リンは家のことがあるので、つきあうといってもあまり派手なことはできない。とはいえ、できる限りは一緒に過ごしたい。俺はリンと相談して、昼食を一緒に食べることにした。急に二人きりになるのにはクラスの目があるので、初音さんとクオも一緒だ。クオは当初むくれていたが、数回でなれた。それになんだかんだ言って、昼食中は結構楽しそうに初音さんと話をしている。
　これも相談して、月に一度、日曜にデートすることにした。回数が多いとごまかすがの難しくなるからだ。行き先なんて公園や図書館でもいいから、もっと会いたかったが、状況が状況なので贅沢は言えない。
　リンは出る度少し不安そうだったけど、俺と一緒にいる時は概ね楽しそうだった。


　三月に入って二度目の日曜日、俺たちはデートで映画館に来ていた。場所は都心のシネコンである。リンは物珍しそうに辺りを眺めていた。
「わたし、映画館って入るの初めて」
　リンはそんなことを言い出した。リンの常識が通常とはかなりズレていることは理解しているが、映画館に入ったことがないって？　そりゃ、リンの家なら映画館も禁止条項に入ってるだろうが……。
「初音さんと一緒に来たりとかは？」
　クオは映画が好きだ。俺もだけど。だから結構一緒に映画を見に行った。
「ミクちゃん、映画なら家でのんびり見たいって言うの」
　ホームシアターが設置されてる家じゃあ、そうかもなあ。もっとも映画館っていうのは、それだけじゃないんだが。
「映画館って、広いのね」
「ここはシネコンだから。スクリーンが一つしかないようなミニシアターなら、もっと狭いよ」
　言ってから気づく。……リンはシネコンって言われて、わかるのか？
「シネコンってなに？」
　あ、やっぱり。
「シネマコンプレックスの略。たくさんのスクリーンがある映画館のことだよ」
　実際にはなんか色々他の定義があったと思うが、本質的にはこれで間違ってないはずだ。
　俺は時計を見た。上映までまだちょっと時間があるな。
「リン、飲み物でも買っとく？　あるいはポップコーンとか？」
　俺は売店のポップコーンを眺めつつ、訊いてみた。こいつは映画館における伝統みたいなもんだ。……と言っても、シネコンの飲食物は高いから普段はあんまり買わないんだけど。
「でも、後ちょっとで映画、始まるんでしょ？」
「ここは中での飲食OKだよ」
　映画館によっては駄目なところもあるが、シネコンは大体OKだ。飲食物で利益あげてるせいもあるだろうが。
「ううん、いい。お腹空いてないから」
　そっか。俺も別に空腹じゃないし、今日はやめとこう。


　いざ映画が始まると、リンはもっとびっくりしていた。この手の作品には慣れてなかったらしい。言っておくけど、普通の映画だよ。平たく言うと「家族みんなで楽しめます」的な内容のアドベンチャー映画だ。だっていきなり、ひねくれた作品見せるわけにもいかないだろ。
　リンは映画が終わった後も、しばらく呆然としてそこに座っていた。……大丈夫か？　俺はリンの手をそっと握った。
「あ……」
「出ようか」
　リンは恥ずかしそうに頬を赤らめて、無言で頷いた。……そうなるのはなんとなくわかってたんだけど。
　リンの手を握ったまま、俺は立ち上がって、一緒にロビーに出た。
「さっきの映画、どうだった？」
「あ……うん、映像が、なんていうか、迫力があって、今はああいうのが作れてしまうんだなって、そういうのにまずとても驚いたわ」
　映像技術の進化は、リンにとってちょっとしたカルチャーショックだったらしい。
「もう小さな子供じゃないのが、残念なぐらい。わたしがもっと小さかったら、スクリーンに映るものを見ただけで、きっととても興奮して、全てを主人公と同じように感じ取ることができたと思うから」
　そこまで話したところで、不意にリンの表情がさっと翳った。あれ……どうしたんだ。
「……リン？　どうかした？」
「あ……大したことじゃないの。ちょっと淋しくなっただけ」
　そう言う割に、俺の手を握る力が強くなっているんだが……。これは「不安」のサインだ。
「淋しいって？　子供の頃からこういうのを見たかったってこと？」
　リンにはきっと、ファミリー向けの映画を家族揃って見るとか、そういう機会はなかったんだろうな。
「それに近いかな。多分、その感情はその時だけのものだったと思うの」
　難しい表情で、リンはそう言った。真面目な性分だから、物事を突き詰めて考えたがる。確かに、子供の時に見た作品ほど感動するって言うし。俺もちょっと身に憶えがある。
　リンは頭を俺の肩に乗せてきた。このままにしとくとよくないな。えーっと、この状態で肩を抱くのはやりづらいから……。
「ところでリン、昼はどうする？　今日も図書館行くって言って抜け出して来たってことは、お弁当持たされたんだろ？」
　リンのお母さんは、リンが図書館に行くとく時はお弁当を持たせている。リンも疑われたくないので、黙ってそれを抱えてやってくる。なので口実が図書館の日は、どこかでそれを食べることになる。
「ここは飲食物の持ち込み禁止だから、外の広場でいい？　ベンチあったはずだし。ちょっと風が冷たいかもしれないけど」
「うん……」
　半ば上の空みたいな表情で、頷くリン。……なんか様子が変だな。何かあったんだろうか。
　……ロビーに立ってても仕方がないし、とにかく外出よう。腹空いた。俺はリンを連れて、映画館の外に出た。広場に行く、あ、あそこがあいてるな。俺はその空いているベンチにリンを座らせた。
「じゃ、俺はどこかその辺で何か食べるもの買ってくるから、リンはちょっと待ってて」
「あ……待って！　わたし、今日、レン君の分も作ってきたから！」
　リンの声に、俺は驚いてリンの顔を見た。作ってきたって……。俺が見ていると、リンは鞄を開けて、中から大きなタッパーを取り出した。……ああ、やけに鞄が大きいと思ったら、あれが入ってたのか。
「といってもサンドイッチだけど……でも、ちゃんと食べられるから」
　リンがタッパーの蓋を開けると、中にぎっしりとサンドイッチが詰まってた。うわ、これ、全部リンが作ったのか。これだけ作るのは相当大変だったはずだ。それに。
「大丈夫？　怪しまれたりしなかった？」
　こんなに大量にサンドイッチこしらえたら、目立つんじゃないだろうか……。
「……たまには自分で自分のお弁当作ってみたいって、お母さんに言ったの。材料だけ用意しておいてもらって、朝早起きして、お母さんが起き出す前に全部終わらせた」
　おいおい……。俺は少し唖然として、目の前のリンを見ていた。よく見ると、少し疲れてるようだ。一体、朝の何時に起きたんだろう。それに。
「け、けど分量は？　これ、どう見てもリンが一人で食べる量じゃないだろ」
「……味付け失敗して、かなり無駄にしたって嘘ついたの。ゴミ箱には丸めた新聞紙を入れておいたから、多分ばれてないと思う」
　丸めた新聞紙って。それでごまかせるものなんだろうか……。ま、そりゃ、台所のゴミ箱をひっかき回すような真似を、好んでやる人間ってのはそういないと思うが……。
　とにかく、リンがこれを俺のために作ってきてくれたんだ。家にバレてないことを祈りつつ、頂こう。俺はベンチに座った。リンがウェットティッシュを渡してくれたので、それで手を拭く。
「はいこれ」
　水筒を渡された。蓋を開けて中身を注いでみる。ホットのコーヒーだ。
「わざわざコーヒー持ってきてくれたんだ」
「あ……うん。インスタントだけど。レン君、いつもコーヒー飲んでるから、コーヒーの方がいいかなと思って」
「リンの家ってインスタントコーヒーなんか置いてるの？」
　偏見かもしれないが、てっきり豆から挽いているんだとばかり思っていた。
「お手伝いさんの休憩用の奴なの。インスタントコーヒーとかティーバッグの紅茶とか、キッチンにまとめて置いてあるのよ。わたし、普段コーヒーって飲まないから淹れ方がよくわからなくて。これだと簡単に淹れられるみたいだから」
　さすがにちょっと不安になったので、コーヒーに口をつけてみる。……普段飲んでるのと変わらないな。考えてみたら、インスタントのコーヒーというのは誰にでも簡単に作れるようになってるものだから、説明書きのとおりにすれば、余程のぼんくらでもない限り飲めるものができるはずだ。
　リンはもう一つ水筒を取り出して、中身をコップに注いでいる。色からすると、こっちは紅茶のようだ。
　とにかく、折角リンが、俺のために（ここ重要）作ってきてくれたんだから、有難く頂こう。俺はサンドイッチを一つ手に取った。
「じゃあ、いただきます」
　不味かったらどうしようかと思ったが、食べてみるとちゃんと美味しかった。ツナ、ハムとチーズ、チキンと卵、ポテトサラダ、と種類も豊富だ。
「あ、美味しい」
　ふっとリンの方を見ると、安心したように笑っていた。気に入ってくれるかどうか、不安だったらしい。リンはもうちょっと、自分に自信を持ってもいいんじゃないかなあ。