その日の朝、登校したわたしの目に入ったのは、信じられないような光景だった。何かって? リンちゃんが、同じクラスの鏡音君と話をしていたのっ! これが驚かずにいられますか!
……と言うと、大抵の人は「それのどこが信じられないわけ? 同じクラスなんだから話ぐらいするでしょ?」って思うかもしれない。けれど、リンちゃんに関してはそれはありえないのだ。何しろリンちゃんは、がちがちにガードが固い。リンちゃんの育った家庭を考えると仕方がないんだけど、とにかくもう固い。相手が男の子だとそれはもっと顕著で。わたしはリンちゃんと幼稚園の頃からのつきあいだけど、小学校高学年になった頃から、リンちゃんは自分からは、全く男の子と話さなくなってしまった。じゃあ、話しかけられた時はどうかって? 大抵は口ごもっちゃってまともに返事ができない。わたしの家には現在、わたしと同い年の従弟のクオ――これはあだ名で、本名はミクオ――が同居していて、リンちゃんが遊びに来た時にクオと顔をあわせることもあるんだけど、やっぱり話せずにいる。
わたしがリンちゃんにおはようと声をかけると、鏡音君は自分の席に戻って行ってしまった。
「ねえねえリンちゃんっ! 今話してたの鏡音君でしょ?」
「そうだけど」
リンちゃんはちょっとわたしの勢いに困ってるみたい。でもこれだけは譲らないもんね。絶対に鏡音君と話してた経緯を聞きださなくちゃ。
「いつ仲良くなったの?」
わたしがそう尋ねると、リンちゃんが昨日起きたことを話してくれた。リンちゃんが劇場――リンちゃんの趣味は観劇だ――で転んで足をくじいてしまい、困っているところに鏡音君が通りがかって助けてくれたのだそうだ。さっき話していたのも、足のことを心配していてくれたらしい。
「そんなすごいことがあったんだ……」
それはさておき、これってなかなかいい状況じゃない? そういう「困った状況」だったから、リンちゃんのガードが一時的に外れたんだわ。思ってもみないチャンスかも。
「別にすごくないわ。ただの捻挫よ」
「怪我の話じゃないんだけどな……というか、鏡音君は意外といい人だったのね」
鏡音君はクオの友達だけど、クオは家に友達連れてこないから――わたしもお父さんもお母さんも、遠慮しないで連れて来いって言ってるんだけどね――わたしは鏡音君のことはよく知らないの。
「ミクちゃんは、鏡音君のことよく知ってるの?」
「わたしはそうでもないけど、クオが仲いいのよ。一年の時同じクラスだったし、部活も一緒だから」
クオは、似合わないことに演劇部に入っている。今年の学祭では、結構目立つ役を舞台で楽しそうにやっていた。……何て役名だったかしら。人間じゃなかったことは憶えてるんだけど。「人間を滅ぼせ!」って舞台で叫んでたっけ。
もっと話していたかったけれど、始業のベルが鳴ってしまったので、わたしは席に戻った。先生が入ってきて、あれこれと話を始める。でも、わたしの頭の中は、思いついた計画のことでいっぱいだった。
リンちゃんのガードが外れるなんて、数年に一度あればいい方だ。しばらくは継続しているだろうし、これはチャンスっ! この機会に二人をくっつけるのよっ! それがわたしの使命だわっ! でも、わたし一人じゃ難しいわね。クオにも手伝ってもらわなくちゃ。
昼休みに、わたしはクオにメールを打った。相談したいことがあるので、学校が終わったらいつもの喫茶店に来てくれって。え? 家で話せばいいじゃないかって? だって、できるだけ早くこの話したかったんだもの。家に帰るまでなんて待てないわよ。
学校が終わると、わたしは鞄をつかみ、喫茶店へと向かった。……クオはまだ来ていない。でも、もうじき来るだろう。わたしは奥の席に座った。
しばらく待つと、クオが入ってきた。
「あっ、クオ!」
手を振ると、クオはわたしに気づいてこっちにやってきた。向かいの席に座って、メニューを見る。しばらくするとウェイトレスさんが注文を取りに来たので、クオはアイスコーヒー、わたしはアイスココアを注文した。このお店のココアは、クリームがたっぷり入っていて美味しいの。
「で、なんだ? 相談したいことって」
「あ、うん。あのさあクオ、鏡音君と仲いいよね?」
「なんだよいきなり」
クオはちょっとむっとしてるみたい。どうしたんだろう。とはいえ、この目的のためには、クオの機嫌なんかに構ってられない。わたしは質問を続ける。
「調査よ調査。クオ、鏡音君って、今つきあっている人はいる?」
まずは彼女の有無を確認しないとね。お膳立てしといて実は彼女がいました、じゃ、リンちゃんが傷ついちゃう。あ、でも、つきあってる人がいたらどうしよう。さすがに別れさせるのはちょっと、ね……いませんように。
一方、クオはますますむっとしてるみたい。
「今はいないはずだけど。去年の今頃に彼女と別れたって聞いてから、新しいのができたという話は聞いてないし」
前はいたけど、今はいないのね。なかなか悪くない話。クオの口ぶりだと、深刻な失恋って雰囲気でもなさそうだし。今頃淋しさが身にしみてるかも。
「じゃあ今フリーなんだ。ね、前の彼女と別れた理由って何?」
「なんでそんなこと訊くんだよ」
「だって知りたいんだもん。浮気性だったりすると困るし」
浮気症だとか、彼女に暴力振るうとか、金銭関係のトラブル抱えてるとか、そういう性質の悪い男をリンちゃんに近づけるわけにはいかないもんね。
クオは、不機嫌と困惑が入り混じったような表情で、わたしの質問に答えてくれた。
「なんか……相手の子に別に好きな人ができたらしい。学校が違うからつきあいの継続が難しかったんじゃないのか。詳しいことは聞いてないから俺も知らない」
割とオーソドックス、というかものすごく普通の理由ね……。まあでもそんなもんか。それに、下手に失恋の傷引きずられても困るわ。
「じゃ、浮気とか暴力とかじゃないのね。まあ、真面目そうだし大丈夫だと思ったけど。これならOKだわ」
リンちゃんの彼氏として。鏡音君は外見もいい方だし、成績も良いし、リンちゃんと並んでも見劣りしないわ。よし合格。
「何がだよ。おいミク、自分一人で納得してないで、俺にちゃんと説明しろ」
おっとっと。クオにもちゃんと話をしなくちゃね。これから協力してもらうんだから。この計画には、クオの協力が必要不可欠なんだし。
と、クオが不意に深刻な表情になった。どうしたのよ。
「なあ、ミク……。お前、もしかして、レンのことが好きなのか?」
は? やだなあクオったら、どうしてそうなるのよ。思ってもみなかったことを訊かれたせいで、わたしは笑い出してしまった。ありえな~い。そりゃ、確かに鏡音君は見た目いいけど、わたしの好みとは外れている。
「え? 嫌だ違うわよ」
あれ、クオ、怒るかと思ったらほっとした顔してる。どうしたんだろう。
「じゃあ何が『これならOK』なんだ」
あ、いけない。ちゃんと説明しないと。
「鏡音君とリンちゃんの仲を取り持ってもOKってこと」
わたしがそう言うと、クオは今度は唖然とした顔になった。何もそんなに驚かなくてもいいじゃない。
「どこからそういう話が出てくるんだ」
クオはわたしたちとはクラスが違うので、あの朝の風景は見ていない。というわけで、わたしは力を込めて説明することにする。
「今日ね、リンちゃんと鏡音君が話をしてたの。それを見てわたしはぴんと来たのよ」
「……何が」
クオ、どうしてそう興味なさそうな反応なの? わたしにとってこれは一大事なのよ!?
「あの二人は絶対お似合いだって!」
こぶしを握ってわたしはそう断言した。でも、クオはしらけた表情をしている。……もう。
「なんでそこでお前が盛り上がるんだよ」
クオはそんなことを言ってきた。
「え~、だって、高校生活勉強ばかりじゃ淋しいじゃない? リンちゃんが彼氏を作るチャンスをものにしてあげるのが、親友の務めってものでしょ?」
ちょっと、クオってばどうしてそこで呆れきった表情するの? 全くもう、クオはリンちゃんの抱えてる事情知らないし、仕方がないのはわかってるけど、ちょっと面白くないわ。こうでもしないと、リンちゃんは恋愛する前にあのお父さんに結婚させられてしまう。
「お前だって彼氏いないじゃないかよ。他人の世話焼く前に、自分をどうにかしたらどうだ?」
しかも、しかもだ。クオったら、こんなことを言い出したのだ。
「しょうがないじゃない! わたしにつりあうようないい男がいないんだから!」
このわたしがつきあうんだから、わたしのことを世界で一番お姫様扱いしてくれる人じゃないと。これだけは譲れないわ。というか、クオだってわたしの好みは知ってるはずなのに、なんでこんなこと言うのよ?
クオはむすーっとした表情のままで、アイスコーヒーを一口啜った。
「それにしても……お前それだけの理由で、レンに巡音さん押しつける気か」
……ちょっと、それ、どういう意味!? 久々本気で怒ったわよ。クオったら、リンちゃんのことをなんだと思ってるの!?
「クオ……それ、どういう意味?」
わたしは冷たい口調でそう言って、クオを睨んだ。クオが椅子の上でじりっと後ずさる。さすがにわたしが本気で怒ってることがわかったみたい。
「ミ、ミク……そんな怖い顔するな」
悪いけど、返答次第によっちゃ許しちゃおかないわ。
「『レンに巡音さん押しつける』って、どういうつもりで言ってるの? リンちゃんはわたしの友達よ? クオは、リンちゃんをそういうふうに思ってるの?」
わたしがクオを睨んでいると、クオはたじたじになりながら、こんなことを言い始めた。
「い、いやだからさ……レンの気持ちはどうなるんだよ? お互いの気持ちが大事だろ。レンにせよ巡音さんにせよ、好みは逆かもしれないぞ」
賭けてもいいけど、クオ、もともとは違うこと考えてたでしょ。でもまあいいわ、勘弁してあげる。
「それは……まあそうだけど……」
クオは、見るからに安心した様子をしている。甘いわね。計画に協力はしてもらうわよ? さっきわたしを怒らせたんだから、これは当然の代償よね。
「でも、うまくいくかもしれないでしょ?」
わたしの勘は、あの二人はうまくいくと告げている。
「可能性がないとは言わないが……」
「じゃあやるわよ」
クオをさえぎり、わたしはぴしゃりとそう言った。
「何を」
「二人の仲を取り持つの!」
クオ、できることなら協力したくなさそう。でも、逃がすもんですか。
「クオ、手伝ってくれるわよね?」
声にプレッシャーをにじませてそう言う。絶対に承諾してもらいますからね。
「……わかったよ。で、俺は何すりゃいいんだ。言っとくけど、レンを巡音さんとつきあうよう説得するのは無理だぞ」
ふっふっふ、かかった。
「そんなこと頼まないわよ。あのね……」
わたしは早速、クオに作戦を説明し始めた。
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