一閃が、黒衣の身体を斜めに引き裂いた。
目の前で黒衣の男が崩れ落ちる。
その向こうに立っていたのは、眼帯をした傷だらけの青年だった。
「僕は…君のことが好きじゃない」
声が出せなかった。
「でも…大切な人のために行動するところ……嫌いじゃない」
帯人は召使いをギロチンから解放する。
次々と襲い来る異形の者どもが、のどを掻ききろうと帯人に飛びかかる。
が、その攻撃は帯人に届かない。
帯人は次々とアイスピックでしとめていく。
召使いは言う。
「これで、物語は変わりました。リンもレンも、きっと目覚めるでしょう。
でも、…僕と王女の未来は……誰にも解らない…」
「それでいい…それで……」
「え?」
「未来は誰にも解らないほうがいい。いくらでも、変えられる。
…未来は、僕らが……切り開くものだから」
召使いは深くうなずいた。
灰猫が処刑台の上に現れる。
くるくると尻尾を動かしながら、灰猫は笑った。
「さすがは書き手ですね。
雪子さんと王女なら、教会内にいます。あそこなら安全ですからね。
さあ、我々も行きましょう」
「はい!」召使いは力強く答えた。
時計の針は一刻一刻と進み、物語は終わりを迎えようとしている。
やがて悲劇は完全に回避され、リンとレンの意思は解放される。
こうして…音楽時計の夢は終わるのだ。
そう、一睡の夢のように儚く世界は終わる。そして僕らも―――
教会内にみんなが集まった。
まだ外は騒がしい。コーディオが大暴れしているせいだろう。
私たちは窓際に集まり、時計台を見上げていた。
時計は淡々と、時を刻んでいる。
「これで、みんな終わるんだよね」
「…ああ」
王女と召使いは手を取り合って、その時間を待っていた。
帯人も雪子も、灰猫もみな、三時の鐘を待つ。
悲劇は起こるはずはないのだ。
処刑される人間は消え、王女もまた姿を消してしまったのだから。
悲劇が起こるはずがない。
そう、信じていた。
カーンカーン。
ついに鐘が鳴り始めた。
これでやっと……夢から覚める…。
だが、夢から覚めるどころか、光の扉さえ現れなかった。
「どうして? 悲劇は回避されたはずなのに!」
雪子は音楽時計を確認する。
音楽時計もちゃんと時間を刻み続けている。
なら、なぜ夢は覚めないの。
「あ!!!!」
雪子は気づいた。
音楽時計の文字盤と、時計台の文字盤が全く一緒だったのだ。
そのとき、教会の扉が勢いよく開かれた。
剣を片手に笑うコーディオがいた。コーディオは静かに言う。
「雪子さん、帯人さん。おめでとう。君たちは見事、悲劇を回避しました。
さて、ではこれから最後の大仕事に取りかかってもらいましょうか」
「…どういうことだ」帯人はアイスピックを構える。
「夢から覚めるには、やらなければいけないことがあるのです。
この音楽時計の心臓である、時計台を壊さなければ夢は覚めません。
この世界自体を殺してしまわねば、この世界に閉じこめられている人の
魂を解放することはできませんよ」
「……話が違うじゃないか…」
「ええ。ストーリーは書き換えられましたから」
コーディオは時計台を見上げた。
「チャンスは時計台の鐘が鳴りやむまでの一分間だけ。
さあ、急いでください」
帯人は強くコーディオをにらみつけた。
そんな帯人の手を引く雪子。
「とにかく急ごう! まだ時間はある!!」
帯人は眉をひそめながらも、雪子の指示に従った。
そうだ。王女と召使いも、一緒に…。
雪子は振り返り、彼らを捜した。
けれど、彼らの姿はどこにもなかった。
「早く!」
灰猫の声に押されて、雪子と帯人は教会内にあった螺旋階段を駆け上がる。
この先は時計台の心臓部に通じている。
そこにある歯車を壊してしまえば、この時計もこの夢も終わる。
コーディオはアコーディオンを床に落とした。
彼は嬉しそうに指をパチンと鳴らす。
すると、まるで生き物のようにアコーディオンは動き出した。
大きな口を開け、だらしなく舌を出し、荒々しく呼吸している。
その姿はまるで狂犬だった。
もう一度パチンを指を鳴らすと、
狂犬アコーディオンは身をよじりながら走り出した。
くねくねと器用に身体を動かしながら、階段を駆け上がる。
コーディオはそれを見届けると、外に向かって大きく跳躍した。
「リン…、貴女の望みはなんですか? 破壊ですか? 死ですか?」
どうか、教えてください。今の望みはなんですか?
コーディオは悲しげな瞳を光らせて、空へ飛び去った。
どれだけ上ればいいんだろう。
私の身体はすでにぼろぼろだった。心臓がバクンバクン鳴っている。
延々と続く階段を一分間でのぼり切る自信がなかった。
もう膝だってガクガクしている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
…苦しい。
初めて自分の体力のなさを恨んだ。
「雪子さん、ちょっと失礼」
「ひゃ! ちょ、な、べつにいいですから!」
灰猫は軽々と雪子を抱き上げる。
「そうも言ってられないでしょう。
今は早く心臓部へ行かなければならないのですから。
わかりましたか?」
「は、はい…」
私は恥ずかしくなって、灰猫の腕を掴んでいた。
さっきから帯人の視線が怖い。すごくにらんでいる。…後で謝っておこう。
灰猫の足は速かった。まるで空中を滑るように走るのだ。
帯人はボーカロイドだから、異常な速度で走ることができる。
でもその帯人がついて行けないほど速いということは、
灰猫の足は自動車並みということだ。…想像したら怖いなぁ、それ。
さすが、夢の住人さんだ。あり得ないことをやってのけるんだから。
ふと思った。
夢が覚めてしまったら、灰猫はどうなるのだろう。
コーディオも、クレイヂィ・クラウンも、どうなってしまうのだろう。
あの夢の中で、リンとレンに懐いていた猫がいた。
レンがプレゼントしていた金のバッチと、
灰猫のしている胸のバッチはよく似ている。
きっと、灰猫はあの猫なんだ。…だから、灰猫は目覚めることができる。
「ねえ、灰猫さん」
「なんですか?」
「夢から覚めたら、あなたのところに遊びに行ってもいいですか?」
教会の裏口の、あの細い道にあなたはいるだろうから。
灰猫は一瞬、驚いた顔をしてそして微笑んだ。とても優しい笑顔だった。
「遊びに来てもいいですが、一緒に遊べはしませんよ。
夢の外ではもう、私はこの私ではいられませんから」
「それでもいいですから、ね? いいでしょう?」
「しかたないですね。――それなら、来るだけ、ならいいですよ」
どこまでも素直に「遊びましょう!」って言ってくれない人なのね。
まあ、しかたないか。
この世界では大人の男性だけど、外の世界では猫ちゃんだもの。
今だけは見栄も張りたいよね。
雪子はクスッと笑った。
突然、帯人が立ち止まる。灰猫も足を止める。
帯人は私たちに背を向け、アイスピックを構えていた。
「どうしたの?」
気に障るようなこと、しちゃったかな…。
「雪子と…灰猫は……先に行ってください…僕は少し、ここにいます」
「え、あ、あの、帯人……ごめんなさい」
帯人はちらっとこちらを見て、小さく微笑んだ。
「早く行ってください」
「なら、お願いします。では失礼」灰猫は走り出した。
どんどん遠くなる帯人の背中。
雪子は理解できず、「帯人!」と叫んだ。
灰猫は走りながら、静かに言う。
「貴女のせいではありません。彼は、私たちを守ってくれたのです。
だから安心してください」
後方から、犬の吠える声と、アイスピックの音が聞こえてくる。
私を表情を見て、灰猫は笑った。
「もう少しは彼を信じたらどうですか?
彼は全部、解っていましたよ。
雪子さんが心配するほど、彼はもう不安定じゃないんですよ」
かああと顔が赤くなる。
私だって彼の気持ちをちゃんと信じてるもの。…ちょっと不安になったけど。
なんだか自分が恥ずかしくなって、私は目をそらした。
カーンカーン。
鐘の音がやけに長い気がする。
一分以上経っているように思えるのに、時計は全く動いていない。
勘違いなのか? それとも意図的?
よく解らないけど、今は上を目指そう。
灰猫と雪子は上へ上へのぼり続けた。
そして、やっと視界が開けた。
巨大な歯車が回っている。ここがきっと時計台の心臓部だ。
二人が破壊しようと歯車に近づいた。が、しかし、それは寸前で阻止される。
突然壁が吹き飛んだ。爆風に吹き飛ばされる雪子。
灰猫は毛を逆立て、牙を剥き出した。
「ふふはははっははっあはは!」高らかな笑い声が響く。
そこには剣を握りしめたコーディオが宙に浮いていた。
コーディオは剣を構えると、冷静な口調で言った。
「さあ、戦いましょう。
俺は「壊したい」という思いを尊重するために」
灰猫も剣を構える。
「ああ、戦いましょう。
私は「生きたい」という思いを尊重するために」
互いに目を光らせて、そして微笑んだ。
「「 全ては彼女のために 」」
灰猫は勢いよくコーディオに斬りかかった。
夢の住人にとって、大切なのは自分の命ではない。
自分の命よりも、なによりも、彼らは夢の主の思いを尊重する。
コーディオはリンの「絶望」を持ち、灰猫はリンの「希望」を持っていた。
だから、二人は対極に位置していた。
決して交わらない。
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だから、最後の最期までぶつかり合う。それが二人だった。
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ご意見・ご感想
アイクル
ご意見・ご感想
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……すみませんm(__)m
2009/03/23 20:02:35
とと
ご意見・ご感想
もうすぐラストですね^^
帯人がかっこいいです♪
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2009/03/23 18:20:53