「ルカおねえちゃん、あそんで」
「今お勉強でいそがしいの」
「ルカおねえちゃん、なんでいつもおべんきょうなの?」
「大事なことだから。リン、あんたももっとお勉強しなさい」
「……リン、おべんきょうきらい」
「お勉強ができないと、パパにほめてもらえないわよ」
「いいもん、ほめてもらえなくたって。ママはそんなにがんばらなくてもいいって、いってくれたもん」
「……ああ、そうなの」
「あそんで!」
「あっち行ってなさい! わたしの邪魔だけはしないで! でないと、パパに言いつけるわよ!」
ルカ姉さん、わたしが小さい時は、まだ怒鳴ったりすることもあったんだっけ。いつから、怒鳴らなくなっちゃったのかな……。
でも……怒られた記憶はあっても、遊んでもらった記憶はないのよね……。机に向かっている姿しか憶えてない。
「……ハクおねえちゃん」
「どうしたの?」
「ルカおねえちゃんにおこられたの。おべんきょうのじゃまだからくるなって」
「リン……お姉ちゃんはね、お勉強のじゃまはされたくないのよ」
「なんでルカおねえちゃん、いっつもあそんでくれないの?」
「なんでって……なんでかなあ。あたしにもわかんない。なんであんなにお勉強が好きなのかは」
「ハクおねえちゃん、あそんで」
「あたしも勉強が……ああ、わかったわかった、遊んであげるわよ。でも一時間だけよ。何するの?」
「リン、おままごとがいい」
「……はいはい」
ああ、そうか。ハク姉さんには、遊んでもらった記憶があるんだ。だから、わたし、お父さんが自慢の娘だっていうルカ姉さんより、ハク姉さんの方が好きだったんだ。
うーん……あれ……。
「え?」
不意に意識が覚醒し、わたしは身体を起こした。ルカ姉さんもハク姉さんもいない。というか、ここ、外よね? 目の前の景色は大きな池とそれを囲む緑……柳影公園だ。なんでわたし、ここにいるの?
「あ……巡音さん、起きた?」
かけられた声に、驚いて隣を見る。鏡音君が、わたしの隣に座っている。……起きたって訊いてくるってことは、わたし、眠ってたの? 柳影公園のベンチなんかで? 恥ずかしさで、一瞬で頬が熱くなる。
「ああああの、わたし……」
「俺の肩を枕にして気持ち良さそうに寝てたから、起こすのもなんかかわいそうで……」
わ、わたしったらなんてことを……。これ以上気を遣わせないようにって思ったばっかりなのに。どうしよう、あわせる顔がない。
「ところで巡音さん、昼食はどうする? 今日はお弁当用意してないみたいだけど」
え……お昼ごはん? あれ? そう言えば、今は何時なの?
「あ、あの……今何時?」
普段は外出する時に腕時計をするんだけど、今日は家に置いてきてしまった。公園の時計はこの位置からでは見えない。
「一時になるとこ」
自分の時計を見て、鏡音君はそう教えてくれた。一時なんだ。確かにお昼ごはんの時間だけど……。わたし、鏡音君との約束を思い出して、後先考えずに慌てて家を飛び出してきてしまったんだっけ。そもそも外出禁止にされているわけだから、お母さんにお弁当用意してなんて言えなかったし……。
「で、俺、ここは初めて来たんだけど、売店とかある?」
鏡音君の方は何か買って食べるつもりみたい。売店……確か……。
「ボート乗り場の近くにあるわ」
「じゃ、そこで何か買おうか」
わたしはうなずきかけて、はっとなった。まずい、どうしよう……。
「どうしたの?」
「お財布……忘れて来ちゃった……」
着の身着のままで飛び出したものだから、家を出る時に持って出るようなものを全部置いて来てしまった。お財布も携帯も持ってきていない。
わたしの言葉を聞いた鏡音君は、笑い出しそうになるのをこらえている。……わたし、バカみたい。恥ずかしくて、顔があげられない。
「じゃ、俺がおごるよ」
「え……そんな……」
そこまでしてもらったら、幾らなんでも鏡音君に悪いもの。
「あのね巡音さん、俺、空腹の人間前にして、自分だけ食事できるほど神経太くないんだけど」
鏡音君はため息混じりにそう言い出した。……どういうことなのか、よくわからない。
「だからね、俺が代金払うから一緒に何か食べるか、それとも二人して昼飯抜くか、どっちかってこと。で、俺としては腹減ってるからちゃんと食べたいの」
あ、あれ? つまり、わたしが遠慮してしまうと、鏡音君もお昼食べないってこと? それはよくないわよね。でも、だからといって好意に甘えてばかりというのも……。え? じゃあ、どうしたらいいの?
「そういうわけだから、食べるもの買いに行こうね」
わたしがそうやって迷っていると、鏡音君はわたしの手をつかんで立ち上がった。引っ張られたので、わたしも立ってしまう。鏡音君はそのまま、わたしの手を引いて歩き出した。
結局そのまま手を引かれて、売店まで来てしまった。鏡音君はさっさと買い物籠を手に取って、品物を籠の中に入れている。「サンドイッチでいい?」と訊かれたので、わたしは頷いた。鏡音君はそのままレジに籠を持って行って、お勘定を済ませている。
売店の近くには、食事をするためのテーブルと椅子が幾つか置かれている。ほとんど埋まっていたけれど、ちょうど一つだけ場所が空いたので、わたしたちはそこに向かった。向かい合わせで座る。
鏡音君がビニール袋の中からサンドイッチとお茶を取り出して、わたしの前に置いてくれた。わたしはちょっと困って、サンドイッチを眺める。
「あの……本当にごめんなさい」
「それもういいから、食べなよ」
そう言う鏡音君も、食べ物に手をつけようとはしていない。わたしが手をつけるまで、食べないつもりなのかも……。わたしはサンドイッチを手に取った。ビニールに包まれている。普段この手のものを食べなれてないので――基本、買い食いは禁止の家だし、お母さんはちゃんとした食事にこだわるので、できあいのものはまず買って来ない――開けるのに少し苦労した。
わたしが食べ始めると、鏡音君も食べ始めた。あ……やっぱりそうだったんだ。なんでいつも、気ばっかり遣わせちゃうのかな……。
「……そう言えば巡音さん、『ピグマリオン』のことだけど」
食べながら鏡音君が訊いてきた。あ、いけない。もともとは『ピグマリオン』のことを話す為に待ち合わせ、してたのよね。なのにわたしったら、自分の問題ばかり話しちゃって……。
「あの中で、イライザが着物を着るシーンがあったじゃない? あれ、どう思った?」
鏡音君にそう続けられて、沈みかけていたわたしの思考は引き戻された。意見を求められているのだから、ちゃんと返事をしないと。着物……。
「作者は時代性とか、異国情緒とか、そういう雰囲気を出したかったんだろうとは思うの。もしかしたらあの時代のイギリスでは、日本のことが流行の話題だったのかもしれないし。でも、わたしからすると、ちょっとついていけなかったわ」
日本旅行のお土産に着物を買って来ちゃった、というのはまだわかる。でも……。
「着物って、着るのすごく大変だもの。わたしもお母さんに手伝ってもらわないと着ることなんてできないし……外国の人がいきなり見ても、そもそもの着方がわからないと思うわ。それなのに『見事に着付けした』なんて、どう考えても無理だと思うの。羽織って出てくるのならわかるけれど」
体型にあわせて仕立ててある洋服とは違い、直線に裁って仕立てる和服は、衣服の方を身体にあわせて紐で縛って着ることになる。帯の結び方だって難しいし……。見る分には華やかでいいけれど、着るのはものすごく大変だ。
「巡音さんって、着物着たりするの?」
「ええ、お正月にね」
なんとなく、これが我が家のしきたりのようになっている。お座敷で、和服を着てお客様を迎えるというのが。……あんまり楽しくない行事だ。
「着物って、そんなに苦しいの? 成人式の時に姉貴が悲鳴あげてたんだけど」
「基本紐で締めて着る衣服だから……しっかり着付けないと緩んできてしまうの。慣れもあると思うけど、お正月ぐらいしか着ないから、どうしても慣れなくって……」
鏡音君のお姉さんのような体型だと、かなり補正もいるわよね。胸をさらしで潰して、ウェストにタオルも巻かないと駄目かも。ルカ姉さんはそうしている。ハク姉さんはどうだったかな……。ちなみに、わたしは今のところ補正は必要ない。
「上演する時、ここのシーンを変えようかなと思うんだよね。うちの部員に着物を着ろって言うのは無理があるし」
鏡音君はそんな話を始めた。確かに舞台で着物を着るのは大変だろうけど……。
「変えちゃったりしていいの?」
「いいんだよ。高校の演劇部で全部を完璧にやるなんて無理があるし、柔軟に対応しないと。『ロボット』の時も、回りくどい台詞とかは結構削ったんだ」
演劇部の鏡音君が言うのなら、いいのかな……。バーナード・ショーだって、書いた時はこの戯曲が、日本で上演されることなんて、考えていなかっただろうし……。
「でも、着物を着ないとしたら、どうするの?」
「何か適当に服を着せることにしようと思っているけど……何なら自然だと思う? 独身男の家に若い女性用の衣類があるっての、変だと思うんだよね」
あの状況でイライザに着せられる衣服……インドのサリーとかだと、やっぱり「誰が着せたの?」だし……。それ以前に演劇部の人が着れないわよね……。
「家政婦のピアス夫人の若い時の服とかは? あの人って住み込みよね?」
これもちょっと無理があるような気がするけど、捨てるにしのびなくてとってあったとかなら。
「それなら良さそうだ」
鏡音君がそう言ってくれたので、わたしは安堵した。
「巡音さんってやっぱり頭いいね」
え……? 褒められた……? あれ……頬が熱い……。それに、なんで動悸が激しくなるの……? 走ったわけじゃないのに……。
「台詞の変更とかに関しても、一緒に考えてほしいんだけど、いいかな?」
一緒に……。
「あ……ええ」
わたしは、頷くのがやっとだった。どうしてなのか、自分でもよくわかっていなかったけれど。
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