「かなりあ荘が…消える?」
そんな話をゆるりーさんから聞いたのは、確か春先だったような気がする。
各々が自分の道を歩み始めて幾年経っただろうか。
一人称が『俺』だった自分も、仕事を重ねていくうちにいつしか『私』と自分を呼称するようになった。
そんな中、時折かなりあ荘には顔を出す時はあった。
同好の士と共に書いた物語を見返して安らぎたくて。
しかし忙しさにかまけて、何一つ物語を書くことは出来ず。
そして唐突に知らされたかなりあ荘が閉じるという知らせ。
余りの忙しさに、今日の今日まで戻ってくることは出来なかった。
まさかの閉鎖前日である。
だけど、最後に挨拶だけでもしていこうか。
かつてネット上のトキワ荘に…なんてバカバカしくも楽しい夢を見た、このみんなの家に。
「……サビれてしまったなぁ」
静かな建物の中でホコリを払いながら、ふとつぶやく。
人が整備に来なくなった建物というのは、本当にもろいものだ。人がいなければあっという間におんぼろになってしまう。
尤も、だれが来なかったせいでこうなってしまったかといったら私が来なかったせいとも言えるんだが。
「……やっぱ違和感あるわぁ」
「なんだいルカさん、私って呼称するのはそんな違和感あるかね」
「違和感しかないわ」
雑巾を絞りながら、桃色の髪を揺らすルカさんが若干ドン引きしたようにこちらを見る。
確かにまぁ最後にルカさんと面を突き合わせた時はまだ『俺』だった気がする。
最近は友人とすら『俺』で話すことはない。だいたい『私』だ。
『私』の使い勝手が便利過ぎるのがいけない。普段使いでも仕事場でも使えるとか利便性の神なのではなかろうか。
「あとヴォカロ町シリーズを第1章まで書き上げたおかげでちょっと厨二魂燃え尽き感がある。ぶっちゃけ一人称の変化その辺在りそうだわ」
「嘘つけ」
「何故!?」
「あんた死ぬまで厨二に決まってるわ」
「何を根拠に!」
「あんたここ数年最近ゲーム実況動画出してるでしょ、あの子と一緒に」
くい、と指をさしたその先には……足元まで届く白髪をダブル三つ編みおさげにまとめた、黒いワンピースの少女が一生懸命に雑巾で床を磨いていた。
ふと自分に話題が移ってきたことを感じ取った少女が、慌てた顔で振り返る。
「はぇ?な、なんでしょうか……?」
「ごめんごめん、そんなキツイ話じゃないのよ。気にしないでね」
「は、はぁ……」
『私ここにいて大丈夫かしらん??』というちょっと戸惑った顔で雑巾がけに戻った彼女は、当然以前からここにかかわるVOCALOIDではない。
というかぶっちゃけあの子はVOCALOIDですらない。
彼女の名は―――紲星あかり。ここ4年程、ゲーム実況動画で力を貸してもらっている「VOICEROID」である。
ルカさんたちと違い普段は私の自宅に住んでいるが、今日はちょっと掃除の手伝いに来てもらっているのだ。
「あの子との動画見たわよォ。そこそこ人気になってたから私たちのほうでも結構有名でね?えーとなんだっけ?“何の変哲もないひと振りの剣は、今全ての名剣を繋ぎ合わせて最強の力を生み出…”」
「前言撤回。“俺”には種火が残ってますハイ」
一瞬で陥落である。
対人で『俺』という一人称を使うことは本当になくなっていたのだが、ルカさん相手だと自然と引き出されてしまう。さすルカ。
「その厨二魂をもう少しこっちに使ってくれてもいいのにねぇ」
「ごめんって……」
「冗談よ、じょーだん。わかってるって、前のPCぶっ壊れた時に軒並みデータ飛んで燃え尽きたんでしょ?気が向いた時でいいってさ」
懐の深いルカさんにはかなわない。
申し訳なさからポリポリと頭を書く私の耳に、ちょっと異質な懐かしい声が聞こえてきた。
『おい、ルカ、Turndog』
「終わったわよー、上の階の掃除」
『結構大変でしたー…』
ふわりと階段を降りてきた3人……3人と呼ぶかは怪しいが、まぁひとまず3人の影。
重たい水バケツを軽々と尾の先に引っ掛けて持ってきたのは、猫又・ロシアン。
おしぼりレベルに絞り込まれ今にも引きちぎれそうな雑巾を持っているのは、どっぐちゃん。
そして箒を握ってふわふわと戻ってきたのは、この建物に住み着く幽霊、清花ちゃん。
和装と箒のなんと似合うことか。
「おう、おつかれぃ」
「ありがとねー。あ、あかりちゃんもそんなもんでいいよ!ごめんねぇ、付き合わせて」
「あっ、いえいえ!マスターがお世話になった建物ですからこれくらい!」
ルカさんに呼ばれてキュキュキュッ!と柱の隅っこを拭き終えたあかりちゃんがおさげを翻してすっ飛んでくる。
なんと眩しい笑顔か。
「……天使かしらこの子」
「はぇ?」
ルカさんが真剣な目で見つめている。
そしてちょっと歩み寄ってあかりちゃんの頭をなでなで。
「へ?はぇ?ふわわ!?」
「Turndog、この子可愛すぎるんだけどうちの養女にしてはダメかしら?」
「ダメです」
「何よケチね」
「今からヴォカロ町の話にあかりちゃん組み込むの結構きついんで堪忍してもらえると」
「いいじゃんどうせエタってるんだから」
「一応ちまちま書いてはいるからね!!?」
「それあんたが死ぬまでに書き終えること出来る??」
「できるわァ!!」
流石にムキになる私をいなしながら、今度はロシアンらに向き直るルカさん。
「ロシアンもありがとね、助かったわ」
『全くだ。閉鎖される直前になってやっと大掃除か?他の連中はすでに荷物まで引き払っているぞ。残っているのはTurndog、お前のPCだけだ』
「やかましいわい。今日持って帰るから勘弁な。と、どっぐちゃんもありがとさん」
「ま、さんざん世話になった建物だしね。思い出深いところもあるし。ただ急に呼び出して急にこき使ったその見返りはあるんでしょうね?」
「枕崎のなまり節でどうだろうか」
「本枯れ節も追加なら許す」
厚かましい奴め。
しかしどっぐちゃんのおかげで相当な範囲の掃除を済ませることができたのは確かである。
ここは大目に見ておくとしよう。
そして私は最後の一人、幽霊の清花ちゃんに振り返る。
恐らくここが閉鎖になることで、一番の影響を受けるのは彼女だ。
「清花ちゃんも本当にありがとうな」
『いえ、ここは私の住処ですから。掃除は長年の趣味でしたし』
「……それでさ」
どっぐちゃんが、だれもが聞きたかったであろうことを口にする。
「清花、あんたこれからどうするわけ?」
『……』
「この建物は閉鎖になる。誰も来なくなるわ。ここには以前ここにいたみんなの作品が300以上残っている。それを見て過ごすのもいいと思う。だけど、もう誰も来ることはない、それどころか取り壊しまで決まっているこの建物に、残り続けるつもり?」
そうなのだ。
かなりあ荘の閉鎖は、ここに入れなくなるというだけではない。
来年5月には建物自体の取り壊しが決まっている。
ここの作品も何もかもすべて、消えてしまう。
当然、ここに憑りついている清花ちゃんにも、大きなダメージが入るだろう。
何より、彼女には夢がある。
かつてどっぐちゃんから聞いたことがある―――彼女が現世にとどまる未練について。
彼女は生前、友人から一冊のノートを渡された。
重度の結核を患っていた彼女に、想いの丈を書き残してほしいと叫んだ友人。
そしてその友人に応えるように、ひとつの作品を作り上げたいと決意した彼女。
結局それを生前に書き上げることはできなかったが、このかなりあ荘で、彼女は自分自身の作品を作り上げることを一つの夢として掲げていたのだ。
それが、叶うかどうかも分からなくなる。
「……清花ちゃん」
思わず声を投げかけるが、どんな言葉をかけたらいいかもわからない。
以前より多少年を取ったと言っても、まだ人生経験の薄い私には何を言うこともできなかった。
だが。清花ちゃんの目を見た時。
『……大丈夫ですよ』
優しい光が、彼女の手に集まった。
色とりどりの光だ。
青かったり、赤かったり、緑だったり黄色かったり。
水色のようだったり若草色だったり、檸檬色だったり朱色だったり。
「きれい……」
あかりちゃんからぽわっとした声が上がる。
それは、透明な色合いの青い着物を、ツユクサの花の柄のリボンを、彼女の僅かに淡い黒髪を輝かしく照らしていて。
なんとも優しく幻想的な光景だった。
「それは……」
『この建物に残されていた、皆さんの作品への想いです。しるるさんやゆるりーさん、茶猫さんに雪りんごさんにあゆみんさん、ちずさん、すぅさん、ぐろーみーさん、イズミ草さん、つかささん……その他かなりあ荘にかかわったたくさんの、たくさんの人たちの想い』
色とりどりの輝きの中から、少しくすんだ深緑の光が取り出される。
それを見た清花ちゃんが、私を見てふわりと笑った。
『ほら、これがターンドッグさんです』
「……ははっ、それが俺の色か」
思わず“俺”という一人称が出てしまうくらいに、それは美しく懐かしさすら覚える光景だった。
俺の表情を見つめた清花ちゃんは一層笑みを深めて、輝きを手のうちに収める。
『皆さんの作品への想いには魂が宿っています。この魂を……ひとつひとつ、この建物の作品に馴染ませていきます。うまく馴染んでくれれば、作品たちは皆さんのおうちに自分から飛んでいくことでしょう』
「ちょっと待って清花、あんたそれって……この建物の作品を守るつもり!?」
『ええ。うまくいけば半年くらいで保護が完了します。取り壊し寸前に、作品たちは自ら皆さんの部屋に届けられるはずです』
「でもそれじゃあんたはほんとうにひとりぼっちに……!」
泣きそうな顔になるどっぐちゃんに、清花ちゃんは違う表情を見せた。
それを見て、どっぐちゃんの顔が驚きに彩られる。
彼女は、とっても挑戦的な、不敵な笑みを浮かべていたのだ。
『そして、全ての作品の保護が終わった後、私は最後の挑戦をします。私自身の中に宿る、私自身が書き上げたい作品への想い……!』
色とりどりの光が清花ちゃんの胸のうちに消えたと思った次の瞬間、清花ちゃんの掌にはツユクサ色の光が花開いた。
そこには、一冊のノートが開かれている。
書きかけの文章が、今か今かと目覚めを待っているかのように。
『この作品への想いを媒体に、“建物そのものに残る人の想い”と“建物自身の魂”とひとつになります。3つ分の魂を得ることができ、同時にこの建物の魂がなくなれば、この建物から切り離されて自由に動くことができるでしょう』
「それって……!」
どっぐちゃんの期待に満ちた眼差しに、しかし清花ちゃんは少し険しい表情で目を伏せて首を振って返した。
それは恐らく、清花ちゃんにとっても相当なチャレンジなのだろう。
『……確約は出来ません。でも、もしも無事に成功したならば、皆さんのおうちに遊びに行きます』
そして彼女は笑うのだ。
初めて我々に心を開いてくれた時のように、優しく。
『その時は、また一緒に物語を書いてくださいね?』
全ての荷物を引き払い、時空転送用PC……ヴォカロ町の世界とこちらを繋ぐPCを起動させながら、私たちはかなりあ荘を出た。
このPCの時空が及ぶ範囲であれば、ルカさんやどっぐちゃんもかなりあ荘の外で存在が出来る。
周りを見つめれば、多くの人が多くの荷物を引いて歩いていた。
実は閉鎖されるのはかなりあ荘だけではない。この周囲にあるクリエイターの集うアパートの類は全て取り壊しになるそうだ。
何か大きな時代の変化があったのだろう……悲しくもあり、しかし前を向くべきなのだとも思う。
歩いてきた道を振り返って、暗闇に目を凝らす。
かなりあ荘の玄関では、ツユクサ色の着物の彼女が、笑顔でいつまでも手を振っていた。
明日には立ち入り禁止のテープが張られ、入ることは出来なくなるだろう。
そして来年の初夏には、皆で物語を書いた痕跡は何一つなくなる。
しかし私は―――俺は、彼女を信じている。
物語が大好きな彼女なら、きっとすべてやり遂げて、また青い着物を翻して我々の前にふわりと浮いてくれるのだろう。
楽しかった思い出を引き連れて。
「Turndog、家についたらあかりちゃん同様現世とちゃんとつなげて頂戴ね。この子と普段生活できないとかちょっと萎えるから」
「ルカさんあかりちゃんにドハマりしたな……」
「でも私、こんな感じのお姉ちゃん欲しかったので万々歳です!」
「あンらぁかわいいこと言うじゃない、娘に来てもいいのよ?つーか寄越しなさいTurndog」
「逆にルカさんが実況メンバーに来てくれてもいいぞ!」
「それは……私のボイロが出たらで……」
これからの生活に想いを馳せつつ、もう一度かなりあ荘を振り返る。
清花ちゃんの姿はなく、かなりあ荘がほんのりと色とりどりに輝き始めていた。
保護が始まったのだろう。
後は彼女に託して、我々は信じて待とう。
『……さ、帰ろうか』
さようなら。
ありがとう、かなりあ荘。
【最後の物語】さよなら、またね、かなりあ荘
誰かにコメント貰いたいなぁと思ってたんでもっと早く投稿する予定だったんですが、この時間じゃ貰えるかどうか大分怪しいな???
こんにちはTurndogです。
ここで過ごした日々は本当に楽しいものでした。
物書きとして精力的に活動しているゆるりーさんやちずさん、あゆみんさんらと異なり、私は趣味の動画勢になってしまっていますが、また筆が乗ったら四獣やヴォカロ町の続きを書いていこうと思っています。
まぁ多分四獣は順番ずれが起きないようにマイページ移行後かなって感じはするんですが…
最後に。
清花ちゃんの扱いについて。
清花ちゃんの発案者(確かそうですよね??記憶があいまい…)のしるるさんや他の面々に許可を取らずにあんな扱いさせて本当に申し訳ありません。
ただ、消えるはずの作品を守ってくれる子がかなりあ荘にいるとしたら、清花ちゃんだろうなって。
物語の続きを書くために頑張るか、消滅を受け入れるかなら頑張るだろうなって。
ふとそう思ったので、ちょっと無茶をさせました。
もし清花ちゃんが建物からの独立を成功させて消滅から逃げ延びることができると思う人は、いつか皆さんの物語に登場させてあげてください。
私も来年の6月くらいに何か書けたらいいなぁ。絶対絶望的に忙しいんだけど。
それでは皆様、またどこかで。
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