――そう、つまり、『俺様』の方が恋に落ちたわけだ。
我ながらそんなことをこんな風に申告するとは思って居なかったし、ましてその申告の内容が自分が恋に落ちただなんて、そんな恥ずかしいことだなんんて、一体全体、いつ予想を立てることができるのだろうか。
最近、人気のアイドル歌手、『鏡音レン』。性格は表向きではショタ、あるいは素直と言うことになっているが、本当は超がつく『俺様』ではあるが、言い方を変えると『悪魔』とも呼ばれるような、まさしくサイアク、裏表のある人間と言うのは確かに怖い。そんな鏡音レンが、まさか、ほぼド素人の少女――それも性格は天使の如く素直な、裏表のない少女――に恋をするとは、誰も想像していなかっただろう。何せ、本人たちですら想像できなかったのだから。
少し恥ずかしいが、俺が話をしなくちゃ、この話は始まらないわけだし、仕方がないから少しだけ話してやる。
「――カイトっ!次の仕事はっ!」
ネクタイを緩めながら、後ろからついてくる青い青年に向かって、声を大きくしてたずねた。
「雑誌の撮影!同じ建物だから、控え室までダッシュ!」
カイト、と呼ばれた青年は嫌な顔一つせずに黒い手帳を取り出して、次のスケジュールを読み上げる。…なれたものだ。
「ああ、ファッション誌だったな。ってことは、着替え多い?」
「少し多いかな。けど、そんなに長くかからないと思う。それが終わったら、後はドラマの撮影で今日は終了。頑張って」
「頑張るのはお前だろ。これが長引いたら、お前のデート連続三回つぶれることになる」
「…レン、本当に頑張って」
なぜか先ほどよりも力がこもった口調で、カイトは後ろからレンを後押しするように走り始めた。それに負けないようにレンが走る。
「遅れてるよ、レン!」
「何分?」
「三十分!」
その言葉に何か言葉で返すのかと思いきや、レンは何も言わずに荷物だけもって走っていった。驚きながら、カイトもそれを追う。
「車は?」
「裏手に止めてある」
「急げ!」
「はいっ!」
ドラマの撮影は今回が始めて。勿論、別のドラマなら何度も出たことがあったが、このスタッフたちとはほぼ初顔合わせだ。そこで遅れていくというのは大きなイメージダウンになりかねない、重大なミスにつながることだってあるし、スタッフに嫌われて消えていく芸能人は星の数ほどいる。しかも、今回の監督は気難しいことで有名で、時間には異常なくらいに厳しく、一度遅刻してきた主演の役者を降板にしたこともあるというほどのカタブツである。
それを、初回から遅刻とは。こういうときははじめから反論はしないほうがいい。
「遅れました、スミマセン!」
ドアを開いて監督のところに行くと、頭を下げた。監督は何も言おうとしない。そっとレンが顔を上げると、赤みがかった茶色の髪の、綺麗でスタイルのいい女性が座っていた。
しまった、共演者と間違えたか、とレンが思ったとき、女性が言う。
「…まあ、いいわ。他の共演者たちも待っているの。兎に角挨拶をしてきましょう」
そう言ってレンを、セットの奥へと連れて行った。
鼻を刺激する甘い香。
元気のよい少女の声がする。
「わぁ、本物っ」
彼女は今回のヒロイン役、無名の少女がオーディションを勝ち進み、まさにシンデレラガールとなった、と、週刊誌などで騒ぎ立てていた。確かに可愛らしい。青い目はくりっと大きく丸いし、二重だし。短く整えられているはずの髪は少しはね、彼女の元気な印象をさらに強く見せるようで、それに白いリボンとヘアピンが照明の光を受けてきらきらと輝いた。
正直に言うと、確かに可愛い。
…まあ、恋愛対称になるほどではないが。
「凄い!鏡音レンだぁっ」
はしゃぐ少女をたしなめ、監督が言う。
「とりあえず、自己紹介をしましょう。私は今回の監督をしている、メイコ。よろしく」
自己紹介をすると、小さな拍手が起こった。
監督と言うよりか女優のような外見のメイコは次は君の番、とでも言うようにレンを軽くつついた。
「お、俺は、鏡音レンです。主役、やらせてもらってます。よろしく」
軽く頭を下げると、また小さな拍手が起こる。
「私は鏡音リンです。ヒロインだなんて大役、できるかわかりませんけど、よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げ、テーブルに頭をぶつけてしまう。やはり元気なタイプの少女らしい。
それにしても、レンが驚いたのは自分の名前とたった一文字しか違わないことで、自分でも『鏡音』という苗字はとても珍しいと思うから、親戚以外では鏡音なんて苗字の家はないと思っていた。よくよく見ると、顔も心なしか似ている。芸名だろうか、それとも本名だろうか。
そんなレンの心の中を呼んだかのようにリンは付け足した。
「あ、鏡音リン、っていうのは本名なんです。…レンさんも、本名ですか?」
「ああ、本名。でも、一文字しか違わないなんて、驚いたな」
それからも何人かの出演者とスタッフの自己紹介が続き、撮影はなく、台本を見ながら大体の流れを見るだけであった。
恋愛学園もの、ということで、今人気のある俳優や女優、モデルやら歌手やら、様々な分野から出演者が集まっている。
そういえば、このリンと言う少女は本当はどういう仕事をしているのだろう。あの外見なら、あのまま子役からも知れないが…。
思い切って聞いてみることにする。
「君、いつもは何の仕事してるの」
「え、私ですか。私は、歌手です。まだデビューしたばかりですし、人気もないですけど」
また、こんなところでも同じなのか。
一体、コイツとの接点はいくらあるんだ。
「…この後、あいてる?」
「はいっ」
少し考えた結果、思いつく限り接点を消していこうと言う結論に達した。
小さな喫茶店。
コーヒーの芳ばしい香りが狭い店内に圧縮されるかのように漂い、女性マスターが静かにコーヒー豆を引く音が響く。心地よい雑音。
「よっ」
「…あら、レン。久しぶりね」
優しい微笑でレンを迎えた女マスターは、長い桃色の髪を小さくまとめて細く白い指を滑らせるようにコーヒーカップを出した。
「…カフェオレ?」
「砂糖多めで」
「…お子様、ですわ」
ほっとしたような笑顔で応えた女性に、レンは伝えることがあったのを思い出した。
「そうだ。今日は別の客もくるんだけど、いいか?待ち合わせなんだ」
「彼女か何かですの?」
「彼女じゃねぇよ」
「…彼氏、ですか?」
「…変な想像してんじゃねぇよ」
「分かっています、コレ、ですわね?」
ピンと小指を立てて言う女性の口調は、おしとやかな印象だ。
そのとき、ドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、金髪の少女だった。
「あ、レンさん。スミマセン、待ちました?」
「いや。ま、すわりな」
カウンターに座り、二人で話を始めようとすると、マスターがカフェオレを二つ、出してきた。砂糖が多い奴だ。
「二人とも、そっくりだったから同じでいいかな、とおもって」
にっこりと笑ったマスターが、レンには少し憎たらしく思えた。
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