あれ以来、レン君はわたしに、CDや本を貸してくれるようになった。少し後ろめたい気持ちはあったけれど、わたしは好奇心に勝てず、そういったものを貸してもらった。今まであまり聞いたことのなかった音楽や、読んだことのなかったタイプの本。世の中には色々なものがあるのだと、改めて気づいた。
お返しというわけではないけれど、わたしもレン君に、自分の持っているCDや舞台のDVDを貸した。学校で会って、本や音楽の感想を話しあうのが、段々日課のようになっていった。
今まで、わたしがそういう話をしたのはミクちゃんだけだった。ミクちゃんと話すのも、もちろんとても楽しい。でも……レン君と話すのは、ミクちゃんとは全く違う楽しさがあった。どう説明したらいいのかよくわからないけれど、とにかく、違っていた。
少し残念だったのは、いつもわたしたちの評価が一致するわけではない、ということだった。例えば、オースン・スコット・カードという作家が書いた『エンダーのゲーム』という小説。残念ながら、わたしはこの話には上手く入り込めなかった。
その話をすると、レン君は明らかにがっかりした表情になった。この作品は、レン君にとって、きっととても気に入っている作品だったんだわ。
「あ……ごめんなさい」
「いや、いいよ……。感じ方なんて人それぞれだし」
レン君はそう言ってくれたけど……。
「つまらないってわけじゃないの。とても深い内容だし、終盤の展開にはびっくりしたわ。けど……よくわからないけど、わたし、この本ってなんというか、どこかに大きい瑕があるように感じられてしまって……」
上手に説明できないのだけれど、この話には何かが欠けている。そんな気がした。
「あ、でも、あのね……短編集の方に入っていた『磁器のサラマンダー』って話、あれは大好き」
一緒に貸してくれた短編集。『エンダーのゲーム』の基になった短編が入っているから、こっちから読んだ方がいいよって言われた本。難しくてよくわからない話も多かったし、『王の食肉』という話は、読んでいて気分が悪くなってしまったけど……。この『磁器のサラマンダー』は、とても素敵な話だった。魔法とか呪いとかが出てくる世界の話で、生まれた時に呪いをかけられてしまった少女と、魔法で動く不思議な磁器製のサラマンダーの物語。
「魔法使いは、サラマンダーは魔法のかかった磁器に過ぎないっていうけど、わたし、あの子には魂があって、ちゃんと主人公のことを愛していたと思うの」
自覚していなかったのか、そういう風に思い込んでいたのか、あるいは自分の使命を理解していて、あえて言わなかったのか。でも、そこに愛はあったのだと思う。
「そういうふうに作られたものに過ぎないのに?」
「『ロボット』のロボットだって、そうじゃない?」
愛や魂なんて縁のないものって言われていたけど、最終的に愛を感じるようになった者たちがいた。
「あれはそもそも、人間に似せたものとして作られたし、怪我をすれば血が出るし……」
レン君はそう言いかけたけど、途中でやめてしまった。……どうしたのかな。
「リンは、そういう話が好き?」
訊かれたので、わたしは頷いた。不思議な話は、小さい頃から大好きだった。それもただ単に不思議というだけじゃなくて、その中に出てくる人たちに、思いを馳せずにいられなくなるような、そんな何かを内包している作品が。
「ええ。……小学生の時にね、『人形の家』っていう童話を読んだの。その話を読んだ時、わたし、とても悲しい気持ちになった。人形の家で暮らしているお人形たちの話なんだけど、ちゃんと心があって、色々なことを思うのよ。遊んでほしいとか、家をちゃんとしてほしいとか。でも人形だから、願うことしかできないし、持ち主の子供に好きなようにされるままで……子供が鋭いと願いがちゃんと伝わるんだけど、そうじゃないことも多いし、ひどい時は壊されたり捨てられたりしてしまうの。あの本を読んで、色んなことを考えたわ。動けない存在だから、願う力が強くなるのかなとか、わたしはちゃんと願う気持ちを読み取ってあげられていたのかなとか……」
わたしは喋りながら、うさちゃんのことを思い出していた。いつもらったのかは憶えてないけれど、とにかくいつもわたしと一緒にいた。喋ったり動いたりはできなくても、わたしにとっては大事なお友達だったのに……わたしは、捨てられるのを泣きながら見ていることしかできなかったっけ。うさちゃんも、もしかしたら全力で「捨てられたくない!」って思っていたのかもしれない。
何も言うことができず、壊れて、駄目になって、消えていくもの。消えたらもう戻って来ない。
そう言えば……小さい時に読んでもらった『ビロードうさぎ』という絵本。あの話では、捨てられたうさぎのぬいぐるみは、最後に子供部屋の魔法で本物のうさぎになる。うさちゃんも、本物のうさぎになれたら良かったのに。
期末が近づいたある日の昼休み、わたしはミクちゃんと、学校の購買部に来ていた。ノートがなくなりかけていたので、使い切る前に新しいのを買おうと思ったのだ。ミクちゃんは特に用事があるわけではなかったけれど、なんとなくわたしに付き合ってくれている。
わたしは目当てのノートを手に取って、レジに向かおうとした。ミクちゃんは「購買部のってイマイチ可愛くないのよね」と言いながら、消しゴムを眺めている。と、その時。
「あれ、巡音先輩じゃないですか」
「あ……グミちゃん」
演劇部のグミちゃんが立っていた。
「グミちゃんも買い物?」
「はい。シャープペンシルの芯が切れそうだから補充しておこうと思って」
グミちゃんは、手に持ったシャープペンシルの替芯が入ったケースを掲げてみせてくれた。
「リンちゃん、その子は?」
あ、ミクちゃんは会ったことがなかったっけ。
「演劇部の一年生で、活音メグミちゃんよ。グミちゃん、わたしの幼馴染で、ミクオ君の従姉の初音ミクちゃん」
「もちろん知ってま~す! 初音ミク先輩は有名ですから」
グミちゃんの言葉に、ミクちゃんは首を傾げた。
「有名って?」
「はい、学祭のミスコンを二連覇の美人で、歩いているだけで目立つって、あたしの学年でも評判ですよ。初音ミクオ先輩、初音ミク先輩目当ての奴追い払うのに、いっつも難儀してるって話ですし。」
え? 初めてそんな話を聞いたので、わたしは驚いてしまった。ミクちゃんも、わたしの隣でびっくりしている。
「活音さん、わたし目当ての人ってどういうこと?」
「あ、グミって呼んでください」
「じゃあわたしもミクでいいわ。フルネームだと呼びづらいでしょ」
「わかりました、ミク先輩。あ……巡音先輩もリン先輩でいいですか?」
「ええ」
「じゃ、これからそう呼ばせてもらいますね」
グミちゃんはにっこりと笑った。
「さっきも言ったけど、ミク先輩って目立つでしょう? だからミク先輩に憧れている男子って、いっぱいいるらしいんですよ。少なくとも、あたし、彼氏のグミヤ先輩からそう聞きました。でも、ミク先輩ってすごいお嬢様じゃないですか。だから、みんな気後れしちゃって声もかけられないんだそうです」
わたしとミクちゃんは顔を見あわせた。そんなことになっていたなんて、全く知らなかった。
「わたしってそんなに声、かけづらい?」
「偉そうにしてるとか、そういうんじゃないですよ。そうじゃなくて……なんて言ったらいいのかなあ……気圧されている?」
ミクちゃんは、ショックを受けているみたいだった。わたしはミクちゃんが偉そうと思ったことはないけれど……うーん……。でも、グミちゃんも悪い意味で言ってるんじゃなさそうだし……。
「グミちゃん、もしかしてミクちゃんはパワーに満ち溢れてるってこと?」
「ああ、そうそう、そんな感じです! パワーっていうか、オーラがあるんですよ。多分、そこらの男子じゃ、ミク先輩には声もかけられませんよ」
それは喜んでいいことなのかな……? わたしにはわからない。でも、わたしがミクちゃんに元気をもらったことなら、何度でもある。ミクちゃんはそういう人だ。
「自分では実感が無いんだけど……で、それとクオがどう関係してくるの?」
「昔から、将を射んとすればまず馬を射よ、って言いますよね。グミヤ先輩の話だと、ミクオ先輩と親しくなって、芋づる式にミク先輩とも仲良くなろうとする人が、一年の時から後を絶たないんだそうですよ。けど例外なくミクオ先輩に、ぴしゃっと断られたそうです。その中には、あのコウ君も含まれてたりしますけど」
あ……そう言えば、レン君が以前「初音さんなら告白されるのしょっちゅうじゃないの?」って、訊いてきたことがあったわ。あれ、このことを知っていたからなんだ。
「けど思うんですけど、みんなヘタレというか情け無いですよね。あわよくば……なんて気持ちで近づくから、ミクオ先輩に見透かされてはねつけられちゃうんですよ」
「確かにそれは言えるわね……わたしとしても、クオを通さなきゃ告白もできないような人は願い下げだわ」
ミクちゃんとグミちゃんはうなずきあっている。……よくわからないけど、意見が一致したみたい。
「誰かを好きになったんなら、後はひたすら行動あるのみ! 意志あるところに道は開ける! それが、あたしのモットーです!」
力強くそう言うグミちゃん。わたしはびっくりして、グミちゃんを見ていた。
「あたしはそれでグミヤ先輩とつきあうことができましたっ!」
グミちゃんが宣言する。ミクちゃんがぱちぱちと拍手した。
「すごいわ、グミちゃん。情熱って大事なのね」
え、えーと……グミちゃんの場合は上手くいったから、良かったんだろうけど……いつも上手くいくとは限らないんじゃないのかな……。一方通行な気持ちを押し付けられても、困っちゃうと思うし……この前のわたしみたいに。
「ミク先輩は、好きな人いるんですか?」
「残念ながら、今はいないわ」
「そうですか。リン先輩は?」
「……えっ?」
突然そう訊かれて、わたしは戸惑った。というか……どうしてグミちゃん、妙な笑い方してるの?
「いますよね?」
「え、えーと……わ、わたしは恋愛とかって……その……縁遠いものだから……」
言いながら、何故か胸がひどく痛んだ。わたし、何を言っているんだろう。でも、わたしにそんな自由は無い。
自由が無いのは、当たり前のことだった。それはわかっていたはずなのに。
「リン先輩、恋は頭で考えてするもんじゃないですよ。恋っていうのは、ハートでするものなんです」
自分の左胸をトントンと叩きながら、グミちゃんはそう言った。
「グミちゃん、いいこと言うわね」
ミクちゃんがグミちゃんの肩を軽く叩いている。すっかり、意気投合しちゃったみたい。ミクちゃんだけじゃなくて、グミちゃんにもパワーがあるのよね、きっと。
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