「だってフレディって、何の役にも立ちそうにないじゃないか。確か定職ついてなかっただろ、あいつ。そんな甲斐性なしと一緒になっても、幸せにはなれないんじゃないの?」
鏡音君はきつい口調でそう言った。役に立ちそうにないって……。確かにタクシー捕まえられなくて、母親と妹に呆れられたりしているけど……。どうしてそんなにフレディが嫌いなんだろう?
あ、でも、フレディが嫌いってことは、わたしに怒ってるんじゃないのかな?
「でも……好きって言ってくれたわ」
イライザにそんな言葉を言ってくれた人なんて、きっと今までいなかっただろう。
「それがそんなに大事?」
「大事なのよ……少なくとも、イライザにとっては」
だって、ちゃんと言葉にしてくれないと、わからないもの。教授がイライザに投げかける言葉って、ひどいのばっかり。ドブに戻れとか、腐ったキャベツの葉でできているとか、そんなことばかり言い続ける。
「ずっと腐ったキャベツと同じ扱いなんて、わたしだったら耐えられないわ。どんなに頑張っても、ちゃんとした褒め言葉すらもらえないんだもの」
わたしのお父さんもそう。いくら頑張っても、まだ努力が足りないって言い続ける。ルカ姉さんみたいにトップの成績を維持できれば違うんだろうけれど、わたしにはそこまでの力は無い。
そんなにわたしの努力は足りてないの? わたしは精一杯、やっているのに……。
「でもさ、ずっとイライザを見ててくれたのは教授の方だぜ。イライザが汚い言葉づかいだった頃からさ。フレディなんて、綺麗になったイライザが広場で出会った花売り娘と同一人物だって、気づいてすらいなさそうだし。そんな上辺しか見てないような奴はやめておいた方がいいと思うんだ」
それはそうだけど……でも……。ずっと、このままなの? ずっと、同じことを言われ続けるの? パーティーにいた色んな人たちは、イライザのことを外国の王女様かもって噂するぐらいになったのに。教授にとってはずっと泥まみれの花売り娘と一緒。
「でも、腐ったキャベツって言われるのは嫌なの!」
「だからそんなこと言わないって」
「教授はずっとやめてくれないじゃない!」
最後までずっとあんな調子だ。せめて一言でも「良く頑張ったね。君はもう立派な貴婦人だよ」って言ってくれたら、イライザの気持ちだって報われたのに。気にしてるのはスリッパのことばかり。そもそもどうしてスリッパなんだろう。もしかしてやっぱり童話の『千匹皮』と引っ掛けてあるんだろうか。
「しょうがないよ、あの人ある意味じゃお子様なんだから」
不意に、鏡音君がそう言った。……え?
「お子様って……」
「だからさ、ヒギンズ教授って人は大人になりきれてないの。多分どこかで成長が止まってるんだよ」
どこかで成長が止まっていると言われても……。
「ついでにさ、あの人は変なところでプライドが高いから、目の前にいるイライザのことをちゃんと認めてあげられないんだよ。イライザのことをいつまでも花売り娘ってバカにしてるけど、家のあれこれを任せてたってことは、本当は信頼してたってことだろうし」
鏡音君の言いたいことは、何となくわかった。でも……それじゃあイライザはいつまで立っても報われないんじゃないの? だって、欲しいものはもらえないんだから。
「言いたいことはわかるけれど……じゃあ、この後はどうしたらいいの?」
わたしがそう訊くと、鏡音君は考え込んだ。
「イライザの方が大人になるしかないんじゃない? ああ、この人はお子様なんだ、わたしが世話を焼いてあげなくちゃ、って感じで、教授の首に手綱でもつけてしっかり握るしか」
それが、鏡音君の答えだった。イライザの方が大人になるって……。結局、我慢し続けろということ?
「イライザはずっと我慢しなくちゃならないの?」
「我慢とはちょっと違うと思う。要するに、イライザの方が主導権握って上に行くってことだから。案外あの人、甘やかされると弱いんじゃない?」
わたしはその状況を考えてみた。……それはやっぱり淋しいと思う。イライザは誰かの上に立ちたいんじゃないわ。
「……わたしだったら、やっぱり耐えられない」
「なんで? フレディなんてやめようよ。あんなおつむの軽い男と一緒になったら、一生、中身のある話はできないぜ。将来性も無いし」
イライザが欲しいのは、愛に包まれた幸せだ。主導権がどうとか、そういう話じゃないの。
「イライザは愛されたいのよ。話がどうのとかの問題じゃないわ」
「そんなもったいない」
「愛をほしがったらそんなにいけない?」
愛してほしいっていうのは、そんなに大それた願いなんだろうか。わたしの目の前で、鏡音君が困った表情になる。
その時、鏡音君の携帯が鳴り出した。
「ごめん、ちょっと待ってて」
鏡音君はそう言って、携帯を取り出して確認している。わたしはぼんやりとそれを眺めていた。やがて用事が終わったらしく、鏡音君は携帯を閉じた。
「急用?」
ちょっと心配になったので、わたしは訊いてみた。
「いや、大した用事じゃないよ。それで、話戻すけどさ、教授が駄目だからフレディってのは、やっぱりちょっと違うと思うんだよ。それって逃避だろ」
逃避……。
「そんなのわからないわ。だってフレディはイライザに長いラブレターを送っているもの。イライザはそれでフレディを好きになったのかもしれないじゃない」
手紙というのは手元に残って何度でも読み返せる。ある意味、ただの言葉よりずっと嬉しいんじゃないかなしら。
「それに、演出一つで、フレディをもっと感じ良くすることもできるんじゃないかしら? オペラとかでも、時々そういうことがあるのよ」
舞台というのは、演出によって全然違う雰囲気になってしまう。相手をなじる台詞でも、その相手にぴったり寄り添って口にしたら、全然雰囲気が変わってきてしまうもの……よく考えてみたら、大体どんなオペラでもそうよね。演出が失敗していて、何なのかよくわからないこともあったりするけど。
「それなら逆も可能だろ? ヒギンズ教授をもっと感じ良くすることだって」
「それは……そうだけど……」
どうして鏡音君はこの二人にこだわるんだろう? わたしにはわからない。わたしは無言で、しばらく机の表面を眺めていた。鏡音君も黙ってしまう。
そうやって二人して黙り込んでいると、不意に、教室のドアが派手な音を立てて開いた。
「あーっ、いたいた! って、鏡音先輩、どうして巡音先輩が一緒なんです!? もしや部活サボってデートですか!?」
あれ……グミちゃんだ。え? 鏡音君、今日部活だったの? 驚いているわたしの前で、グミちゃんは教室の中に入ってきた。その後ろから、数人の生徒が入ってくる。あ、ミクオ君と躍音君もいるわ。ということは、みんな演劇部の子たちなんだ。
「鏡音君、部活サボったって……」
もしかしてわたしが、放課後時間あるかなんて訊いたせい? どうしよう……。
「いや、グミヤに遅れるって連絡はしておいたんだよ。演劇部の為の話し合いなんだから、こっちを優先しただけ」
「でも……」
わたしがこんなこと言い出さなければ、鏡音君は部活に行ってたのよね。なんでわたしはいつもこうなのかしら……。
「おい、グミヤ。これは一体何の真似だ。俺は、演劇部の次回公演の決定の為に話し合うから、部活に行くのは遅れるってメールしたよな。なのになんで押しかけて来たんだ」
わたしの前で、鏡音君は躍音君を問い詰めている。それに答えて演劇部の子たちが色々と言い出していたけれど、わたしはほとんど聞いていなかった。
……帰ろう。わたし、部外者だもの。わたしは通学鞄を手に取って立ち上がった。あ、でも、無言で帰っちゃまずいかな……。
わたしは鏡音君の方を見た。演劇部のみんなの方を向いた状態で、何か話している。
「あの……わたし、帰るね」
一応、口に出してそう言う。……でも聞こえてないみたい。仕方ないか。わたしはそっと教室を出た。
……淋しいな。
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