「……何だこりゃ」
 俺は思わず呟いていた。目の前にあるのは、巨大な茨の藪。そして、道はその茨の中に消えている。
「この先に行けってか?」
 目の前の茨には、鋭い棘がびっしり生えている。こんなのに触ったら手がズタズタになりそうだ……そう思いながらも、俺は手で茨に触れてみた。……あれ。
 茨はあっさりと崩れて消えた。なんなんだ、いったい。まあいい、先に行こう。進んだ先には、石を積み上げて作った建物があった。扉を開けて中に入る。がらんとした部屋の中には祭壇のようなものがあって、何かが乗っている。俺は祭壇に近づいた。
「……ガラスの棺?」
 祭壇の上に乗っていたのは、透き通ったガラスの棺だった。当然中が透けて見える。棺の中には花が敷き詰められていて、誰かがその中に寝かされている。
「巡音さん?」
 棺の中に入っていたのは、巡音さんだった。目を閉じて、全く動かない。これ……死んでるってこと?
 俺は重い棺の蓋を持ち上げると、中の巡音さんを助け起こした。あ、死んでるんじゃない。眠ってるだけみたいだ。
「巡音さん、起きて」
 揺すってみたが、巡音さんは目を覚まさない。
「巡音さん、巡音さんってば」
 ……なんで起きないんだろう? 俺は巡音さんを抱きかかえたまま、途方にくれた。あれ、ちょっと待て。このシチュエーションって、確か。
「……キスしろってことか!?」
 昔話かなんかでこういう話なかったっけ。お姫様が死人みたいに眠っていて、王子様がキスすると目を覚ますって奴。あれをやれってか!? いくらなんでも意識の無い女の子に勝手にキスできるかっ!
「巡音さん、起きてくれ」
 頬を軽く叩いてみたり、強く揺さぶってみたりするが、やっぱり目を覚まさない。俺は額を押さえた。……やるしかないか。
「……ごめん」
 一応詫びを入れておいてから――もっとも、向こうは眠ってるんだけど――、俺は、巡音さんの唇に自分のそれを押し付けた。
 唇を離してから、しばらくして。巡音さんが目を開けた。「キスする」が正解だったのか……。巡音さんは、目を見開いてこっちをじっと見ている。ざ、罪悪感が……。
「えーと……今のは起こすためにやったんであって、別に変な気を起こしたわけじゃないから……その……」
「どうして……?」
 うわ……今にも泣き出しそうだ。まずい。非常にまずい。
「いやだから、起こすためだってば」
「どうして、わたしを起こしたの? ずっと眠っていたかったのに」
「え?」
 予想外のことを訊かれて、俺は返事に詰まった。


 気がつくと、目覚まし時計がやかましい音を立てて鳴り響いていた。……うるさい。起き上がって、目覚ましを止める。
 あ……今のは夢だったのか。そりゃそうだよな。あれが現実だったりしたら困るよ。しかし、何て夢だ。誰かに話したら笑われるのは確実じゃないか。なんであんな夢、見たんだろう。
 寝起きで半分ぼーっとした頭のまま、俺は洗面所に行って顔を洗った。……ちょっとはさっぱりしたな。居間に行くと、姉貴が朝食を食べていた。
「おはよう」
「おはよう。……レン、昨夜夜更かしでもした? 起きたばかりにしては疲れてるみたいだけど」
「なんか……夢見が悪くて……」
 答えながら、俺は冷蔵庫を開けた。ハムが入ってる。ハムエッグでも作るか。ハムと卵を取り出し、フライパンを火にかける。
「夢ねえ……殺人鬼にでも追いかけられた? それとも、誰か刺した?」
 なんで姉貴の例えって殺伐としてるんだろう。そんなことを考えながら、俺はトースターに食パンを入れた。
「そういうのじゃないよ」
「じゃ、家が火事にでもなった? あ、でも、火事の夢って縁起がいいのよね、確か」
 姉貴、その手の迷信は信じてないんじゃなかったっけ。
「違うって。別にいいだろ、夢の話なんて」
 あんな夢、話せるかい。一ヶ月はネタにされるに決まってる。あ、卵が焼けた。皿に移す。トーストとハムエッグと牛乳の朝食を支度すると、俺は姉貴の差し向かいに座った。
「……あ、わかった」
「何が」
「レン、正直に答えなさい。エッチな夢見たんでしょ?」
 牛乳を飲んでいた俺は、思い切りむせた。いきなり何言い出すんだよ、姉貴っ!
「うわ……その反応。図星だったのね」
「違うよっ!」
 キスはしたけど、断じてそういう夢じゃないってば!
「別に恥ずかしがらなくてもいいわよ。そのくらいの年齢だったら、むしろ当たり前だってば」
「だから違うって」
「あ~はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」
 姉貴はにやにや笑いながらそう言った。……完全に誤解されてるよ。全くもう。これ以上否定しても、姉貴は益々そうだと思うだけだろうな。話を変えよう。
「ところで姉貴」
「何?」
「眠ってるお姫様を王子様が起こす昔話って、何だったっけ」
 小さい時に絵本かアニメであの手の話を見た記憶はあるんだが、タイトルが出てこない。姉貴は一応女だし、お姫様が出てくる昔話には、俺より詳しいだろう。
「何よ急に」
「いいから教えてくれよ」
「『眠り姫』? それとも『白雪姫』?」
 そう訊き返してくる姉貴。二つもあるの?
「どう違うんだっけ?」
「『眠り姫』は、出産のお祝いに招かれなかった妖精が怒って、お姫様が十五になった年に死ぬ呪いをかけるんだけど、別の妖精が呪いを弱めて、百年眠るだけにしてくれるの。十五の年に眠りについたお姫様は、茨に取り囲まれたお城で百年間眠り続けて、百年目に王子様がお城を訪れて、お姫様にキスすると呪いが解けて眠りから目覚めるのよ。
『白雪姫』は、継母に美貌を疎まれたお姫様が捨てられて、七人の小人と一緒に暮らすんだけど、しつこい継母が白雪姫に毒の入ったリンゴを食べさせて殺そうとするの。でも白雪姫は死んだんじゃなくて仮死状態になっただけで、ガラスの棺に入れて置いておかれて、そこへ王子様が通りかかって、白雪姫を目覚めさせてあげるのね」
 ……混ざってるな、さっきの夢。茨とガラスの棺の両方がでてきたぞ。巡音さんが「ガラス」なんて言ったからだろうか。
「まあこれは有名なパターンで、更に細かいバージョン違いがあちこちに散らばっているんだけどね~。例えば『眠り姫』だと、グリム童話に収録されている『いばら姫』っていうのが一番有名で、今喋ったのがそう。ペロー童話の『眠れる森の美女』だと、前半はほとんど一緒なんだけど、えぐい後半が続いていたりするし」
「えぐい後半って?」
「ん~確か、王子の母親がイカれてて、王子が留守にしている間に、お姫様と王子の間にできた子供やお姫様を食べようとするのよ」
 ……なんだそりゃ。そんな危ない母親持って、王子大丈夫なのか?
「血の繋がった孫を食うって……」
「料理人が気を利かせてかくまうから、実際に食べられはしないんだけどね。昔話って、結構子供を食べる話があるのよね。中には実の息子を両親が殺して食べる話もあるっていうし」
 さらっと言わないでくれよ。
「それにしてもあんた、なんで朝から昔話のことなんか訊くのよ?」
「……いや別に。なんとなく」
「もしかして、夢に眠っているお姫様でもでてきたの?」
 俺はもう一度、盛大に咳き込む羽目になった。
「あ……これまた図星か」
「いやだから……」
 否定しようとして、俺は「夢に眠っているお姫様がでてきた」は事実だということに思い当たった。お姫様っていうか、巡音さんだけど。そう言えば、夢の中ではドレスを着ていたような。
「ずいぶんとメルヘンな夢ねえ。で、あんたはお姫様が眠っているのをいいことに、着てるものを脱がせたわけか」
「……なんでそこまで話が飛躍するわけ?」
 キスしかしてないってのに……。姉貴は俺のことをなんだと思ってるんだ。
「夢見が悪かった、って言ったってことは、あまりいい夢じゃなかったってことでしょ。だから、眠っているお姫様をみつけて、着ているものを脱がせて、いざ本番ってところで目が覚めちゃったのかなと」
 微妙な年齢の弟の前で、そんな生々しい話は止めてくれ。
「違うって。っていうか、姉貴こそ、どうしてそういう発想になるんだよ。そっちこそ欲求不満なんじゃないの」
「実際にあるのよ。眠っているお姫様に王子様が襲いかかって、妊娠させちゃう昔話が」
 昔の人の考えることはよくわからん。それじゃあ王子は犯罪者じゃないか。
「犯罪だろ、それ。どう考えても」
「そうしないとお姫様が起きないから仕方がないのよ。ま~私も、こんな変態王子には、蹴りでも叩き込んでやりたいとは思ったけどね」
 妊娠と目覚めにどういう因果関係があるんだ? あ……そう言えば。
「お姫様は、起きなくちゃいけないわけ?」
 夢の中で巡音さんは「ずっと眠っていたかった」と言っていた。現実の巡音さんにそう言われたわけじゃないけど、何だか引っかかる。
「は?」
「ずっと眠っていたいとか思ったりしないのかな?」
 俺がそう言うと、姉貴は呆れた表情になった。
「あのねえ。ずっと眠ってるってことは、何も見えないし、何も聞こえない。美味しいものだって食べられないし、すてきな人に出会って胸をときめかせることもないってこと。そんなの、死んでるのと同じよ」
 死んでるのと同じ、か……。
「レン、ところで」
「何?」
「考え込むのもいいけど、あんた、時間は?」
 いけね。姉貴との話に没頭していて、時間のことを忘れていた。急がないといつもの電車、逃がしちまう。俺は慌てて朝食の残りを片付けると、席を立った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第十一話【目覚める必要】

 めーちゃんのツッコミがいろんな意味で容赦無かったような。

 作中で言及している「王子様がお姫様に襲い掛かる」昔話は実際に存在します。こちらのサイトに掲載されている「太陽と月とターリア」という話です。こんなのとくっついて幸せになれるんだろうか……?(そう思っちゃう昔話って、結構多かったりするのですが)
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/sleeping/00.html

このサイトには色々な昔話が掲載されていますが、これを見た感じだと「キスで目覚める」というパターンは意外と少なくて、実際のところは「眠らせている原因を取り除いてやる」と目が覚める、というパターンがほとんどなんですね。やっぱりアニメの影響が大きいんだろうなあ。

閲覧数:1,134

投稿日:2011/09/06 21:01:08

文字数:3,914文字

カテゴリ:小説

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  • 雪りんご*イン率低下

    雪りんご*イン率低下

    ご意見・ご感想

    雪りんごといいます。
    目白皐月sのロミオとシンデレラ、第1話から読ませていただいています。

    この話を読んでいて思い出したのですが、「白雪姫」って本当はもっと違う話なんですよね。
    「本当は怖いグリム童話」で知ったのですが、継母が実母だったり、恨まれる原因が父と性行為を行ったことであったり…。


    関係のないこと書いててすみません。
    目白皐月 sのロミオとシンデレラを読破できるよう頑張ります。

    2012/03/12 17:35:36

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、メッセージありがとうございます。

       えーとですね、『白雪姫』ですが、「もともとの話では実母であった」というのは、「そういうパターンの話もあった」(何せ伝承なので、地方によっては形が違う)というのが正解のようです。最終的にグリムが採用したのが「継母バージョン」であったというだけのようです。
       また、実父との性行為は原典にはなかったと思います。同じグリムの『千匹皮』と混同なさっているのではないでしょうか? そもそも白雪姫って、お城を追い出された時はまだ七歳なんですよね。

       ちなみに『本当は怖いグリム童話』系の本は、ちゃんとしたものもあるようですが、過激さを売りにしているだけのものも多く、私としては白い目で見てしまいます。実際、私が見たものに、フンパーディンクのオペラからひっぱってきたネタを、さも恐ろしげに描写しているものがあり、しらけるを通り越して書いた人(誰だったか忘れました)に怒りが湧きました。フンパーディンクの意図すらわからないのなら黙ってて! と言いたかったです。

       と、まあ、私も関係ない話で返してしまったので、お気になさらずに。  

      2012/03/12 19:47:43

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