午後になって、ミクちゃんがやってきた。……けど、ミクちゃんだけじゃなかった。
「リン! 大丈夫なのか!?」
「……レン君!?」
わたしは呆然として、こっちに駆け寄ってきたレン君をみつめた。どうしてレン君が一緒なの?
「リン、怪我の具合は? そんなにひどいのか? 階段から落ちたって、どういうことなんだ?」
レン君がわたしにそう訊いてきた。えーっと…確かにメールには大したことは書けなかったけど……それ以前に、どうしてレン君が……
「あ……あ……あの、ミクちゃん……なんでレン君が……」
「お見舞いに誘ったの」
ミクちゃんはこっちにやってきて、明るい笑顔を浮かべた。
「鏡音君も一緒の方が、賑やかでいいでしょ?」
え……えーと……。わたし、そういうことをされると困ってしまうのだけど……。
「で、でもミクちゃん。レン君がわたしのお見舞いに来たって、お父さんやお母さんに知れたら……」
わたし、多分、ただじゃ済まない。わたしだけじゃなくて、レン君までひどい目にあうかも……。
「リンちゃんのお母さん、今日はもう帰ったんでしょ? お父さんはどうせお見舞いになんて来ないでしょうし。だから大丈夫」
確かに二人とも、今日は病院には来ないだろう。でも、ここは病院だ。病院の人から「昨日娘さんのところに、男の子と女の子がお見舞いに来ていましたよ」と、伝わってしまう可能性がある。
「でもここ、病院だし……人目も多いわ」
「平気平気。病院の受付名簿には、鏡音君じゃなくてクオの名前書いておいたから。誰かに訊かれたら、お見舞いに来たのはクオってことにしておけばいいのよ」
あっけらかんと言うミクちゃん。確かにミクオ君なら、お父さんも一方的に怒ったりできないだろうけど……何せミクちゃんの従弟だもの。けど。
「ミクオ君がわたしのお見舞いに来るのって、不自然じゃない?」
「わたしがつきあわせたんだって言っといて。クオにも後で口裏あわせるように言っておくから」
ミクオ君まで巻き込んじゃうのは気がひける。でも、わたしがそう言う前に、ミクちゃんは手に持っていた花束を差し出した。淡いオレンジのバラの花と、白いカスミ草。……綺麗。
「リンちゃん、これお見舞いの品ね」
「あ……ありがとう、ミクちゃん。綺麗なお花ね」
わたしがそう言うと、ミクちゃんは笑ってうなずいた。そして、部屋を見回すと、棚の上にあった花瓶を手に取る。
「ついでだからこれ、活けてくるわ」
「え……ミクちゃん……」
「リンちゃんは怪我人なんだから、動いちゃだめよ」
で……でも……わざわざお見舞いに来てくれたミクちゃんに、そんなことをさせるのは……。安静って言われているけど、お手洗いぐらいなら自分で行けるわけだし……。
「怪我っていっても、大したことないの。頭を打ったから様子見で入院してるだけで……」
「頭を打ったなんて大事じゃない! お医者さんに安静って言われてるんでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「はい、リンちゃんは大人しく寝ててね。わたし、お花を活けてくるから」
ミクちゃんは有無を言わせない調子でそう言うと、花瓶と花束を手に病室を出て行ってしまった。……こういう時、ミクちゃんはいつもぱぱっと動いてしまえる。そういうところが、ミクちゃんのすごいところだ。
わたしがミクちゃんを見送ったままぼんやりとしていると、レン君が声をかけてきた。
「リン、階段から落ちたって聞いたけど、何があったんだ?」
どう答えよう? ルカ姉さんに突き落とされたなんて、言えない。
「えーと……あの……憶えてないの……」
結局、わたしはそんな答えを返してしまった。今朝までは記憶が戻ってなかったから、完全に嘘というわけじゃ……いえ、嘘よね。
「リン、それ本当?」
レン君はそう言って、わたしを真っ直ぐに見た。嘘だってわかっちゃってるみたい……わたしは答えに困って、瞳を伏せた。
「誰にも言わないし、リンを責めたりもしない。だから、本当のことを話してくれないか」
レン君はわたしを心配して、言ってくれているのよね……。話しても、大丈夫かな……レン君だもの。
「昨日……ルカ姉さんと言い争いになってしまって……どうしてだかわからないけど、ルカ姉さん、わたしを押したの」
レン君は、わたしの前で呆気に取られた表情になった。
「一体なんでまた……」
「わからないの。ルカ姉さん、わたしのしたことに怒ってたけど、だからって押されるなんて思ってもみなかった」
「したって何を?」
レン君に訊かれたので、わたしは土曜からのことを説明した。
「一昨日、神威さん――ルカ姉さんの婚約者――のご家族と、わたしの家族との食事会だったの。それでその時、わたし、神威さんに言ったの。『ルカ姉さんを幸せにしてあげてください』って。よくわからないんだけど、ルカ姉さん、それが嫌だったみたい」
レン君はわたしの前で首を傾げている。やっぱり……わからないわよね。わたしだって、わからないんだもの。
「『神威さんに余計なこと言わないで』って、そう、言われちゃったの……。わたし、それで、わたしが関わること自体が嫌なのかなって思って、もう何も言わないって言ったんだけど……」
「お姉さん、リンを突き落としたんだ」
わたしは頷いた。レン君は難しい表情で考え込んでいる。
「で、お姉さん、その後は?」
「お母さんは、今朝は普通にご飯食べて会社に行ったって言ってたけど……」
レン君は、信じられないと言いたげに目を見開いた。わたしはいたたまれなくなる。なんでこうなんだろう……。
「……リン。前にも言ったけど、もうお姉さんと関わっちゃ駄目だ」
わたしが沈み込んでいると、不意にレン君がきっぱりとした口調でそう言った。わたしはびっくりして、レン君の顔を見る。レン君は、ものすごく真面目な表情をしていた。
「レン君?」
「そのお姉さん、きっとリンがどうなろうと構わないって思ってる。そんな人にうかつに近寄っちゃ駄目だ。それにもう……多分、誰にもどうにもできないレベルだ。だからリンは、関わっちゃ駄目だ」
強い口調でそう言われてしまった。誰にもどうにもできないレベルって……どういうこと?
「えーと……でも……」
関わるなって言われても……わたし、ルカ姉さんと一緒に住んでいるわけだし……。
「もっと自分を大事にしてくれよ! 死んだらどうするんだ! 今回だって、打ち所が悪かったら死んでたかもしれないんだぞ!」
レン君に怒鳴られて、わたしは反射的に身をすくめた。……怒鳴られるのは、嫌い。
「大声……やめて……」
わたしは何とか、それだけのことを口にした。レン君がはっとした表情になる。
「……ごめん」
そう言うと、レン君はわたしの手をそっと握った。
「ただ俺は、リンにこれ以上怪我をしてほしくないんだ。お姉さんに下手に関わったら、リンはまた怪我をするかもしれない」
レン君は真剣な表情で、今度は静かにそう言ってくれた。レン君は、わたしのことをものすごく心配してくれている。……ミクちゃんも、きっとそう。お母さんだって、わたしのことが心配だろう。
「……わかった。同じ家に住んでいるから完全に避けるのは無理だけど、ルカ姉さんとはできるだけ、距離を置くから」
答えながら、わたしの胸は痛んだ。以前から考えていたことで、その方がいいことなのに、どうして胸が痛むんだろう。
レン君は、目に見えて安心した表情になった。最近仲良くなったレン君がこんなに心配してくれるのに、一緒に育ったルカ姉さんとは、なんであんなに深い溝があるんだろう……。
「ただいま~っ!」
わたしが暗い気持ちになっていると、明るい声が割って入った。ミクちゃんだ。手にお花を活けた花瓶を抱えている。レン君はわたしの手を離すと、ベッドの脇から少し離れた。
「リンちゃん、お花、ここに置くわね」
ミクちゃんは、花瓶をベッド脇に置いてあるチェストの上に乗せた。あ、そうだわ。
「ミクちゃん、そのチェストの下の開きに、お母さんが焼いたクッキーが入ってるの。良かったら……」
ミクちゃんはチェストの開きを開けて、クッキーを取り出した。そして嬉しそうに笑う。
「美味しそう。じゃ、お茶淹れるわね」
ミクちゃんはささっとお茶道具を取り出している。あ……お母さん、紅茶も入れておいてくれたんだ。わたしが紅茶が好きだから。あれ……今気づいたけど、ティーポットと一緒に、カップが四つ入ってる。どうしてなんだろう?
わたしとミクちゃんとレン君は、話をしながらクッキーを食べて紅茶を飲んだ。……ちょっと後ろめたい気持ちはあったけど……二人がお見舞いに来てくれて良かった。ありがとう、ミクちゃん、レン君。
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