひどく混乱した一日だった。特に最後……。思い出すだけで顔が火照ってきそうだ。
「……うん。はしゃぎすぎてちょっと疲れちゃったけど。部屋で少し休んでくる」
わたしは二階へと上がって行った。廊下を歩いて自分の部屋へ行こうとして、ふっと足が止まる。ハク姉さんの部屋の前だ。
声……かけた方がいいかな。でも、今日はルカ姉さんが家にいる。わたしがハク姉さんの部屋に入ったところで、ルカ姉さんは怒ったり気を悪くしたりはしない。でも……なんだか、その事実を知られることが後ろめたい。
というか……ルカ姉さんは、どうして怒らないんだろう? わたしが物心ついた時から、ルカ姉さんは怒ったり泣いたりといったことをしない人だった。お父さんはルカ姉さんが完璧で理想的ないい子だったから、というけれど、わたしはいつも、ルカ姉さんと自分の間の壁を感じていた。わたしの家の姉妹関係は、多分まともじゃない。
わたしはドアの前で、耳を澄ましてみた。……何も聞こえてこない。これじゃ、起きているのか寝ているのかもわからない。ハク姉さん、起きている時は本を読んでいるか、携帯でネットをしているかのどっちかなのよね。
……結局、声をかけることはできなかった。わたしは自分の部屋に戻ると、着替えることもせず、ベッドに座ってしばらくぼんやりとしていた。
明日……どうしよう。そもそもなんで、わたしは鏡音君に抱きついたりしてしまったんだろう。パニックを起こしたとはいえ……幼稚園児みたいじゃない。
思い出すとまた恥ずかしくなってきた。わたしはベッドに突っ伏して、頭を抱えた。
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もっと見る頭の中が真っ白な状態で、わたしは鏡音君と一緒に歩いていた。どれだけ歩いたのか、それすらもよくわからない。とにかく、しばらく歩くと、鏡音君が立ち止まり、わたしの肩を抱く腕を放してくれた。
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