「リン、あんた、結婚式あげてないでしょ」
わたしたちがお母さんを見舞ってから、半年が過ぎていた。お母さんの状態はあまり良くないらしく、わたしはニューヨークで仕事をしながらも、心配で胸が潰れそうな毎日を送っていた。
そんな中、突然ハク姉さんが電話をかけてくると、真っ先に言ったのが、上の言葉だった。
「あげてないけど……」
わたしはレン君と駆け落ちした。当時二人とも学生だったし、式をあげるような余裕なんてなかった。だから相談の結果、役所に届けを出すだけで済ませてしまった。しばらくは婚約という形にしようかという話もあったけど、わたしはもうレン君と引き離されたくなかったから、結婚を選んだ。
いつか落ちついたら式をあげようか、そんな話題が出たこともあった。でも「落ちついたら」というのが、わたしもレン君もピンと来なくて、だから、結婚式はあげずじまいだった。
「じゃ、あげましょ。リン、レン君と一緒に、一度日本に戻って来なさい」
「あげましょってハク姉さん……一体どうして? わたしたち、結婚してもう長いのよ? 式なんてもうあげなくてもいいんじゃないか、そう思うくらいなのに」
ハク姉さんは、電話の向こうでため息をついた。
「あのね……お母さんの具合、かなり良くないのよ。ひょっとしたら、年内まで持たないかもしれない」
わたしは、携帯を取り落としかけた。……お母さん。そんなに悪くなっていたなんて。連絡は取っているけれど、お母さんのメールにはいつも「大丈夫」と書かれていた。それを頭から信じていたわけではないけれど、そう書かれてしまうと、重ねて問うことはためらわれてしまう。
「お母さんがわたしに会いたいって言うのなら、わたし、すぐ日本に戻るわ。でもどうして、結婚式って話が出てくるの?」
「あんた気づかないわけ? あたしたちの中であんただけよ。ウェディングドレス着てないの」
「それは……そうだけど……」
考えてみれば、ルカ姉さんもハク姉さんも、ウェディングドレスを着て、きちんと結婚式をあげた。当たり前のことなのに、何故かわたしの意識からは抜け落ちてしまっていた。
「……お母さん、死ぬ前にあんたのウェディングドレス姿が見たいって。そういうわけだから、戻って来なさい。あんたが戻って来たらすぐ準備始めるから」
「でも……式の準備って、そんなに簡単にできるものでもないでしょ? 場所とか、ドレスとか……」
すぐにあげられるとは思えない。そういう式場もあるのかもしれないけど、日本を離れて長いわたしには、どこにどんな式場があるのかもよくわからないし。
「リン、あんた、式に大人数呼びたい?」
「ううん……呼びたい人なんて、そんなにいないわ。ミクちゃんとミクオ君ぐらい」
ミクちゃんのご両親にも、来てもらえるのなら来てもらいたいな。それ以外だと、こっちで親しくなった人も当然いるけれど、日本での式に出てもらうわけにはいかないし。
レン君のお姉さんにももちろん出てほしいけど、レン君の家族なんだから、呼ぶのはレン君の役目だ。
「レン君の方は訊いてみないとわからないけど、大人数にはならないと思う」
「そう。……なら、場所は問題ないわ。あたしたちの実家が使える」
わたしたちが育った家はかなり大きい。パーティーが開けるホールもある。あそこを使えば、小規模な式ならあげることは可能だ。
「で、でも……他は? お料理とかドレスとか……」
「お料理はお手伝いさんたち総動員でかかれば、なんとかなる。誰があの人たち鍛えたと思ってるの。あたしたちのお母さんよ。もともとパーティーの時、みんなで作ってたじゃない」
それはそのとおりだけど……パーティーの時とかは大人数なので、料理はお手伝いさんたちにやってもらっていた。お母さんが管理していたから、出てくるものはお母さんの味だったけど。そう言えば「ここで働くようになってから、料理が今まで以上に上達しました」って言っていた人もいたっけ。
「ドレスは?」
「あんた、あたしの勤め先がどこだかわかってる?」
呆れた声で、ハク姉さんは言った。それはもちろん憶えている。
「ファッションデザイナーのアトリエよね?」
「そういうこと。だからドレスは『アトリエ・シオン』の総力をあげてどうにかする。レン君の方は借りることになっちゃうだろうけど、そこは我慢して」
「そんな……悪いわ……」
「大丈夫、仕事として頼むから。代金は姉さんが払うから、あんたは心配しなくていい」
「え?」
ルカ姉さんがわたしのウェディングドレス代を出す? どういうこと?
そもそも考えてみれば、わたしの実家は今、ルカ姉さんのものになっている。ルカ姉さんの許可無しに、わたしの結婚式をあげられるとは思えない。
「ルカ姉さん、いいって言ってるの?」
「あ~、信じがたいことだけど、これ、姉さんのアイデアだから。あの家であんたの結婚式をあげて、お母さんにあんたのウェディングドレス姿を見てもらおうっていうの」
わたしはハク姉さんの言葉が信じられなかった。ルカ姉さん、顔も見たくないほどわたしのことを嫌っていたはずなのに。
「どういうこと? ルカ姉さん、わたしのことが嫌いじゃなかったの?」
「……あたしもよくわかんないけど、姉さんにも心境の変化って奴があったみたい。……あたし、ずっと、誤解してたのよね。考えてみれば、納得のいく話ではあるんだけど」
「誤解?」
「姉さんがあんたを嫌ってた理由。あたしてっきり、腹違いの妹だからだろうって思ってたけど、違ってた」
わたしもずっとそう思っていた。ルカ姉さんをいじめた人の娘だから、わたしのことが嫌いなんだって。違うの?
「……姉さん、あんたがお母さんに甘えてたのが気に入らなかったみたい」
「それはわたしが腹違いの妹だからでしょ?」
「だから違うんだって。だいたいそれだと、あたしのことも同じぐらい嫌わないとおかしいでしょ。そうじゃなくて、姉さん、お母さんのこと、独り占めしたかったみたいなのよ」
わたしは呆気に取られてしまった。あの、真面目で優等生のルカ姉さんが、そんな子供じみたことを考えていたの?
「じゃ……わたしに嫉妬していたのって、わたしがお母さんの膝に座って、絵本を読んでもらっていたからなの?」
それこそ信じられない。そんな当たり前のことが、嫉妬の原因になるなんて。
でも……考えてみたら、ルカ姉さんには、絵本を読んでくれるような人がいなかったんだ。わたしを生んだお母さんは、ルカ姉さんのことを「気味悪い」なんて言ってしまうような人だったのだから。
「だからある意味、今の姉さんはお母さんにべったり。まあべったりといっても、お母さんは病気だし、必死で世話を焼いているって感じなんだけど。……さすがにあたしも、ちょっと不安になってくるわ」
ハク姉さんは、そこで不自然に黙ってしまった。きっと「お母さんが死んだらどうなるのか」と続けそうになったんだろう。
「そういうわけだから、都合つけて帰ってきて。お母さんの体力が残ってるうちに、あんたの結婚式あげたいから。ドレス作るとなると、さすがに数日かかるし」
ルカ姉さん、お母さんの為に、わたしの結婚式をあげようとしているのか。わたしのことが嫌いでも、お母さんがそれを望んでいるのなら、できるかぎりのことをしようって。わたしもルカ姉さんも、お母さんのことを想っている。……だったら、戻ろう。
「ドレス、レンタルでもいいけど」
それならもっと早くできるわよね。
「……あ~、実は、マイコ先生がすっかり『その気』になっちゃってるのよ。だから、そっちも頼むわ」
そういうわけで、わたしとレン君は休暇を取って――母の具合が悪いというと、思いの他すんなり休暇は取れた――日本に戻って来たのだった。
ホールの前で、お母さんと並んで待つ。痩せて小さくなってしまったお母さん。黒い留袖を着たお母さんは、わたしを見て静かに微笑んだ。
「リン……綺麗よ」
わたしは胸がいっぱいになってしまって、何も言えなかった。ホールの中から、音楽が聞こえてくる。流れてくるメロディーは、『シーズンズ・オヴ・ラヴ』だ。入る時の音楽はこれにしようって、二人で相談して決めた。
お手伝いさんが、ドアを開けてくれた。お母さんに手を取られて、ホールの中に入る。ホールでは、来てくれた人たちが列を作っていた。その中をわたしはお母さんと一緒に歩いていく。ヴァージンロードを歩く相手は、お母さんしかいない。わたしを育ててくれた人。
列の終わりに、タキシード姿のレン君が待っていた。わたしを見て、安心させるかのように笑いかけてくれる。結婚式の話をした時、レン君も最初は驚いていた。でも話を全部聞き終えると「それなら、式をあげよう。それが一番だよ」と言ってくれた。
……わたしの大切な人。レン君に会えて、本当に良かった。
わたしたちがレン君の前に出ると、お母さんはわたしの手をレン君の手に渡した。わたしたちは手を繋いで、みんなの方を振り向く。わたしたちの式は人前スタイルにしたので、式をあげてくれる人はいない。どういう形にしようか相談した時、これが一番わたしたちにあっていると思えたのだ。
「俺はリンを人生の伴侶として、今までと同じように、どんな時も手を取り合って、この先の人生を、二人で歩むことをここに宣言します」
「わたしはレン君を人生の伴侶として、今までと同じように、どんな時も手を取り合って、この先の人生を、二人で歩むことをここに宣言します」
拍手が一斉に響く。その音の中、わたしとレン君は、もう一度指輪の交換をした。結婚指輪自体はもう持っていたんだけど、今回は儀式のようなものだから、改めてみんなの前で、もう一度。
レン君がわたしのウェディングヴェールを上げてくれた。正面から瞳と瞳があう。……色々複雑だけど、やっぱり、幸せだと思う。レン君がいてくれて。そして、みんなが祝ってくれて。
「……大好き」
他の人には聞こえないように、小さな声で呟く。レン君が笑って、同じくらい小さな声で「俺も大好きだよ」と言ってくれた。レン君が顔を近づけたので、わたしは瞳を閉じる。唇に触れる、柔らかい感触。拍手が大きくなる。
病める時も健やかなる時も、幸せな時も辛い時も、わたしたちは、一緒に歩いていく。この先何があったとしても。
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もっと見る注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
カイト視点で、外伝その二十四【母の立場】の直後の話となります。
したがって、それまでの話を読んでから、お読み下さい。
【それぞれの形】
なんであんなこと、言っちゃったんだろう。
めーちゃんからの電話を強引に終わらせた後、僕はひた...ロミオとシンデレラ 外伝その二十五【それぞれの形】
目白皐月
「巡音さん、大変よくできていますよ」
大学の先生はそう言って、わたしが渡した原稿を置いた。
「ありがとうございます」
「じゃあ、これ、次の分ね」
どさっとプリントが渡される。わたしはそれを、自分の鞄に仕舞った。
「できたら来新学期が始まるまでには仕上げてもらえる?」
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「リン、俺はもう行くよ」
引き伸ばすと、余計...アナザー:ロミオとシンデレラ 第六十六話【分かれた道】
目白皐月
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ご意見・ご感想
犬蜜柑
ご意見・ご感想
初めまして。大分前のお話ですが、完結おめでとうございます!
と言っても、実は、作品は当時途中からリアルタイムで読んでいました。その頃はピアプロの会員登録をしておらず、ただ読むだけでしたが……少し前に登録したため、今更ながら、メッセージを送ることにしました。
当時から変わらず大好きな作品です。自分の中では、ロミオとシンデレラと言えばこの作品です。また1話から読み返したいと思います。素敵な作品をありがとうございました!
ご多忙なこととは存じますが、またいつか目白皐月さんのお話が読みたいです。
2017/12/29 10:33:57
つーにゃん
ご意見・ご感想
はじめまして
最近忙しくて、なかなかみることが出来なかったのですが、今日やっと見ることが出来ました。
ルカがリンを階段から落としたところから見始めました。
とても素晴らしくて、完結するのが少しもったいないと思います。
私はルカがリンを階段から落とした理由をなんとなくですが分かっていましたが、私はバカなので自分で勝手に間違ってると思ってました(笑)
でも、合ってて嬉しいです(笑)
これからも、素敵な小説をかいてください
次回作を楽しみにしています。
明日は塾の実力テストなので、これで失礼します。
2013/02/10 14:02:12
目白皐月
初めまして、つーにゃんさん。メッセージありがとうございます。
個人的な見解なのですが、物語というのは「惜しまれるところで終わらせる」のが、いいのだと思っています。だから、つーにゃんさんがそう感じたということは、この作品は、いいところで追われたのだということだと思います。
ルカがリンを階段から落とすくだりは、「わかる人にはわかればいい。わからない人には、わからなくていい」というスタンスで書いていました。人というのは色々違うものですから、読み方も違うし、受け止め方も違います。だから、つーにゃんさんがそう感じたということは、つーにゃんさんの個性だと思います。
現在は昔話のリトールド『金色の魚』を連載中です。この次の作品も構想はできていますので、よかったら読んでください。
2013/02/10 22:47:36
笑子
ご意見・ご感想
こんばんは。入試のためにPC断ちをしていまして、今、数話ほど一気読みしました。そして泣きました。完結おめでとうございます。こんなに長い話を完結させられるなんて、さすがだと思います。私なんか、たった二話の話でもうまく終わらせられなかったりするので。
そしてどうやら私も、ハクやリンと同じくルカさんの心境を誤解していたようです。「上手に甘えられるリンが妬ましい」という感じかと思っていました。読み返してから、たくさんヒントが出ていたことに気付きましたorzルカさんが一番気になるキャラだったのに…
でも、ルカさんの心境がわかってすっきりしました。
ずっと小説は読む側だったのですが、目白さんのおかげで何か書いてみたくなりました。ありがとうございました。
ちなみに私も小説家志望で、小学生で、にじファンからきましたww
2013/02/07 17:57:19
目白皐月
こんにちは、笑子さん。メッセージありがとうございます。
完結まで持っていくのに大切なことは、「何がなんでもこの話を書き上げる」という、強い熱意を持つこと。そして、最初にしっかりプロットや設定を作っておくことです。とくに、こういう複雑な構造の話の場合、プロットは必須です。
ルカさんの心境に関しては、主役のリン自体が誤解している上に、ルカ本人も自分の気持ちを押し殺しているので、わかりにくかったろうなとは思います。間接的な表現を使うのは私も初めてだったので苦労しましたが、こう言ってもらえて、書いてよかったと思いました。
意外とにじファンから流れてきた人が居るようで、ちょっとびっくりしています。
では、入試、がんばってくださいね。
2013/02/07 19:29:12
空香
ご意見・ご感想
初めまして!ロミオとシンデレラ全部読ませて頂きました。お疲れ様でした!
読んでた癖に全然コメントしなくてすいません・・・。ピアプロに入ったのがつい5日程前でして・・・w
とっても面白いし、毎回毎回の話がむっちゃ濃くて読んでいて全然飽きませんでした!!
中に出てきた本は読んでみたりもしましたww
前に書かれてた英語の著作権切れの小説を集められたホームページを教えてもらってもいいですか?
その時にお気に入りに追加するのすっかり忘れてました・・・orzすいません・・・。
最後がハッピーエンドで本当によかったです。
途中では3人のお父さんに怒りを覚えましたし、リンちゃんとレン君どうなるの!?と心配しましたが引きこもっていたハクさんもちゃんとアカイさんと幸せになれたし、ルカさんも長年溜め込んでいたものがちゃんと晴れてよかったと思います!
終わりを迎えるのはかなり名残惜しい気がしますが・・・。
終わりとしての区切りを読めて嬉しいです!
ただでさえ小説を書き終えるのってすごい大変な事なのにこんな長編を書けるなんて・・・!(私は一応小説家目指してますがなかなか書き終えれないです・・・ww)
おまけももちろん期待してますが次回作も楽しみに待ってますね!!
2013/01/17 20:37:33
目白皐月
初めまして、空香さん。目白皐月です。
この長い物語をお読みくださって、どうもありがとうございます。書き出した時は「これは長すぎると言われても仕方ないかもな」とも思っていたのですが、しっかり読んでくれた人が思いの他多くて嬉しいです。
それと、中に出した作品にも興味を持ってもらえたようで嬉しいです。英語のサイトですが、プロジェクト・グーテンベルグですね。http://www.gutenberg.org/ アドはここです。ただ有志の方によるサイトなので、全ての作品が収められているわけではありません。シェイクスピアやディケンズなどの有名どころはほとんど入っているようですが。
本当の意味でのハッピーエンドかどうかはちょっとわからないのですが、姉妹はそれぞれ行く道を見つけることはできたと思います。
お話はやはり、完成させることが大切だと思います。私も書き始めた頃は、最後まで書き終えられなくて苦労しました。でも、きちんとした「区切り」をつけることができれば、その時のほうが、たくさんの経験値を獲得できます。
次回作の構想は既にできていますが、その前に息抜きっぽいものを載せるかもしれません。それでは。
2013/01/18 22:58:21