俺が帰宅してからしばらくして、クオから携帯に電話がかかってきた。
「……もしもし」
取った電話の向こうで、クオが黙り込む。……おい、お前の方からかけてきたんだろ。
しばらく待っていると、ようやくクオが口を開いた。
「レン……今日のことは悪かったよ」
巡音さんにバカをけしかけたことを言ってんのかな。
「コウのことか?」
「ああ……あんなこと、やるもんじゃなかったよ。でも、これだけは信じてくれ。俺、あいつが抱きつくなんて思ってなかったんだ」
……確かにそれはそうかもな。「積極的にアタックしろ」という助言を「抱きつけ」という意味に取る奴はそうはいないだろう。要するにあいつがおかしいってことだ。
「もういいよ。俺も今日は言い過ぎたし」
かなり頭に血が昇ってたしな。……褒められた話じゃないのはわかっているが、平静ではいられなかった。
電話の向こうから、クオが安心したようにため息をつくのが聞こえてきた。用件はこれで終わりだろうか、と思っていると、クオはまた口を開いた。
「……なあ」
クオはそう言いかけて、また口ごもった。どうしたんだ。
「何だよ」
「こんなことお前に言うのは何なんだけど……お前にとって巡音さんって、本当にただの友達か?」
「はあ?」
俺は思わず間の抜けた声をあげてしまった。何だってこいつが、いきなりそんなことを訊いて来るんだ。
「だからさ……俺がああいう目に遭ったって、お前はあんなに怒らないだろ。むしろ笑い出すんじゃないのか」
「コウに抱きつかれたら、お前のやることなんて決まってるじゃないか。振りほどいてから、顔面を張り飛ばすだろ」
気持ち悪いことすんな! とか叫びながら、コウを殴って終わる。俺が割って入るまでもない。……そんなことやってるところを見たら、確かに笑うかもな。
「じゃあ、ミクが俺に抱きついたら?」
「その場合はおめでとうって言ってやるよ」
お前の念願が叶ったってことだろ。なんで止めなくちゃならないんだ。
「蜜音が抱きついたら……」
冗談は休み休み言え。
「蜜音がそんなことするわけないだろ。お前だってあいつの性格はよく知ってるじゃないか」
「うーん、俺じゃ駄目か……」
「お前、その程度なら自分で何とかできるだろ。強盗にでも人質に取られたってんなら、警察のお世話だろうから、俺にできるのは通報することぐらいだろうし」
電話口の向こうで、クオがため息をつくのが聞こえてきた。……何だよ、俺、何か変なこと言ったか?
「なら……俺が巡音さんに抱きついたら?」
「お前であっても張り倒す」
「なんで? 俺は友達だろ?」
「お前が巡音さんの意思を無視して抱きついたら犯罪じゃないか」
どう考えても痴漢だよな。その場合、むしろ友人として更生させるのが筋ってもんだ。
「お前だって、俺が初音さんにいきなり抱きついたら殴るだろ」
「それは確かに許してはおけ……いやいや俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」
なんか歯切れが悪いなあ……。というか、何が言いたいんだ。
「……じゃ、巡音さんが俺のことが好きだって言い出したら、お前どうすんの?」
こんなことを訊いてくるクオ。……はあ?
「お前何言い出すんだよ、そんなのあるわけないだろ」
「仮定の話だ。俺だって、あの子が俺のこと好きになるとは思ってない。つーか、好かれてもむしろ迷惑……いや違う。だからさあ、例えばの話なんだよ。もし巡音さんがお前に『ミクオ君のことが好きなの。どうしたらいい?』って相談してきたら、お前はどうするわけ?」
俺は、恋愛相談を持ちかけてくる巡音さんの姿を想像してみた。「男の子の気持ちってよくわからないの。こんな相談できる人、鏡音君ぐらいしか思い浮かばなくって……わたし、どうしたらいいの? どうしたら、ミクオ君はわたしのことを好きになってくれるの?」と言ってくる姿だ。
……嫌だ。
絶対に嫌だ。
反射的にそう頭に浮かび、俺は自分で自分の考えに唖然となってしまった。クオは友達だし、いい奴なのは良く知っている。口が悪いので乱暴でガサツな奴だと思われやすいが、実際のところ、根は真っ直ぐでしっかり常識を持ち合わせたまともな精神の持ち主だ。誰かとつきあったとしても、ちゃんと相手を大事にするだろう。その誰かが、例えば――初音さんとかなら、俺は何も言わない。蜜音や他の女の子たちでも構わない。むしろおめでとうと言うだろう。けど……。
「……レン?」
巡音さんだけは、絶対に嫌だ。
「おいレン、黙ってないで、返事してくれよ」
「……え? ああ、どうしたらね……」
あれ? この場合、俺はどうすればいいんだ? 巡音さんは俺を信頼して、相談をしてくる。俺が無碍にするなんて思ってもいないだろうし、いつもみたいに真面目に相談に乗ってくれると思っているはずだ。つまり俺は、巡音さんの恋を応援してあげなくちゃならないわけで……でもそんなことはやりたくない。
「わからない……」
例えの話だというのに、俺はひどく混乱してしまった。電話の向こうで、クオがまたため息をついているのが聞こえてくる。
「……ま、あの子が俺に恋をするなんてことはないだろうし、万が一そうなったとしても、俺からすれば眼中に無いから安心しろ。ただまあ、お前はこのこと、もっとじっくり考える必要があるんじゃないのか。あの子もミクほどじゃないとはいえ、見た目の可愛い方だから、またコウみたいなのがよってくるかもしれないぞ」
余計なのが大量に混じってることに文句を言おうとしたが、言う前に通話が切れた。俺は携帯を机の上に置いてから、ベッドに寝転がった。
巡音さんか……。俺の家まで遊びに来た時に見た笑顔や、公園で寝てしまった時の無防備な寝顔が頭に甦る。……俺のことを、信頼はしてくれているんだよな。でも……だからこそ、誰かを好きになったら、向こうは俺に相談してくるだろう。
そうなったら……どうすればいいんだ?
ベッドに寝転がっているうちに、俺は眠り込んでしまったらしい。その結果、妙な夢を見てしまった。
夢の中には、巡音さんがいた。途方にくれた表情で、座り込んでいる。
「どうしたの?」
俺が尋ねると、巡音さんは悲しそうに自分の背中を見せた。……白い翼が生えている。その翼の片方は、不自然にだらりと下に下がっていた。どうやら折れているらしい。
「大丈夫だよ。手当てしてあげるから」
俺は巡音さんの背中の翼を手当てしてやった。巡音さんが、ほっとした表情になる。
「治ったらまた空を飛べるよ」
そこから、時間が経過したんだろう。気がつくと、巡音さんは俺の前で、嬉しそうに背中の翼を羽ばたかせていた。
ああ、治ったんだ。これでもう空を飛べるんだ。羽ばたきが強くなる。……飛んで行ってしまうのか。
「行くの?」
尋ねると、巡音さんは笑顔で頷いた。
「どこに?」
空の向こうを指差す巡音さん。何かがあるようには見えないが、そこに行けることが嬉しいようだ。
「もう……戻って来ないの?」
また頷く。……嫌だ。行かせたくない。俺は目の前の細い腕をつかんだ。巡音さんがびっくりした表情になる。
「行かないでくれ」
巡音さんは首を横に振った。どうしても行かなくてはならないのだと言いたげに。
「駄目だ! 行かせないから!」
俺は翼をつかんだ。こんなものがあるからいけないんだ。俺を置いて、飛んで行ってしまうんだ。力を込める。鈍い音がして、翼が折れた。巡音さんが俺の前で、悲痛な声で泣き叫んでいる。
そこで、俺は目が覚めた。……はっとして周りを見る。別に何もない。いつもと同じ自分の部屋だ。でも……。
夢なのに、翼を折ってしまった感覚は、妙に生々しかった。
「レン……そんなに今日のご飯不味い?」
うたた寝をした結果、妙な夢を見てしまった俺は、それから鬱々とした気分が晴れなかった。
「いや、姉貴の飯はいつもと一緒だよ。食欲ないだけ」
「どうしたのよ一体。学校で何か嫌なことでもあった?」
なんでこう詮索したがるのかなあ。ほっといてくれよ。
「……別に」
「いいから話しなさい。話せばきっと気が晴れる!」
「その根拠の無い自信はどこから出てくるんだよ」
俺がそう言うと、姉貴は首を傾げてから、こう言った。
「空元気も元気のうちって、昔から言うでしょ。だから根拠の無い自信も自信のうちなのよ」
「そんな無茶苦茶な理屈があるか」
姉貴の理屈は毎度のことながらよくわからん。
「で、結局、何なわけ?」
巡音さんの翼を折っちゃった夢を見たなんて言えるかい。この前変な夢を見た時、散々なことを言われたってのに。
というか……なんで夢の中の巡音さんには、翼が生えていたんだ? 当たり前だが、本物の巡音さんに翼は生えていない。
以前見た夢だと、ガラスの棺の中で眠っていた。巡音さんはあの時、考えることをやめていた状態で――要するに心が眠っていたんだ。じゃあ、「翼が折れている巡音さん」にも、何か意味があるんじゃないのか?
「姉貴、折れた翼って何の意味があると思う?」
「あんた、謎々でもしてるの?」
「違うけど、なんか気になって」
姉貴は腕を組んで、考え込んだ。
「折れた翼ねえ……そういうタイトルの歌なら知ってるけど」
「どういう歌?」
「精神的DVの歌」
つくづく、姉貴の頭の中はどうなっているのか疑問だ。
「インパクトのある歌詞なのよね。夢を語る度に一緒に暮らしてる男に夢を壊されて『お前は飛べないんだよ』って言われて、折れた翼だけど必死に飛ぼうとするって歌詞」
く、暗い……。どうしてそんな暗い曲を知ってるんだよ。
「暗い曲だなあ」
「最後は自分の意志で出て行くから暗くはないわよ。この人、児童虐待を題材にした歌も歌っていて、そっちと比べるとまだ希望があるのよね。そっちは『夜が明けた時は手遅れ』だから」
夜が明けた時は手遅れ……つまり、死んでたってことだよな。……えーと、どうコメントすればいいんだよこの場合。
「翼に話戻すけど、翼の意味は? 本当に翼が生えているわけじゃないだろうし」
「夢を壊されるという歌詞にあるとおり、夢とか希望でしょうね。虐待を題材にした方の歌でも『夢があの子に翼を与えてくれた』って歌詞があるから。といっても……その時はもう死んでるんだけどね。『愛される場所へ羽ばたいて行った』って」
……死ななきゃ救われないのかよ。どれだけ救いの無い歌詞なんだ、それ。
そう言えば、巡音さんは以前「どこへでも飛んでいける」って言ってたっけ。だからあんな夢を見たんだろうか。翼が夢や希望を意味しているとすると、折れたというのはそれを失っている状態で、じゃあ、俺が翼を折るということは……。
「レン……なんであんたそんな暗い顔してんの?」
「放っといてくれ」
俺は巡音さんの夢や希望を壊したいなんて思ってない。だから翼を折る必要なんてないはずなんだ。なのに……。なんで俺は夢の中で翼を折ったりしたんだ?
「姉貴、その曲のCDとか持ってる?」
「あるけど?」
「後で貸してくれ」
巡音さんは最近の曲には疎いみたいだから知ってるはずはないんだが、どうも引っかかる。ちゃんと曲を聞いてみよう。
晩飯を食べ終えて片付けを済ませた後、姉貴がCDを渡してくれたので、俺は自分の部屋のプレーヤーでそれを再生した。……ちなみに、姉貴は巡音さんがくれたチーズクッキーを「わ、これ、お酒にすごくあうわ~」と、一人でほとんど食べてしまった。それ……俺が貰ったんだけど。いやそりゃ、巡音さんは「二人で食べて」って言ってたけどさあ。遠慮というものを知らないんだろうか。
そういったことはさておき、姉貴から借りたCDを聞きながら、俺はもう一度考えてみることにした。くどいようだが、俺に巡音さんの翼を折る必要なんてない。でも夢の中で、俺は巡音さんの翼を折った。夢は夢に過ぎないのはわかってるんだが……。
この曲の中に出てくる「彼」は、はっきり言って嫌な奴だ。一緒に暮らしている「彼女」を傷つけるようなことだけを言い、ひどい目にあわせ続ける。ある日「彼女」の姿が消え、「彼」は自宅に帰る。部屋は空っぽで、風がカーテンをはためかせている窓辺に、メモだけが残っている。……そりゃ、こんな目にばかり会っていたら、誰だって出て行くよな。
曲を何度聞いても答えはみつからなかった。一つだけはっきり言えること、それは。
誰かの翼を折るのは最低な行為だってことだ。
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ご意見・ご感想
苺ころね
ご意見・ご感想
うう~ん・・・
なんでレンが翼を折る夢を見たのか気になりますね・・・
メイコがクッキーを「これ、お酒にあうわ~」と食べてしまったのは面白かったです。
クッキーってお酒に合うものでしょうか?
2011/12/19 23:41:59
目白皐月
納豆御飯さん、メッセージありがとうございます。
レンが翼を折ってしまう夢を見た理由については……うーん、どうしてなのかは考えてあるんですが、作中ではっきり描写するかどうかは決めかねています。
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2011/12/20 00:56:43