暗闇の空、降り頻る冷たい滴、雨。
しかし、それとは対照的である商店街の雑踏の中を、俺は足早に進んでいる。
人々の話し声、波打つ雑踏、どこからとも無く流れ来る音楽。
焦燥する俺のことなど気にも留めない商店街は、相変わらず疲れを知らないような賑やかさで沸き立っている。
首を回して視界を巡らせ、腕で人々を掻き分け、脚は更に歩みの速度を速める。
あれか、いや違う。ではあの子か。いや、見間違いだ。気分はもはや、泥沼でもがいているようだ。
いくら探しても、見つからない。当てなど、どこにも有りはしないのだ。
ただこうして人々の雑踏という泥沼の中でもがいているだけだ。
そう己で自覚しているにも関わらず、今もこうして視界を巡らせ、人々を掻き分け、足早に歩き続けている。
この行為は、無意味に等しいかもしれない。
だとしたら、他にどのような方法がある?
周りにいくらでもいる見知らぬ人に訊ねるか? 警察に届け出るか?
いや、そんなことはできない。他人に事情を知られてはまずい。
だからこそ、まだ無意味な行為を繰り返していた。
そして無意味な時間が過ぎた。結局その行動を止め、俺は商店街の一角にある、屋根のベンチに腰を下ろした。少しだけ雨が滴り落ちていてたのか、尻に冷たい感触が僅かに染み込んだ。
だがもはや、そんなことに一々嫌悪感を抱いていられる余裕はなかった。
疲労にしびれた手で、弱々しくワイシャツの胸ポケットの中から煙草の箱を取り出した。最後の一本だ。俺は名残惜しく取り出し、口にくわえた。そこでまた両手を膝の上に下ろして一息する。ポケットを探ってライターを取り出すことにも一息入れてしまうほど、今の俺は疲れ切っていた。
雨はまだ降り続く。俺の上半身は水没させたかのように濡れていた。
目の前を通り過ぎる人々も、この雨も、大層元気なものだ。全く、こんなにやつれている人間はここで俺ぐらいだろう。
そんな愚痴を心の中で呟きながら、ライターを取り出すと、煙草の先端に着火した。
「どこにいるんだ・・・・・・。」
苦悩に満ちた呟きと共に、煙が力なく待ちから漏れた。
彼女が忽然と姿を消してから、既に半日以上が経過している。
◆◇◆◇◆◇
あたしは歩いている。当てもなく。ただそれだけ。
さっきからずっと降り続けている雨のせいで上着のフードはぐっしょり濡れて、体が重い。
でも、もうどうでもいい。そんなこと。
もうすぐ、この重さとも、寂しさとも、冷たさとも、開放されるから。
それまで、こうして歩き続ける。
こんな雨の夜に傘も差さないでいるから、横を通り過ぎる人たちが時々、チラチラとあたしを見る。
もう嫌。こんなの。
どうせどこにいたってあたしの居場所なんかない。
早く、早くしよう……。
街中を歩いていると、大きなビルの大型テレビに、ステージに立つ少女の姿があった。水色のド派手なツインテールの女の子だ。
ボーカロイド……。
画面の中の少女は踊り、歌い、街中を歩く人の足を止めてその姿に見入った。
あたしもその画面を見上げた。
何気なく、ぼーっと眺めているうちに、目から、涙があふれてきた。
ここから早く立ち去りたくなって、あたしは一気に駆け出した。
その時、突然、体がふわっと宙に浮いた。濡れたコンクリートの地面に足を滑らせたんだ。
「うあッ!」
そして何がどうなったのかも分からずに、コンクリートに叩き付けられた。痛い。アスファルトの硬さとざらつきが容赦なく私の体を痛めつけた。
ああ、きっと泥まみれになっただろうな。
でも、それでもいい。
どうせ、あたしは……。
「危ない!」
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
目の前に、黒いコンクリートに敷かれた白い線が見えた。何だ、ここ車道か。
後ろから、車の音がする。
体を起こして、振り向くと、大型トラックがこっちに突っ込んでくるのが見えた。
ブレーキ音が聞こえるけど、雨でスリップしたみたいで、こっちに突っ込んで来る。
ああ。良かった。これで手間が省けた。
「これでやっと……死ねる。」
あたしは、ゆっくりと目を閉じた。もう開けることは無いだろう。
躊躇いなく私に突っ込んでくるトラックが、私が最後に見た風景だ。あーあいい人生だった。
が、突然私の体が誰かに抱きかかえられると、さっき転んだよりも速いスピードで空中に投げ出された。そしてその誰かに体を抱えられたまま、私は歩道側に着地した。今度は痛くなかった。
どこか向こうで、金属と金属がぶつかって、激しい音を立てたのが分かった。トラックが横転したんだ。
私を抱きかかえたそいつは、私をそっと地面に座らせた。一体何が起きたんだ? 私はボーゼンとするしかなかった。
何気なく見上げると、そこには一人の少女が私と同じ目線にしゃがみこんで、私の顔を覗き込んでいた。
深くかぶった帽子の後ろから黒い髪のツインテールが垂れている。帽子のつばの下では、赤い瞳が道路の電灯の光を反射して、仄かに煌めいている。背が私よりもずっと高い。
アイボリーのセーターに黒いジャケット、灰色のジーパンという地味な格好だけど、非現実的なほど整った顔をしてる。
「大丈夫か?」
呆然としているあたしに向かって、その少女は話しかけてきた。
それに、この声……こいつ知ってる……。
「怪我はないか?」
「……何でよ。」
「え?」
「何で……助けたのよ。」
「……?」
そいつは、あたしの言葉に面食らったような、信じられないような顔をした。
「あ、君は……。」
そいつはさらに驚いた様子だ。いちいちうるさいやつだ。
「君は、亞北ネルだな。」
「だから、何よ。」
「ちょうど探してたところなんだ。みんな君を探してる。さぁ帰ろう。みんな心配してる。」
そいつはあたしに向かって手を伸ばした。
「嫌ぁッ!」
あたしがそいつの手を振り払うと、今度は悲しそうな顔をした。
そのときには、あたしの周りに、あっという間にやじ馬が集まってきた。
そして、何か騒いだり、ささやいたりしている。
「……ここじゃ場所が悪い。」
「?」
「行こう。」
そう言ってまた手を伸ばしてきた。懲りないやつ。
「いや……ほっといて……ほっといてったら!!」
そう叫んだ瞬間、突然、目の前の景色が歪み、耳に聞こえてきた街の音もグニャリとひしゃげて意味不明な不協和音になって、何もかもがいびつになって、ぼやけていった。
え……何これ……体が熱い……。
無重力に放り出された感触と、じんわりと染み込むような苦痛が体を覆い初め、訳がわからないままで居ると、いつの間にか体がコンクリートの地面に触れていた。
意識が遠のいていく……ああ、でもまた目を覚まさなきゃならないんだろうな……。
◆◇◆◇◆◇
「あ、あのハクさん?」
<<あら、雑音さん、どうしたんですか>>
「ネルが、ネルが見つかったんだ!」
<<本当?!どこにいたんですか?!>>
「中央通りの交差点の近くで、トラックに轢かれそうになったのを助けたんだ。でも、そのあと突然倒れて……今、わたしの家に寝かせてる。」
<<ああ……ありがとうございます。他のみんなやマスターにも伝えておきます>>
「まだ体調が優れないようだから、良くなったら明日に私が一緒にピアプロに連れて行くよ。」
<<はい・・・・・・本当にありがとうございました>>
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