地面に倒れている長い髪の女の子を横目で確かめながら、私は携帯電話の向こうに声を掛ける。
闇に溶け込む特警の服装の中で、地面にばらりと散らばった桜色の髪だけが月の光を反射してぼんやりと輝いていた。
幻想的、とも言えるのかもしれない―――もっと平和的な状況でなら。
「はい、任務完了。で、私はこの後どうすればいいの?あとこの子もどうするのよ、今回事前情報が少な過ぎるわ」
『ごめんね、メイコ』
心底済まなそうなミクの声に溜め息を返す。意味のある溜め息ではなく、もう習い性みたいなものだから仕方ない。
敢えて言うなら私はこの溜め息でミクの話を促しているのかもしれないけれど、そんなものわざわざ分析しなくたっていい。正直どうでもいいしね。
今気に掛けるべきは、自分とこの子の身の振り方。
まあ…いつもの通りにするなら殺すのかしら。
返事を待つ間に一応折り畳みナイフを広げておく。ぱちん、軽い手応えと共に月の光が歪みながら目に飛び込んでくる。ナイフの刃に映って滲む、白い光。
すっかり使い慣れた…といっても人を刺せばあっという間に鋭さは落ちてしまうから、どんどん取り替えてもう何代目かわからないそれは何の違和感もなく私の掌に収まった。
あとは、ミクの号令と共に―――
『あ、それなんだけど、その人、無力化して連れて来れる?あの仲通りのアパートの方にいるから、そっちに』
意外な言葉に、私は思わず目を見開いた。
「え?生け捕りにするの?」
『ん…今はちょっと捕まえておいて。この後どうするかはリン達次第』
「…どういう事?」
話の繋がりが分からない。
首を傾げながらナイフを畳み直す私の耳元で、ミクの声に軽い困惑の色が混ざった。
『私としたことが、情が移ったというか…なんだか、何か飼わないとやってられなくなっちゃっていたみたいなの。このビルの地下のあの場所から、綺麗な化け物がいなくなるのが淋しくて。―――特警の人間も、大概化け物じみてるでしょう?』
成る程。
私は胸の中で頷いた。
つまり、リンが生きてミクの元に戻ればこの娘は始末される。
でももしもリンが戻らなければ、この娘を代わりに飼う…そういうことだろう。
悪趣味な気もするけれど、他人の趣味に口を出す気にはならないし、ミクが悪趣味なのなんて今更教えられなくても分かっている。
まあ、どうもミクはリンは戻らないと思っているようだし、ミクの予想が外れるということがまずないことを考え合わせると…
…ま、とりあえず行きますか。そういうのを考えるのって、今は必要ないわ。
仕方ないな、と一つ息を吐いてから、俯せに倒れ込んだ娘の袖を捲り上げる。そして、無造作に一本の注射を射った。
中身は麻酔薬と睡眠薬の混合物。何をどう配合しているのかは知らないけれど、ミクから貰ったものである以上、相手を殺すことはないだろうと思う。
ちなみにミクの組織の中で簡単な医療実技を習っているので注射も危なげなく打てる―――ああ、一般社会では勿論許されないけど。普段の顔は普通の事務系会社員で、当然医師免許なんてものは持ってない。
大学も出たことは出たけれど、文系の四年制の大学だったし。
最も、今この場面ではこの娘が注射ミスで死んだとしても、さして問題ないんじゃないかとは思う。
自分と同じような体格の体を軽く背負い上げ、メイコはちらりと遠くに立つ二つの影に目をやる。
月の下に立つ金の二人組は、さっきから硬直したまま動く気配がない。
…いつまでやってんのかしらねえ。
というか。
「ミク」
『何?』
「あの二人は、あのまま放っておいていいの?」
『リンとレン?…いいわ、放っておいても問題ないもの』
あっさりとした肯定の言葉。
砂利を踏んで歩きながら、私はミクに尋ねた。
「良いの?リンから情報が漏れるかもしれないのに。あんた、そういうの嫌うんじゃなかった?」
『大丈夫だと思うわ。それに言ったでしょう、私は選択肢を重んじるから、あの二人は見逃してあげるの。それが優しいか残酷かは別にして』
「え?」
ずり落ちてきそうな娘の体を改めて背負い上げながら、メイコは怪訝そうな声を上げた。
優しいか、残酷か?
そんな基準で考えていなかったから意表をつかれた、という理由もある。
しかしそれよりも、ミクがそんな基準を持ち出して来たのが驚きだった。
―――ミク、自分で思っているよりあの子を可愛がっていたんじゃないかしら。
疑問が、頭の中を掠めるようにして過ぎった。
『メイコはあまりあの二人と接触がなかったから、実感として分かりにくいかもしれない。でもね、私には分かったの』
淡々とした声が、電波を介して夜を渡る。
『二人の間の溝は、埋まらない。殺すことしか知らないリンと、それを心から憎むレン。相いれることが出来る筈がない。勿論、少しは持ちこたえられるかもしれないわ。絆が勝っているならね。…でも、メイコ、どう思う?どちらが先に堪えられなくなるかしら。リンの快楽?レンの憎しみ?どちらにせよ、均衡は必ず破られる。そのどちらも、消えかけていた絆なんて甘いものじゃない…何年もの時間を掛けて体中に刻み付けられた衝動が、そう簡単に抑えられるわけがないんだから』
「…つまり」
世界に満ちる音は、自分の足音だけ。
その静寂を破るのがいやだったけれど、私は結局口を開いた。
「どちらかが死ぬ、ってこと?」
『違う』
返って来た答えは、簡潔。
『どちらも生きるか、どちらも死ぬか。片方だけが生き延びることだけは有り得ないと思う。残った方は、必ず片割れの後を追うでしょう』
彼等は鏡映しの二人組。
鏡の片側の存在が消えたのにもう片側は残ったままだなんて、有り得ない。少なくとも、それはもう鏡ではない。
不意に、振り返りたくなった。
道の先に―――まだあの二人は、立っているのだろうか?
「どうしようもない、の?」
『メイコ、優しいね』
ミクの声に苦笑が混じっているのに気がついて、少し複雑な気持ちになる。
優しい、というよりは―――多分、単なる好奇心と言った方が近いんじゃないか、と思う。思考の遊びというか、そこまで意図的に仕組まれた運命だと抜け穴を探したくなるというか…だって、優しいと言う程柔らかな感情は持っていない。
二人の数奇な運命に対しての哀れみはあるけれど、それだけ。
背中で意識のない娘の体が揺れる。
ゆらゆら、と。まるで死体のように。…実際、似たようなものだけど。
十歩程歩くだけの間の後、ミクは思い出したように口にした。
『本当は、手段はあるにはあるの』
見える様な気がした。
座って軽く机に肘をつき、緩やかに指を組み合わせているミクの姿が。
優雅に、無表情に。まだ若いというのに、彼女には何処か女王の風格があるような気がする。
それが私を惹き付けた。きっと他にも、そこに惹かれた人がいるだろう。
『リンに関しては、もっと手軽で強烈な快楽を教え込めば良い。あの子は良くも悪くも本能的だから、そういうのには大人しく従うはず。まあ、そこはもう対峙しているレンの手腕次第ね。対してレンは、どうにかしてリンにもっと強くて濃密な感情…端的に言うなら愛情を持つことが出来たら良い』
「愛情?…無理じゃない?」
『そんな事ない。愛情と憎悪は表裏一体、たった一度でも自分を騙すことが出来れば後は楽。今現在膠着状態なところからすると、素地は十分にありそうだとは思うけれど…』
ミクが少しだけ言い淀む。
そこにあった感情は、一体何なのか―――予測することは簡単でも、その先にまで繋がらない。
『ただ、どちらにせよ時間が掛かることではあるの。そして彼等には時間がない。余裕もない。どちらかが衝動に負ければ、そこで最後の殺し合いが始まってしまう』
「ハードね」
ミクの声に含まれる小さな躊躇いに、メイコはしっかり気付いていた。
小さな小さな、罪悪感の棘。
多分ミクは後悔している。―――リンに渡していたあの薬、あれは副作用として記憶障害が起きる。リンが過去を忘れた理由の一つとして、確かに薬のせいがあるだろう。
初めは意図してやっていたことだった。
拾ってすぐの頃のリンは余りに不安定で、いびつで、そのままではとても使い物にならなかった。
だからあの薬を使った。当時組織の製薬部門が開発した新薬だったから、臨床実験としての意味も兼ねて。ただし、一番の理由はリンの執着を殺人だけに向けさせて扱いやすくすること。過去の記憶を奪い、片割れを忘れさせること。
そしてミクはリンに他の快楽を覚えさせるようなことをけして行わなかった。リンが組織で必要とされていたのは、一振りの狂った刃としての役割だけだったのだから。だから、リンの人間らしさは意図して排除されるべきとされていて…実際、排除された。
そうして出来上がったのがあの可愛らしい殺人鬼だ。明らかに倫理を知らず、所々論理構造も破綻した、壊れかけの可愛いおもちゃ。命令一つで踊り出す、からくり仕掛けのお人形。
冷静に考えるなら、哀れに過ぎる。
そこまで思考を辿ったところで、ふと、電話の向こうのミクが実際にはどんな顔をしているのか気になった。
細かい事情はミクから聞いて知っている。
それはつまり、それだけミクがリンの事を語ったということで。
それはつまり―――それだけミクがリンを気にかけていたということで。
『ねえメイコ。私、残酷かしら?』
気温より少し冷たい声に、メイコは微かに目を細めた。
残酷、と言うのは簡単だ。確かにミクは理念のために手段を選ばず、目的の為に全てを切り捨てる事が出来る。それこそ非情なまでの割り切りのよさで切り捨てるのだ。
でも。
「…分からないわ」
メイコは小さく呟いた。
電話の向こうに広がる沈黙。
代わりに、いつの間にか鳴き始めた虫の叫びが耳に染み込んで来た。
儚い命を謳歌する夏の虫の狂騒が、今はとても淋しく聞こえる。
ゆっくりと自分の指先が通話終了のボタンを押し込むのを眺めながら、ミクは緑の瞳をほの暗く翳らせた。
―――私は、あの二人に「機会」を与えた。
それが幸福を示すか絶望を示すか。
携帯電話を静かに閉じる。それに合わせるようにして、静かに瞼も下ろす。そしてミクは、そっと胸元の携帯電話に両手を添えた。
まるで、祈るかのように。
「―――願わくば…」
彼等に神の祝福を。
しかし、どんな神が彼等を祝福してくれるというのだろう。
壊れた彼等に、未来は許されているのだろうか。
それを知りたいとは、思わない。
異貌の神の祝福を α.M
さて、これでからくり系は完結になります。
ちなみに、この世界としてはこれからミクとルカさんとかカイトとミクちゃんとかカイトとめーちゃんとかがあれこれやっていく事になります。
リンレンは上手くいけば二人で生き延びますが、ちょっとこの流れで行くとアウトな予感が…
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ご意見・ご感想
翔破
コメントのお返し
コメント頂いて、最初に「ミク可愛い」と言って頂けたのが、驚くと共に嬉しかったです。
ちなみにこの終わり方は、生存ルートと死亡ルートのどっちもおいしすぎて選べなかった結果です。二兎追う者はなんとやら、ですね…
動画のミクちゃん、とんでもなく女王様でしたね!あれ見てしばらく動画の前で突っ伏していました。悪役ミクちゃんすごい良い!高笑いとかしてくれそうで、凄くワクワクしました。末期ですね。
美味しく頂いてもらえたなら幸いです!ありがとうございました!
でも寝不足にはご注意ください。
2011/03/31 16:13:45
なのこ
ご意見・ご感想
祝福ください。ルカどうなるのかなぁ・・・?気になる・・・幸せになってね!!ブクマもらいます
2011/03/16 21:01:47
翔破
コメントありがとうございます!
…というか、沢山のコメント・ブクマありがとうございます!ここでまとめてお返ししますが、ご容赦ください。
この話はかっとなってやった、後悔はしていない!のノリで書いた話だったので、8話目を書くときに終わり方に悩みました。ハッピーエンドにしようかとも思ったのですが、結局このような形に落ち着く事に…。
ちなみにこの後ミクちゃんはルカさんの事も気に入ってしまって、そこからミクさんの組織VSカイトさん警察の全面闘争になる、という流れを考えています。あと、クール系カイトさんにモテ期到来!とか。考えているだけですが。
…だれか書いてくれないかな、そういうの…
この作品を少しでも面白いと思って頂けたのなら幸いです。
原曲、凄く良いですよね!チームOSすばらしいです!
2011/03/16 21:31:04
翔破
コメントのお返し
大丈夫です、私も書きながら「ルカさんごめん本当にごめん」と思っていました!
コメントありがとうございます、というかこのシリーズを通してかなりコメントを頂けてとても励みになりました!一応こういう形で幕切れですが、この世界の中の人達は私の手を離れた状態でまだこの先も生きていくんだろうと思います。
というか、正直ルカさんはこういう事になる予定ではなかったんです。ミクちゃん側と接触する、程度の予定だったのですが、何故かミクちゃんが暴走しました。どうしてこうなった!?
…多分、思ったよりもミクちゃんがさびしがりになったせいだと思います。
2011/02/08 21:12:40
matatab1
ご意見・ご感想
形はどうあれ、リンの事を気にかける人がレン以外にもいたんだねと安心しました。
『からくり卍ばーすと』を聴いていない(動画を見ていない)まま読んでいましたが、曲を知らなくても楽しめて、面白かったです。
2011/02/08 17:44:57
翔破
メッセージありがとうございます。
頂いた感想を見て、そう読んで頂けた事に嬉しくなりました。
形はどうであれ、恐らくリンを「気にかけていた」という事についてはミクが一番だったと思います(この解釈の世界の中では、ですが)。
ちなみに本家動画はひとしずくさんのメロディとやまさんの設定、鈴ノ助さんのイラストとチームOS完全装備の素敵仕様となっています。機会があれば、是非聞いてみてください!
予想より随分話数が多くなってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございました。
今後もお暇な時にでも立ち寄って頂ければ幸いです!
2011/02/08 21:19:05